僕がサンタだった一週間

hibana

僕がサンタだった一週間

「聞いてんのか、湯島」


 そう言われて僕は、「はぁ」と曖昧な返事をする。担任の二宮先生が、眉をひそめて「どうなんだ」と僕を問いただした。

「お前がバイトやってるって、他の保護者から連絡が来てんだ」

「なんか、暇な人がいるんですね」

 先生は呆れたような、むしろ感心したような顔で僕を見た。

「バイトやってんのか?」

「やってないです」

 そう言って、僕は「すみません、予定あるんで」と頭を下げる。「おい湯島」という先生の声を無視して、社会科準備室を出た。




 自転車に乗りこんで、バイト先へと急ぐ。

 校則でバイトが禁止されてると言ったって、じゃあ学校が僕の小遣いを出してくれんのかよ、って感じだ。

 僕には両親がいない。正確には、いるけどいない方がマシな親だった。小五の時親戚に引き取られ、何となく肩身の狭い思いをして生きてきた。育ての親はとてもいい人だし、別に虐げられているわけではない。だけど自分の昼飯ぐらい、シャーペンの替え芯ぐらい、自分で働いて買えなきゃあの人たちだって内心ではどう思っているかわからないのだ。


 現場に到着して早々、僕は真っ赤な衣装を着せられて道端でティッシュ配りをさせられることになった。この季節、通りには僕と同じような格好の人はちらほら見かける。すなわち、サンタクロースの衣装である。


 感情を無にしてティッシュを配り続けて一時間、僕はこちらをじっと見つめる視線に気づいた。

 子供だ。物陰から隠れてこちらを見ている。子供に注目されるのは珍しいことではないので、特段気にしなかった。


 やがて僕は休憩に入り、自販機で飲み物を買っていた。こんな格好で動き回っていると、冬でも汗が吹き出すものだ。

 ふと、先ほどの子供が僕について来ていることに気付いた。振り向くと立ち止まり、あからさまに背中を向ける。何か悪戯をしてくる様子でもない。

 子供に追いかけ回されることも珍しくはないが、それにしても時刻はすでに十九時過ぎだ。お世辞にも治安がいいとは言えないこの通りで、親は一体何をしているのだろう。


 子供は意を決したように、すました顔で僕の前を横切った。横切りながら、ちらちらと僕の方を見る。

 僕は怪訝に思いながらも、もしかしてとティッシュを手にして子供に「どうぞ」と差し出してみる。子供はティッシュを受け取って、「わーっ」といきなり歓声を上げ――――走り去っていった。


「なんだあれ……」


 僕はもう一度手元をまじまじと見つめる。店名が書かれただけの、ただのポケットティッシュである。まあ子供は変なもの欲しがるからな、と納得して僕は仕事に戻った。




 次の日、同じように僕がサンタ服でティッシュ配りをしていると、昨日の子供がまたこちらを覗いていた。昨日よりは早く心を決めたようで、僕の前をゆっくり通り過ぎようとする。またちらちらと僕の方を見るので、僕はまたティッシュを手渡した。子供は見るからに興奮した様子で、ティッシュを両手で掴んでじっと見つめている。

「そんなにティッシュが好きなの」とうっかり声をかけてしまったのは、単なる気まぐれだった。

 子供は言った。「チケットでしょ!!」と。

「何?」

「これ、サンタさんの国にしょうたいするチケットでしょ!!」

 僕は激しく動揺した。「ち、違うよ!」と大きな声を出してしまう。


 ちょうど交代の時間だったので、僕はその子供の服を掴んで引きずるように端に避ける。

「これは、ただのティッシュだ」

 子供はよくわからない顔で、怪訝そうに僕を見た。僕は困惑しきって、「あー……」と頭を掻く。

「そう……チケット……チケットかもしんないけど、今は使えないの。大人になって、いい子のまま大人になった子だけが、そのチケットでサンタの国に行ける。だから、今は使えないの。わかる?」

