第8話 友達になったばかりなのにキスを求めて来る水無月さん

 私はずっと一人だった。内気で自分から人に話しかけることができない。別に人目を引く何かを持っているわけでもないのに、ただただ受け身で、でも一人は寂しくて。


 そんな矛盾した性格をしていた私に積極的に関わってくれたのが、皐月だった。昔の皐月は男子になんて興味を持ってなかった。友達である私の方が大切だとハッキリ言い切ってしまうような、優しい女の子だった。


 でも人は変わるもので。


 皐月は私が知らないうちに恋をして、フォークダンスのときだって私を一人にした。ずっと一緒だよとか、昔は約束したものだったのに。そんな幼いころの約束はすっかり忘れてしまったみたい。


 水無月さんだって、同じなのかもしれない。それでも私は寂しがり屋だから、いつか別れるのだとしても、仲良くなりたいなって思ってしまう。


 私は水無月さんと二人で、カラオケの部屋に入った。水無月さんは部屋を興味深そうに眺めていた。私はソファに座って、飲み物を頼んでから、タッチパネルを手に取った。


「水無月さんは何を歌いたい?」


 水無月さんは私の隣でじっと画面をみつめる。


「一人で歌うのは恥ずかしいので、弥生さんと一緒に歌いたいです。一緒ならどの曲でも」

「分かった」


 私は今はやりの恋愛ソングをタッチした。水無月さんと一緒にマイクを持って歌う。水無月さんは歌も上手くて、驚いてしまう。歌い終わると、私は思わず問いかける。


「もしかして一人カラオケとかよく来てる?」

「来ませんけど、家では一人でよく歌ってます」

「なるほど。上手いなーって思ったんだよね」


 褒めてあげると、水無月さんは嬉しそうにしている。前髪を指先でくるくるする仕草が可愛らしい。


「中学のとき、ちょっと虐められてそれから、不登校気味になってて。そのときはずっと歌ってました。そのおかげで弥生さんに褒めてもらえたなら、無駄じゃなかったんだって思います」


 流石にそれは私の「褒め」を高評価し過ぎなのでは? さくらレビュー疑われるレベルだよ……。でもまぁ、嫌な過去を肯定する材料に少しでもなったのなら、私も嬉しい。


 でもいじめっていうのは、想像するだけで腹が立つ。


「良かった。でもいじめってひどいね。きっとみんな水無月さんに嫉妬してたんだろうね。だって水無月さん可愛いもん」


 私は怒りのままにそう言い放った。微笑んでいると、水無月さんがじっと私をみつめてくる。


「本当に弥生さんは優しいですね。私なんて別にそんなに可愛くないです」


 いやいや。可愛いですよ。もじもじして顔を赤らめるその仕草だけで天下取れますよ。なんて思ってみるけれど、口にはできない。流石に恥ずかしい。


「……弥生さんの方がずっと可愛いです」


 黙っているとそんな声が聞こえてきて、顔が熱くなってしまう。


「そ、そんなことないよ。私なんて凡人の中の凡人だから」

「私っ、弥生さんのこと好きですよ? 性格もですけどっ、顔とか、特に好きです」


 な、なにを言ってるんだこの人は。距離の詰め方がすごすぎる。人付き合いしてこなかったゆえの無鉄砲さだろうか? 心臓に悪い。止めて欲しいと思うのに、どうしてかもっとと求める私もいて。不思議な感覚に私は飲み込まれていた。


 驚いていると、水無月さんはどうしてかカラオケの薄暗い空間で、私に顔を近づけてくる。えっ? えーっ!? な、なんか唇を凝視してるんですけど? 


「ちょ、えっ? 水無月さん?」

「大丈夫ですから。友達の証ですからっ!」


 なんてわけのわからないことを口にして、私に顔を近づけてくる。


 ちょっと待って。水無月さんの低すぎるコミュニケーション能力がオーバーフローして暴走してる! このまま許しちゃったら絶対に後悔するよ。水無月さんも私も。もちろん水無月さんは綺麗だから、許してもいいって感覚もある。でもこんなの一夜の過ちだ! 


 友達になったばかりでキスするなんて……、だめっ!


 私はとろんとした水無月さんの瞳から目をそらして、なんとか水無月さんを突き放した。水無月さんは悲しそうな顔で私をみつめている。


「友達同士のキスは、だめなんですか?」

「と、友達同士はキスなんてしないよっ」

「えっ? でもネットにはキスするって」

「どこでそんなことを……」

「5ch? ってところです」


 ね、ねらーだった。水無月さんねらーなの……。絶対それ愉快犯ですよ! 水無月さん! というか書き込んだ本人も絶対信じてもられるなんて思ってないでしょ。水無月さんは薄汚れた世の中を生きるには、純粋過ぎたのだ……。


 私は水無月さんの肩を掴んで、諭すように言い聞かせる。


「水無月さん。ネットの情報は鵜吞みにしちゃだめだよ。普通、友達はキスしない。キスをするのは恋人だけ。だから、私とキスしたら私と恋人になっちゃうんだよ? それは嫌でしょ?」


