第5話 告白される水無月さん

 水無月さんが告白されている所に遭遇した。今は十月だけれどまだまだ暑い。私は息を殺しながら、廊下に潜んでいる。そして教室の扉の隙間から向き合う二人の姿を覗き込んでいた。私たちは一年生だけど、どうやら相手の男子生徒は二年生みたいだ。


 水無月さんの噂は学校中に広まっているらしい。誰とも話さない孤高の存在だとか、みんなを見下すろくでなしだとか。いいようにも悪いようにも言われている。


 昇降口でたまに水無月さんを見かけると、水無月さんは会釈してくれる。私が会釈をすると水無月さんは微笑んで下駄箱を開ける。


 すると大抵そこにはラブレターが入っている。時代錯誤だと思うけれど、水無月さんに声をかけることの難しさを考えると仕方ないのかもしれない。水無月さんは威圧感がすごい。


 私だって、たまに水無月さんと昇降口で出会うと、会釈する程度の関係にはなっている。でもまだ積極的には話しかけることはできずにいる。本当の水無月さんはみんなが思ってる水無月さんとは違う。そのことを知っていても、一週間に一回話すかどうか。


 そして水無月さんが学校で言葉を発するのも、授業中の発表を除けば一週間に一度あるかどうか。要するに私と話すときにしか、水無月さんは声を発しないのである。月曜日から金曜日まで一週間のほとんどを無表情で過ごす。


 表情を変えるのは、私と話すとき。あるいはラブレターをもらったときくらいだ。


 水無月さんはラブレターをもらっても、どうすればいいのか困ってしまって、開くこともせず、ほのかに申し訳なさそうな顔をして、下駄箱の上とか適当な場所に置いてしまう。そもそも思いを伝える機会さえ誰にも与えないのである。

 

 だから無表情の威圧感溢れる水無月さんに思いを伝えようとできる。そんな二年の男子生徒は英雄に匹敵する勇気を持っていると言える。


 私はそっとドアの隙間から二人の様子をみつめている。教室にはオレンジの光が差し込んでいて、青春色に染まっている。


「俺と付き合ってもらえませんか」


 どうやら男子生徒は決意を固めたようだ。男子生徒はそれなりに整った容姿をしている。少なくとも私よりは水無月さんの相手としては相応しいだろう。


 見守っていると、水無月さんは無言で私の方を向いた。私は慌てて体を引っ込める。だけど咄嗟のことで逃げることもできずにいると、がらがらと扉が開いた。水無月さんが氷のような無表情で、扉の脇にしゃがみ込む私をみた。


 目と目が合う。


 その瞬間、水無月さんはとても慌てた表情になった。目を見開いて、口を半開きにして、肩をすくめる。全身で「見られてしまったーー!」という言葉を表現しているみたいだった。


 咄嗟のこととは言え、言葉にするよりも先に全身で表現する水無月さんが面白くて、私はついつい笑ってしまう。水無月さんはそんな私を不思議そうな顔で見下ろしていた。かと思うと、突然、私の手を握って走りはじめた。


 水無月さんの手は柔らかくて温かくてすべすべだった。


 後ろからは「返事! 返事を下さい……」と涙声が聞こえてきたけれど、水無月さんは困ったような顔だけして振り向かなかった。水無月さんと二人、屋上までやって来る。


 水無月さんは私と繋いだ手をはっとした表情でみつめたかと思うと、顔を真っ赤にしていた。あわあわと表情だけ動かすのに声を出さないのは、そういう生活が身についてしまっているからなのだろう。


 それにしても相変わらず水無月さんは綺麗だ。夕日に照らされてもはや芸術みたいになっている。


「水無月さんも大変なんだね」


 水無月さんはこくこくと頷いた。


「でも頑張って告白したんだから、返事をしてあげないとだめだよ?」


 水無月さんはしゅんとした表情で私をみつめていた。きっと水無月さんは怖いのだろう。誰かを振るということが。誰かを不幸にするということが。だからそもそも告白されないようにしているのだ。


「大丈夫だよ。私も一緒についていってあげるから」

「……本当ですか?」


 水無月さんの声は鈴を転がしたように綺麗だ。たまにしか聞くことはできないけれど、聞き惚れてしまう。


「うん」


 水無月さんはほわほわと微笑んでくれた。見ているだけで幸せになれるような笑顔だ。本当にどうして水無月さんは無表情なのだろう。


 水無月さんはまた私の手を握った。その手はぎゅっと勇気を振り絞るみたいに、力が込められている。私たちは二人でまた教室に戻った。


 教室にはあの男子生徒が寂しそうな表情で残っていた。私と水無月さんは二人でその男子生徒の前に立つ。水無月さんは完璧な無表情でぼそりと告げた。


「ごめんなさい」


 すると男子生徒は泣きながら教室を飛び出して行ってしまった。


 水無月さんは男子生徒が出ていくと、ほんの少しだけしょんぼりした顔をしている。水無月さんは基本的に、ほんのわずかにしか表情を変化させないのだ。それはもう、私以外には分からないくらいに。


「……水無月さんって、どうしていつも無表情なの?」


 こてんと首をかしげる水無月さん。


「多分そのせいでみんな怖がっちゃうんだと思うよ?」

「……そうなんですか?」

「うん。ちょっと笑って見せてよ。ほら、こんな風にさ」

 

 私は軽く微笑んでみせる。すると水無月さんはおろおろしていた。私から視線をそらしたかと思うと、見つめて、見つめたかと思うと視線をそらして。そんなのを繰り返しているのである。


「どうしたの?」

「……恥ずかしい、です」

「恥ずかしい?」

「私に誰かが笑顔を向けてくれている。その事実が、なんだかこそばゆいんです」


 分かるような、分からないような。もしかすると水無月さんはみんなから恐れられるのに慣れ過ぎたのかもしれない。だから笑顔を向けられるのに慣れてなくて、恥ずかしいと思うのかも。


「……私が笑顔を浮かべるっていうのも、なんだか変な感じで」

「変じゃないよ。私は水無月さんの笑顔、可愛いって思うよ?」

「か、かわ……!?」


 水無月さんは顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。こんなに恥ずかしがられると、私まで恥ずかしくなってきた。


 ちょっと後悔しながら私は水無月さんに微笑む。


「まぁ、今日はとりあえず帰ろ」


 すると水無月さんはこくこくと頷いていた。


 そうして私たちは、手を繋ぐこともなく昇降口に向かった。やっぱり冷静になると恥ずかしいよね。手を繋ぐって。

 

 そもそも私、皐月とも手なんて繋いだことないし。


 靴を履き替えて外に出た私たちは「さようなら」をつげて校門の前で別れた。

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