 子供は見るからにしゅんとして、「そっかぁ」と残念そうに言う。それからティッシュをまじまじと見て、今度はなぜか興奮した面持ちで「そっかぁ!」と大事そうにそれを抱きしめた。

 自分が何だかヤな大人になりつつあるな、と思いながら僕はため息を吐く。


「ボク、名前は?」

「じゅんぺー」

「いくつ?」

「ごさい」

「お母さんか、お父さんは?」

「『そこのコンビニでトイレしてます。ぼくはここでまってます』」


 突然すらすらとそう言ったので、僕はきょとんとしてしまった。そんな僕を尻目に純平という子供は、「ばいばいサンタさん」と言って走って行ってしまう。


 僕はぼうっとその後ろ姿を見て、一瞬の気の迷いで、純平の後をつけた。

 だって、なんか……気になるだろ。


 純平は子供の足でも五分くらいのアパートに入っていった。三階の右から二つ目の部屋に入っていく。自分でもこんなところまで見ているのは気持ち悪いなと思いながらも、しばらくその部屋を見ていた。純平が入っていった部屋は真っ暗で、そしていつまで経っても暗いままだった。


 帰り道、コンビニの前を通った。

「あれ? お前、湯島?」

 僕は正直飛び上がるほど驚いて、声の主を見る。コーヒーを片手にコンビニから出てきたのは、二宮先生だった。


「お前、その格好……」

「趣味です」

「そうか、趣味なら仕方ないな。だがこの時間だ。補導される前に帰れよ」


 あっさり解放されて逆にびっくりする。「その格好、お前が思ってるより目立ってるからな」と言って、先生は肩をすくめた。




 次の日も純平は来た。「サンタさん……」とはにかんでいる純平の頬が、心なしか赤く膨らんでいる。思わず触れると熱を持っていて、「どうしたの、ほっぺた」と尋ねると純平はにこにこ笑っているだけだった。

「叩かれたの? お父さん? お母さん?」

「うーん」

「叩かれたんだろ?」

 純平は不思議そうな顔で「たたくよ」と当たり前のように言った。

「おとうさんは、おとうさんだからたたくよ。でも、ぼくがいい子ならたたかないよ。みんなそうでしょ?」

 なんと言っていいかわからなかった。「おまえは、」と呟いて言葉を詰まらせる。

「でも、叩かれるの嫌だろ?」

「いやじゃないよ。いい子だったらたたかれないもん」

 純平はちょっとムッとした様子で「ばいばい」と言って背を向けてしまう。僕は走っていく純平を見て、俯いた。


 その後も毎日純平は姿を見せた。時々傷が増えたりして、たとえば腕をまくらせれば痣がいくつも見つかったりして、僕はそのたびにひどく嫌な気分になった。純平のために怒っているのか自分のために怒っているのかわかったものじゃなかった。


 純平といると、色々なことを思い出す。


 僕は小五の時、別に助けてほしくなんかなかったんだ。助けなんていらなかった。いつからか親のことが憎かったし、この手で殺してやろうと思うほどだった。


 違う。助けてほしくなかったわけじゃなかった。んだ。僕は僕が両親を憎むほどになる前に、あの場所から助け出してほしかった。親のことを嫌いになりたくなかった。


 歩き出す。

 思えば僕のところにサンタクロースなんて一度も来なかった。来てほしかった。プレゼントなんて何もなくていい。あの大柄でもじゃもじゃの髭で、僕のことを力いっぱい抱きしめに来てはくれないかと、僕は毎年そう思ったものだった。


