第3話 親切な水無月さん
早朝の穏やかな時間が過ぎると、教室はざわめきで満ちてくる。私は教卓に積まれた二つの課題の山に向かった。
私と同じ数学の係の人はまだ学校に来ていないようだ。二度準備室と教室を往復することになるだろうけれど、仕方がない。私は課題の山を一つ抱える。そのまま教室を出ていこうとしたそのとき、水無月さんがやってきた。いつも通りの無表情だ。
無言でもう一つの課題の山を持ち上げてくれる。一緒に運んでくれるのだろうか?
なぜ私を助けるのか。なぜ私に笑顔を向けるのか。なぜ私にそこまで興味関心を持つのか。やっぱり謎だ。
とりあえず私は「ありがとう」と伝えた。二往復するのは面倒だから、心からのありがとうだ。すると水無月さんは首を横に振っていた。どういう意味なのだろう? 「お礼はいらない?」。それとも「いえいえ」って感じなのだろうか? 考えてみるものの、その無表情からはやっぱり何も読み取れない。
私たちは無言で準備室に向かう。人通りの多い廊下を抜けて、渡り廊下を歩いて。
なんだか変な気持ちだ。私のとなりに水無月さんがいるって。
本来、私と水無月さんは交わらない。水無月さんの容姿と能力ならきっとみんなから引っ張りだこのはずなのだから。でも現実では水無月さんは、みんなから避けられている。というか、避けさせている?
だってこの無表情はそうとしか思えない。綺麗だけど無機質で、人間国宝が手作りした陶器みたいだ。とても触れられない。でもそうだとするのなら、私の前でだけはたまに笑顔を浮かべる。その理由が分からない。
なぜ私のことは避けさせようとしないのだろう?
……もしかして、私のことが好きとか? いやいや、そんなわけないか。私は一目惚れされるような容姿じゃないし。
隣を歩く水無月さんの表情を、ちらりとうかがう。
じっと私をみつめていた。目が合うと、水無月さんは顔を赤らめて視線をそらした。相変わらず綺麗な横顔だなぁと見惚れていると、私は何もない場所で足を引っかけてしまった。運動神経が壊滅的なのだ。
重心が崩れて、前のめりになる。課題の山が崩れ落ちて、バラバラに吹き飛んでいく。なんとか受け身を取ろうと両手を前に突き出すけれど。いつまで経っても私は地面に倒れなかった。
その代わりに、私は後ろに引き上げられて、眼前には水無月さんの綺麗な顔が……。鼻先が触れ合ってしまいそうな距離で、長いまつげが揺れているのがはっきりと見えた。吐息までかかってくる。
水無月さんは私の顔を目を見開いて凝視していたけれど、しばらくすると「ひにゃっ!」と謎の声をあげて、飛びのいていた。
相変わらず顔面の暴力だ。ただの凡人な私が、美しさの洪水を浴びせられて動揺しないわけがない。それでも何とか平静を装って水無月さんに告げる。
「あ、ありがとう。水無月さん」
水無月さんは頬を染めてふるふると首を横に振っていた。
私たちは地面に散らばった課題を拾い集めた。せっかく出席番号順に並べたのにバラバラになってしまっている。私は少し手間取ったけれど、水無月さんはあっという間に並べ替えていたし、そのあと、私のを並べ替えるのを手伝ってくれた。
やっぱり水無月さんは優しいのかもしれない。学校の皆は水無月さんをターミネーターとか言うけど、どちらかと言えば外見で誤解されがちな優しい怪物? いや怪物という言い方は失礼か。まぁ怪物的な美貌をもっているというのは否定できないけれど。
「ありがとう。水無月さん」
私が軽く微笑むと、水無月さんは無表情を少しだけ緩ませて、恥ずかしそうに顔をよそに向けていた。優しくて、照れ屋さんみたいだ。普段とのギャップのせいか、なんだか微笑ましい。
でも課題をもって歩いていると、また水無月さんは無表情に戻ってしまう。なんで水無月さんはこんな風に自分の感情を隠してしまうのだろう? よく分からない。すぐに人気者になれるはずなのに。
準備室に課題を運んで教室に帰って来るまで、私たちは会話らしい会話はしなかった。無表情の水無月さんには威圧感があって、緊張してしまうのだ。
教室に入ると、私と同じ係の子が「ごめんね」と謝ってきた。私は「水無月さんが代わりに持って行ってくれたから大丈夫だよ」と笑う。その子は「えっ? 水無月さんが!?」と驚いていた。そしてすぐに怯えた様子で水無月さんのところに行き「ありがとうございました」と頭をさげていた。
水無月さんは自慢げな表情で胸を張っているけれど、余りに小さな表情の変化だから誰も気付かないらしい。雨に降られた日みたいに、大きく表情を動かしてくれればきっとみんな水無月さんを好きになるはずなのになぁ、となんだか残念な気持ちになる。
でもまぁ、私だけが水無月さんの気持ちを知ってるってのも悪くはない。
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