第14話 初めてのキスは水無月さんと

 水無月さんが先導しておうちに入っていく。私はその後をついていった。家には誰もいないようで「おじゃまします」という声が寂しげに響いていた。

 

 靴を脱いで上がると、水無月さんが「こっちです」とうきうきした声でつげた。そんなに私とキスしたいのだろうか。嬉しいような、恥ずかしいような変な気持ちだ。


 キスの一つで友達でいてくれるのなら、別にいいけれども。


 階段を上って部屋に入る。まず目についたのはたくさんの小説が入った本棚だった。私はそれを横目に、ベッドの上に座る。だけどそこではっと気づく。ここは私の部屋ではないのだ。


「あ、ごめんね」

「……いえ」


 水無月さんは緊張しているのか、無表情でクッションを敷いた。


 私はお礼をつげて、その上に座る。私は本棚いっぱいの小説をみながらつげた。


「それにしても、小説たくさん読んでるんだね。実は私もWeb小説読むのが好きなんだ」

「いつも読んでますもんね。弥生さん。実は私も、Webに小説公開してるんです」

「そうなんだ。教えてよ。検索するから」

「「無水月」と検索してください」

「えっ?」


「無水月」というのは、私のお気に入りの人だ。二年前からずっと好きな、心理描写が詳細で、話は大体暗いけれど、でも最後には救いがあって。私は、ずっと、会えたらいいのになって思ってた。


 だってその人は誰にも評価されてなかった。私にしか読まれてなかった。でもそれは逆説的に言うのなら、誰でもない。ただ私に読まれるためだけにそこにあるみたいで。


 平凡な私がそれを読んでいるときだけは、誰かの「特別」になれているみたいで。


 だから私はそんな経験を与えてくれる「無水月」さんが好きだった。


 水無月さんと「無水月」さん。単純なアナグラムだ。考えたことはあった。だけれど、まさか本当にそうだったとは……。


 何も考えずとも私の口から、言葉が溢れ出してくる。


「……これまで、ありがとう」

「えっ?」

「何の取り柄もない私を救ってくれて」


 水無月さんは「そんなことないですよ」と笑っていた。


「私こそ、弥生さんに救われてたんです。私は中学生の間ずっと虐められてました。ずっと否定をされ続けて、そんな毎日から逃げるために小説を書いたんです。でもその小説だって、誰にも評価されなかった」


 水無月さんは私の手を握った。


「弥生さん以外には」


 私は「無水月」さんの小説によくコメントを残していた。


「……だから、私にだけは笑ってくれてたんだね」


 水無月さんは満面の笑みで頷いた。


「はっきり言います。私は弥生さんのことが好きです」


 水無月さんは真剣な表情で私をみつめてくる。私は顔が熱を持つのを感じていた。


「私がダメにならなかったのは、弥生さんという心の支えがいたからです。弥生さんが私を認めてくれたからです。だからっ、どうか私とキスをしてくれませんかっ……?」


 私は、どうなりたいのだろう? 水無月さんはお世辞にもコミュニケーションが得意とはいえない。私に告白をするのだって、きっと並大抵の覚悟じゃできなかったと思う。


 だから作った気持ちじゃなくて、本心で答えたい。

 

 水無月さんは綺麗だし、優しいし、正直非の打ち所がない。コミュニケーションは苦手ではあるけれど、それすらも愛嬌になってしまう。そんな人だ。


 でもだからこそ、私は水無月さんに自分が相応しいとは思えなかった。私には得意なことなんてない。運動神経は壊滅的だし、勉強だって普通だし、人付き合いも得意じゃない。性格も明るくない。水無月さんのように、誰かに真剣になることはできない。


 ただ、離れていく友達を、皐月をただ見ているだけだった。友達として親しくありたいのなら、自分から行動して距離を縮めるべきだったのにも関わらず。


 それに、私は水無月さんの幸せを邪魔しようとしていたのだ。私の友達でいて欲しいからって、学校では笑わないで欲しい、なんて。


 思い返せばそれはあまりに自分勝手な言動だった。


 でもそれでも、やっぱり水無月さんと距離ができるのは怖い。


 だから私は水無月さんにキスをした。軽く触れるだけのキスだった。


 水無月さんは顔を真っ赤にして、私をみつめている。でもすぐに満面の笑みで私に抱き着いてきた。


「大好きです! 弥生さん」


 しばらくして抱きしめるのをやめたかと思うと、体を小さく縮こまらせながら、水無月さんはベッドに横になった。


「実は今日、両親、帰ってこないんです。私の全部、弥生さんのものにしてくださいっ」

「えっ!? 流石にそれは早すぎるよ。少しずつだよ。少しずつ」

「そ、そうですよね。ごめんなさい。こういうの、よく分からなくて」


 慌ててベッドから起き上がる水無月さんは、顔を真っ赤にしたまま、クッションの上に座った。気まずい空気が漂うから、私はそれを誤魔化したくて小説のことを口にする。すると水無月さんも乗り気のようで、色々と話していると、時間が過ぎていた。


 窓の外がオレンジ色になったころ、私は帰り支度をする。


「もう帰っちゃうんですか……?」

「うん。また明日学校で会えるんだから、そんなに寂しがらないで」

「……はい。さようなら。弥生さん」

「さようなら」


 私は作り笑いを浮かべながら手を振って、帰路についた。


 いまいち実感はわかないけれど、私はどうやら水無月さんと恋人になったらしい。キス初めてだったけど、意外と普通にできて良かった。……うん。


 とろんとした水無月さんの瞳。柔らかな唇の感触。荒い息。ほのかに紅潮する頬。思いだしていると、なんだか突然恥ずかしくなってきた。したときは特に何も感じなかったのに、顔がとても熱くなってくる。


 私みたいな陰に潜みし者にはキスなんてちょっとハードルが高すぎたのだ。


 思い出しては悶えながら、私は家に帰った。

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