「シリアルキラー、ジョニー・ソガードの誕生」 ③

 ひょっとしたら会うかもと思っていたが、レックスは葬儀に姿を見せなかった。墓地でピートとの最後の別れのあと背後から聞こえてきた噂話によると、レックスは家を出てしまい、もうこの街にはいないらしかった。

 ジョニーは思った――彼は自分やピートと違い、学生の頃から弁は立つし世渡りも巧かったけれど、家には居辛かったのかもしれない。

 ピートの葬儀を理由に、仕事は二日間休みをもらった。そのあいだにジョニーは、ピートが云っていたように返事を伝えるためのカードを作った。厚手の紙に思いつくだけの言葉を書き、穴を開けてアルファベット順に綴じ、目当ての項がさっと開けるようにインデックスシールを貼った。

 工場に行くと、つけた紐をベルトに通してぶら下げておき、なにか云われるたびにぱらぱらと捲って相手に見せた。ちっ、やっぱり喋れねえのかよと面倒臭そうな顔はされたが、以前のように怒鳴られることはなかった。

 そして何人かの新しい同僚たちは、その努力を認めてくれた。見直したよ、仕事をやる気があるってのだけはわかったぜ。そう云ってアルヴィンというベテランらしい工員がジョニーの肩を叩くと、それを合図にしたかのように同じラインを担当する工員たちが好意的な態度に変わった。そういや友達があの飛行機に乗ってたんだってな、と気の毒そうに云われもした。

 よし、この不運なジョニー坊やをちっと元気づけてやろうじゃないか。と、その日の帰り、ジョニーは職場の仲間たちと飲みに行く、という生まれて初めての経験をすることになった。



 バーでは乾杯に付き合い、皆が駄弁っているのを聞いてにこにこしていればそれでよかった。よぉジョニー、楽しんでるか? と訊かれ、うんうんと頷けば相手もご機嫌だった。

 風向きが変わったのは、ボブという陽気な男がバーを出て女を買いに行こうと云いだしてからだった。ジョニーは自分は行かない、もう帰ると身振り手振りと僅かな単語で伝えたが、酒が入った工場の男たちはなに云ってんだとジョニーの背中をばんばんと叩いた。この先によ、わりと若い女が何人も立ってる通りがあるんだ。心配すんな、今日は可哀想なジョニー坊やを元気づける会だからよ、いっちばんいい女を持っていかせてやるぜ。

 ジョニーは困りきった顔をしたが、それを見てフレッドという、ボブとは対象的にクールな男が笑いながら云った。おいやめとけ。綺麗なお顔のジョニー坊やは、女に興味がないかもしれないぜ? それを聞き、ジョニーはぶんぶんと首を横に振った。ゲイに対して偏見などないが、自分がそう誤解されることは話が別だ。

 すると、ゲイじゃないならなんだ、童貞か? と誰かが云った。その顔で童貞!? なんてもったいないこった、と笑いが起こった。いやいやまさか。もしそうだってんなら、不能なんじゃないか? 冗談半分に当てずっぽうで云われた言葉に、ジョニーはかっと顔が熱を帯びるのを感じた。

 違う、違うとひたすら首を振り、次々と話しかけられカードを探したり必死に声を発したりしているうちに、ジョニーは皆と一緒に街娼を買いにいくことになった。




       * * *




「――シャワーを使いたいならどうぞー、私は後からでいいわ。ん? いいの? じゃあさっさと始めちゃいましょ」


 ジョニーは同僚たちに囃し立てられ、適当に目についたブロンドの娼婦を選んだ。同僚たちもそれぞれ気に入った女に声をかけて散ることになり、ジョニーは頑張れよーと冷やかされながら女と暗い路地を歩いた。

 こっちよと手を引かれ、小汚い連れ込み宿に辿り着く。フロントの老婦人が愛想もなにもない態度で云った額をジョニーが支払うと、女は慣れた様子でルームキーを受け取った。


 二階、手前から三番めの部屋はジョニーの自室より少し広い程度で、草臥くたびれた感じだった。ベッドとバスルームがあれば充分だろうと云わんばかりの、狭く暗い、ただセックスをするためだけの部屋だ。

 女は幾何学模様のジャケットを脱ぎ、壁際のコートラックに掛けた。白いノースリーブのミニドレス姿になった女は、思ったよりもほっそりとしていた。胸許はあばらが浮きでていて胸も小さく、若さのわりにかなり不健康そうに見えた。

 女に誘われるままにベッドに近づき、バックパックを床に下ろす。女はジョニーの金髪を撫であげ、その整った顔に触れながらうっとりと目を細めた。ジョニーはなにもせず、その場に突っ立ったままだった。じれったそうに唇を押しつけられ、シャツのボタンを外しタンクトップをたくし上げながら、胸許にいくつもキスを落とされる。そうして唇がジョニーの下半身にまで辿り着くと、女はおもむろに穿いているものを脱がせてきた。ズボンのジッパーをおろし、中の下着ごと下げられる。

