あなたしかいない

「行かないで、お願いだから。」


 部屋を出ようとすると、彼女はそう言って俺の味にしがみつく。


「あっちの男と暮らせよ。俺じゃつまんないんだろ。平凡すぎて、退屈なんだっけ。」


 そう告げると、彼女は黙ってうなだれる。カラフルなネイルが足首に食い込んで、痛い。


「行かないで、もう別れたって。あなたしか居ないの。」


 あなたしか、いないの。


 付き合って、婚約して、来月には挙式。


 彼女はそう言いながら俺と職場の同僚を天秤にかけて二重生活を続けていた。


 あなたしかいない、嘘つけ。その安っぽい言葉を信じていた自分は間抜けだ。


「ごめん、無理だから。」


「あなたしかいないのよどうするの職場にも居れなくなって辞めちゃったし」


「両親には縁切られちゃったし私帰るところも無いの」


「わたし弱いの助けてあなたしかいないあなたしかいないあなたしかいないあなたしかいない。」


 あなたしかいない、壊れたラジオのようになった彼女を振り払って、逃げた。


「こっちだって、お前しか居なかったよ」


 アパートの屋根がすっかり見えなくなった交差点で、俺はそう呟いて涙を拭った。












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