リストカット万歳
リストカット。3年生の先輩がそれをしている。すれ違ったときに見えた、手首の包帯。被害者の象徴。傷ついた人間の証。
それを身につけて居れば、何も言わなくとも周囲は同情し、忌避す。説明不要。それがひどく羨ましかった。
一つ、嫌なことが起きた。合唱コンクールのピアノ伴奏に、立候補した。けれど満場一致で鮎川さんに決まってしまった。
やりたかった、やりたかった、私がやりたかった。どうせクラスの皆は私が嫌いなんだ。いじめじゃないか。クラスでの疎外、それは世界中の人間から否定されたも同じだ。
鮎川さんは美人だから選ばれたんだ。皆、彼女が私よりも好き。私の中のオセロゲームは駒が全部ひっくり返って黒一色。
机の上には最近買った新品のカッター。その刃を短く出していた。
少しだけ、少し切るだけだ。血管の浮き出た手首、より下の腕を切る。痛い。だけど、すうっとついた赤い傷ができた。それを見た瞬間、笑みがこぼれた。
次の日は包帯を巻いて学校に行った。ひそひそ、と皆がささやきあう。昨日の今日だから、なぜ私が傷ついているのか一目瞭然。
あんたたちのせいだから。あんたたちのせいで、こんなに傷ついているんだから
鮎川さんが驚いた顔で私を見る。腕を上げて、ひらひらと振る。あなたが立候補したのが悪い。ピアノのコンクールで優勝できる実力者のくせに、校内の伴奏もやろうなんて欲張りだ。ピアノはあなただけのものじゃない。
「吉田さん、話があるんだけどいいかしら。」
担任が声を掛けてきた。やっとか、と思った。空いている会議室で、二人で話す。
「…私、悔しくて…伴奏どうしてもしたかったんです…皆鮎川さんの味方するから、もう死んでやろうと思ったんです…」
話しているうちに自分のストーリーは膨らんでいく。だけどウソじゃない。リストカットは自殺未遂の痕。ならば私は自殺しようとするほど追い詰められていた。涙が止まらなかった。いつの間にか、自分の話に酔いしれていた。
「ごめんなさい、あなたにこんな思いをさせて。あなたが死んじゃったら悲しいわ、何かあればすぐ先生でも、ご両親にでも相談して。あなたは一人じゃないの。それと…鮎川さんがね、伴奏辞退するそうなの。」
「鮎川さんが…」
「だから、やってみない、伴奏。」
世界が薔薇色に変わる。リスカ万歳。この瞬間、私はリスカの信奉者になった。
「はい!」
そして、大会当日は憧れの新川君のタクトに合わせて伴奏することができた。失敗して止まったけれど、誰も責めなかった。
困ったときはリスカ。それは私のエスケープ。説明不要のスティグマ。周りを黙らせるとっておきの方法。
行きたい高校を反対されたら、リスカ。両親は泣いて、私の行きたいセーラー服の高校に進ませてくれた。
あんなに怖い顔でもう少し上を狙いなさい、と言っていた父が「生きていればいいんだから。」と言った瞬間に、私は勝利を味わった。
高校の部活で部長に選ばれなかった。はい、リスカ。誰のせいの自殺未遂なのか分かったライバルは、私に譲ってくれた。鮎川さんのように。
大学の講義で単位を落としそうになった。リスカ。教授は真っ青になって単位をくれた。
腕がどんどん傷ついていく。だけどそれは、社会が私を傷つけている。ほら見て、こんなに生きにくい。こんなに辛い。みてみてリスカ。
最後のリスカで、私はリスカに失敗した。酔っぱらって、切ったら太い血管ざっくりやってそのままお陀仏。
だれか見て、この腕を。ほらほらこんなに傷ついてる。だけど、敵わない。事故で死んだ人はぐちゃぐちゃでその辺りを歩き回る。
そんな傷一本で死ぬなんて。悔しい。黙らせたい。リスカ。だけどもう、リスカする腕も見てくれる人も無くなっていた。
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