「綺麗なペニスね。でも、恥ずかしがりやさんなのかしら」

 女は酒焼けや煙草の所為か低く枯れた声でそう云って、ジョニーのものを握り、口に含んだ。

 ジョニーは目を閉じ、思いだしていた――リンダ。初めての恋人。そしてブライアン。叔父に連れていかれた娼館のリタ。いずれのときも、ジョニーのものはまったく反応を示さなかった。朝、目覚めたときはしょっちゅう勃ちあがっているし、マスターベーションも偶にしている。でもどうしても、相手がいるとだめだった。

 そのうち言葉がでないことも相俟って、誰かと性交渉を持つことは諦めてしまった。

 女が離れ、ジョニーは無表情に目を開けた。その途惑った様子を見るのもこれで何度めだったろう――名前も知らない女は少し苛立ったように顔を顰め、じろりとジョニーの顔を見上げた。

「……なんなの? 私じゃその気になれない? それともあんた、オカマなの?」

 オカマじゃないし、君に魅力を感じないわけでもないよ。ごめん。心のなかでだけそう云って、ジョニーはシャツの前を合わせてズボンを穿き、バックパックを手に取ると女に背を向けた。

「ちょっとちょっと、なんなのよ! なんとか云いなさいよ、失礼な男ね! 帰る気!? ちょっと待ちなさいってば!」

 その声から逃げるように、ジョニーは部屋を飛びだした。軋む階段を駆け下り、フロントの前も突っきって外に出る。

 街灯もほとんどない暗い路地をひた走っているうち、僅かな段差かなにかに躓いてジョニーはすっ転んだ。無雑作に掴んでいたバックパックの中から音をたててなにかが飛びでた。ぅ、と歯を食いしばりながら顔をあげる――その先に見えたのは、棄てそびれていたフォールディングナイフだった。


 ――ああ、帰ってまたひとり、部屋で手首を切るのだろうか。結局、悪癖はやめられず、おとなになることもできず、職場の仲間たちのなかにも完全に溶けこむことはできない。家に帰れば母と顔を合わせるのを避け、日々の憂いや悩みを聞いてくれる友人ももういない。


 ジョニーは地面に膝をついたまま手を伸ばし、ナイフを拾いあげた。こんな人生、終わらせたほうがいいのかもしれない。もういい。もう疲れた――そんなことを思い、ジョニーがこれまで生きてきて何度めかの絶望に苦笑を浮かべた、そのとき。

「いた! ねえちょっと、あんたがってなくてもお金はちゃんと払ってよね! こっちはあんな小っちゃい役立たずのものでもしゃぶってあげたんだから! ねえ聞いてる? なんなのそんなところで這い蹲っちゃって。せっかくハンサムなのに、残念な男ね!」

 ぴく、とジョニーはその言葉に反応し、浮かべていた苦笑を消した。

 そして、まるで夢遊病者のようにゆらりと立ちあがると――振り向きざま腕を振り、ナイフで女の喉を掻き切った。

「――……っ!?」

 血飛沫が散る。声もだせず、女ががくりと倒れこむ。ジョニーはその上に馬乗りになり、今度は胸にナイフを突き立てた。白いドレスに真っ赤な薔薇の蕾が一輪、膨らんだ。ナイフを抜く。どくどくと血が溢れ、見る見る緋い染みが広がった。まるで蕾が一気に花開いたかのようだった。

 我を忘れ、ジョニーはもう一度ナイフを振り下ろした。二輪めの薔薇が咲く。気分が高揚する。躰の血が沸き立つ。さらにもう一度。ふと勃起していることに気づき、ジョニーは既に事切れている女の躰を、さらに刺した。

 何度も何度も。真っ赤な薔薇の花束は両手で抱えるほどになり、花弁は無数に散り、女の着ているものは真っ赤なドレスに変わった。刺すごとにその感触がジョニーを陶酔させた。それはまるで、初めてのセックスのようだった。

 そうして二十数回も刺したとき、ジョニーは射精した。

 血塗れになったナイフを握ったまま、ジョニーはゆっくりと立ちあがり空を見上げた。十月のひんやりとした空気は澄んでいて、星たちが瞬いてとても美しかった。ほーっと吐いた息が白く染まり、生きているんだとジョニーに感じさせた。


 ――生まれて初めて自分の居場所をみつけたような、そんな気分だ。


 ジョニーは血を滴らせているナイフを握ったまま、星空を仰ぐように両手を広げ――充ち足りた表情で微笑んだ。







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♪ "Nights in White Satin" The Moody Blues, 1967

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