第9話 妹に怯える水無月さん
夕焼け色の住宅街を、私と水無月さんは二人で歩いていた。横顔をみつめて、綺麗だなと思う。きっと可愛い人が好きなあの妹なら、散々褒めちぎってくれるはずだ。
私は自宅の門扉を通った。でも水無月さんは手をこまねいているようだった。だから私は水無月さんの手を、優しく引っ張ってあげる。
「大丈夫だよ。私がいるから」
「……はい」
水無月さんの手は震えている。やっぱりよほど人付き合いが苦手なのだろう。もしも水無月さんが耐えられないようなら、すぐに帰らせよう。
私は玄関扉を開けて妹の名前を呼ぶ。
「小春。ただいま」
すると眠たそうな顔をした小春が、リビングからひょいと顔を出した。だけどその眠たそうな顔は小動物のように震える水無月さんを目にした瞬間、覚醒する。
「ちょっと、お姉ちゃん。その美人さん誰!?」
「美人さん!?」
「水無月さんだよ」
「うわぁ。芸能人みたい……。お姉ちゃん嘘ついてなかったんだね……」
「芸能人……」
「そんなつまらない嘘なんてつかないよ」
「いやー。お姉ちゃんだよ? 嘘だって考える方が自然だよ」
確かにそれはそうかもしれない。私は家で何度か水無月さんを話題にしたことがあるのだけれど、小春は頑なに信じようとしなかった。「コミュ力の低いお姉ちゃんがそんな美人さんと仲良くなれるわけないでしょ」って感じで。
「水無月さん。さ、あがってあがって」
私の影でぶるぶると震えている水無月さんに、小春が笑顔で手を差し出した。水無月さんは私をちらちらとみてくる。助けを求めている表情だ。ほとんど無表情だけど。
「水無月さん。私の部屋まで案内するから」
そう告げて、私は水無月さんの手を握った。すると水無月さんは落ち着いたのか、小さく微笑んでくれる。でも小春はとても不満そうだ。
「私じゃダメなんですか? 水無月さん」
水無月さんはがくがく震えながらも、頑張って気を遣って首を横に振っていた。
「だったら……」
小春はいたずらっぽく微笑んで、水無月さんの腕に抱き着いた。その瞬間、水無月さんの震えが止まる。だけど顔はぷしゅうと湯気が出そうなほど、赤くなっていて。
そのまま、石みたいにかたまってしまった。
「水無月さん! 私と一緒に行きましょう! 私の部屋に!」
「ちょっと。なに平然と自分の部屋に連れ込もうとしてるの」
「だって私の夢だから。すごい美人を自分の部屋に連れ込むのがねっ。それで、あわよくば……。ぐふふ……」
含みのある笑みを浮かべる小春。……我が妹ながら、なんて俗物なんだ。
「水無月さんは人付き合いが苦手なんだよ。だからとりあえず、抱き着くのをやめて」
「あー。もしかしてお姉ちゃん、私に嫉妬してるのぉ? 自分に抱き着く勇気がないからって、人のせいにしちゃだめなんだよ?」
「……私に抱き着きたいんですか?」
水無月さんが興味津々な表情で、私をみつめる。相変わらず小春は「声まで綺麗なんだ。すごい……」と恍惚とした表情を浮かべている。
「だ、抱き着きたいかどうかなんて。別に恋人じゃないんだから、思わないでしょ」
「だったら水無月さんの体は私のものね!」
なんかさらっととんでもない発言をしたような……。
ちらっと水無月さんをみると、顔を真っ赤にして、私に助けを求める目をしている。
このままだと水無月さんに悪い影響を与えかねない。
私は仕方なく、小春が抱き着いているのと反対側の腕に抱き着いた。
「水無月さんは私の友達。絶対に小春にはあげないからっ!」
「……弥生さん」
水無月さんはとても嬉しそうに私をみつめている。小春は不満そうだ。
「そうですかそうですか! 私なんていらないんですね! 水無月さんの浮気者……」
「う、浮気者!? そんな……。私、いつの間にか浮気しちゃってたんですね……」
水無月さんは表情筋を活用した深刻な表情で、小春の冗談を真に受けてしまっている。小春は俗にいう陽キャなのだ。私が陰キャなら、水無月さんは陰キャの極み。明るい人々のノリをぶつけても、水無月さんは困るだけだ。
「もう。小春。水無月さん、困ってるでしょ?」
「困ってる顔も可愛いですねっ」
水無月さんはまた顔を真っ赤にしていた。
「か、可愛くなんてないですよっ。私なんて」
「あぁもういじらしいなぁ。自覚してない美人って、こんなに可愛いんだ……。一生このままでいて欲しい……」
「だ、だからっ、美人なんかじゃないですっ」
褒められるたびもじもじする水無月さんは可愛いけれど。でもなぁ。やっぱり卑屈であってほしくはないのだ。私は水無月さんのこと、友達としてそれなりに好きだから。
「水無月さんは、もう少しくらい自分を認めてあげてもいいと思うよ?」
私がつげると、水無月さんは肩をすくめた。
「虐められてたのにですか? ……みんな、私を避けるのに?」
「虐められてたんですか?」
小春が理解できないといった風に、眉をひそめている。
「はい。中学のときは、ずっと……」
「なんで。そんなに美人なのに……」
「だから私は美人じゃないです」
延々と押し問答が続きそうだったので、割って入った。
「と、とりあえず、私の部屋に来てよ」
「……弥生さんの部屋」
「うん。まぁ私の部屋なんて興味ないって言われたらそれまでだけどさ」
水無月さんはじっと私をみつめたかと思うと、視線をそらしてつげた。
「……興味、あります」
「だったら行こう?」
「……はい」
そうして私は水無月さんの手を引っ張って、自分の部屋に連れて行った。
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