 水無月さんは自分がやらかそうとしたことの重大さに気付いたのか、耳の先まで赤くしていた。かと思うと、私に背中を向けて「弥生さんと恋人……。弥生さんと……」とうわごとのようにつぶやいている。


 そんなに嫌だったのかな……。


 でもすぐにまた私の方を向いたかと思うと、また目を閉じて顔を近づけてくる。まさか、私の言葉を信じてない!? や、やばい。このままだと私は水無月さんに初めてを奪われることになる。それは嫌……、じゃないな。


 でももしもキスをすれば、私は水無月さんをただの友達とは思えなくなってしまう。そんなことになれば、みんなに水無月さんの良さが伝わった時、つまり、私の元を水無月さんが離れていくとき、精神的なダメージが計り知れないものになってしまう……。


 私は水無月さんのキスをかわして、代わりに抱きしめた。


「弥生さん……?」

「ハグ。キスじゃなくてハグならいいからっ。これじゃだめ?」


 水無月さんは黙り込んで、何やら考え込んでいるみたいだった。でもすぐに「分かりました」とささやいて、私の背中に腕を回した。水無月さんの体は温かくて柔らかくて、人を抱きしめたことのない私には刺激的過ぎる感覚だ。


「まぁいいです。私としては、弥生さんの一番になりたかったのですが……」

「……一番?」

「な、なんでもないです」


 水無月さんは私をぎゅっと抱きしめている。どうしてあんなに誰とも話せなかった水無月さんがこんなにも積極的に……? もしかして内弁慶的な? 身内と認めた人には明るく接することができる、みたいな。


 まぁ、嬉しいけどさ。私を内側だと認めてくれたのだったら。


 それにしても、なかなか水無月さんは私を抱きしめるのをやめてくれない。そんなに抱き心地が良いのかな、なんて考えながらしばらくじっとしていると、水無月さんはすやすやと寝息を立て始めた。


「……水無月さん?」


 呼びかけても反応がない。


 仕方なく私はそっと自分の膝の上に頭を下ろしてあげた。


 私たちはカラオケの利用時間が終わるまで、穏やかな時間を過ごした。


「水無月さん。起きてください」

「……ん。弥生さ……!?」


 水無月さんは私の顔と胸を交互に見上げている。


「ご、ごめんなさいっ……。ひ、膝枕なんてっ」


 あわあわと顔を真っ赤にして揺らしている。キスは良いのに、膝枕はだめなんだ。基準が謎だな……。でも水無月さんらしいともいえる。これまでずっと世界から隔離されて生きてきたのだ。


 ガラパゴス諸島みたいな感じで、水無月さん専用の基準ができているのだろう。


 私は水無月さんの頭を撫でながら微笑む。


「膝枕くらいいいよ。私としても、貴重な水無月さんの寝顔を見られたわけだし」

「わ、私の寝顔になんて一銭の価値もないですっ。ど、どうか罪を償う機会を……」


 えぇ……。卑屈なのは仕方ないのかもしれないけれど、ちょっとくらい理解して欲しいよ。水無月さんがどれだけ綺麗なのかってこと。どうすれば、分かってくれるのかなぁ……?


 よし。ここは癪だけれど、妹の手を借りてみるか。あの子なら間違いなく、水無月さんを恥ずかしげもなく褒めちぎってくれるだろうし。


「水無月さん。まだ時間大丈夫?」

「七時までに帰れば大丈夫なので、大丈夫です。それより、どうか弥生さんの神聖なももを穢した罪を私に償わせてください……」


 なんて言いながら水無月さんは私のももの感覚を、頭を左右に振って味わっている。ちょっと変態なところがあるのかも……。水無月さんなら別に構わないけど。 


「それなら私の家に来てよ。それで許してあげるから」

「えっ。いいんですか?」

「うん。そこで私の妹と話したら許してあげる」

「い、妹さんですかっ」


 水無月さんはがくがくと震えていた。そっか。水無月さん、どうしてか私には心を開いてくれているけれど、他の人はまだ怖いんだ。怖いのに無理やり妹に会わせるのはよくない。


「嫌ならいいよ?」

「いえ、頑張ります。将来のことを考えたら、妹さんとも仲良くしないとですから」

「将来のこと?」


 問いかけると、水無月さんは顔を赤くしていた。


「はい。将来、もっと仲良くなったら、弥生さんのご家族と深くかかわるのは避けられませんし……」


 確かに友達になったのだから、これから家族と接する機会も出てくるかもしれない。


 私は水無月さんの頭を撫でながら微笑んだ。


「ありがとう。怖いのに頑張ってくれて」

「弥生さんもありがとうございます。私なんかと仲良くなってくれて」


 過去に受けたいじめとか、これまでの孤独とか、そういったものが自己否定的な性格を形作ってしまっているのだろう。だけど卑下してもらいたくない。


 でも凡人な私が水無月さんと仲良くなれたのは、水無月さんが孤立しているからであって。もしも水無月さんが相応しい自信をもっていたなら、私たちがこうして二人でカラオケに来ることなんてなかった。


 そう考えると、なんだか複雑な気持ちだった。


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