 気づけば、先日訪れたアパートの、純平が入っていった部屋の前に立っていた。今日は部屋の灯りがついていて、中から怒鳴り声が聞こえている。

 僕は口から飛び出しそうな心臓を押さえつけ、インターホンを鳴らす。

 怒鳴り声はぴたりと止み、伺うような沈黙。もう一度、インターホンを押した。


 しばらくして、ドアが開いた。現れたのは、フリースをきた男だ。どうやら僕みたいなガキに生活を邪魔されたのが気に入らないらしく、最初から「何の用?」と喧嘩腰で言われた。

「純平くん、いますか」

 男はちらりと中の方を見る。イライラしているようだった。たぶんここで引いたら、僕のことすら純平のせいにして純平を殴るだろう。

「純平くんと会わせてください」

「なんで?」

 不意に男は落ち着いた声で、「お兄ちゃんいくつ? こんな時間まで何してるの? 

人んちまで来て、お巡りさんに補導してもらうよ」と言った。僕は歯を食いしばり、男の脇をすり抜けて中に入る。男が「おい」と叫んだ。


 純平は部屋の隅で、泣きながら自分の頭を守っていた。

 僕は男に肩を掴まれて、殴り飛ばされた。ほとんど腰を抜かしながら、僕は純平に近づく。純平、と呼べばびっくりしたように子供が顔を上げる。


「お前は……っ、いい子だよ」


 そう言って、僕は純平を抱きしめる。

「お前はいい子だよ。叩かれる理由なんてないよ」

 純平が、声を殺して泣こうとして、でも嗚咽が漏れるのを聞いていた。


 ふと、床が軋んだ。振り向けば、男が僕たちのことを見下ろしている。怒っているというよりはひどく面倒そうな顔で、重そうな灰皿を振り上げていた。


 僕は純平を抱きしめながら、目をつむる。しかしいつまでも覚悟していた衝撃はなく、恐る恐る目を開けた。男の腕が誰かに掴まれている。


「何してんだ、あんた。相手は子供だぞ」


 僕は驚愕し、力の抜けた声で「二宮先生……?」と呟いていた。


「……勝手に部屋に入られたからだ」

「そうだとしても、抵抗の意思がないことは誰が見てもわかる。過剰防衛だ」


 一瞬の沈黙の後で、男は二宮先生のことを灰皿で殴った。先生はふらついて、「湯島、その子を連れて奥に行ってろ」と叫んだ。


 僕は震えながら純平を腕に抱いて、奥の寝室らしき部屋に入る。まるで兎か子犬のように小刻みに震えている純平を抱きしめていた。

 ――――余計なことを、してしまった。絶対に、そうだ。僕は余計なことをしたのだ。純平だってこのままでよかったかもしれないし、先生まで巻き込んで、僕はここで震えてるだけだ。


 俯いたまま、どれだけ時間が経っただろう。

 突然ドアが開き、僕は身構えた。

 二宮先生が、僕と純平を見つけて抱きしめる。「怪我はないか」と言った先生のこめかみから血が流れていて、僕は「なんで」と泣いていた。

 なんでいるんですか、とか。なんでこんな面倒なことに首突っ込んだんですか、とか。どう考えても僕たちより自分の方が怪我してるでしょ、なんで真っ先にそんなこと気にしてるんですか、とか。そういうのが全部、言葉にならなかった。




 先生は僕と違って突入前に通報を済ませていたらしく、すでに警察が来ていた。僕たちは事情聴取の前に治療が先だと判断され、病院に行くことになった。

 僕は口の中を切っていたぐらいで止血されて終わったが、先生は五針ぐらい縫ったらしい。


 治療を終えた僕を迎えに来た養父母が、僕のことをきつく抱きしめて泣いていた。なんで泣いてんだよと思って、僕もまたちょっと泣いた。




 数日後、休みの日に僕を呼び出した二宮先生が煙草を吸いながら、言った。

「お前やっぱりバイトしてたじゃねえか」

「今さらそんなことどうでもいいじゃないですか……」

「しかも親御さんに言ってなかったらしいな」

 あれから養父母とはよく話をした。養母ははがきっぱりと、『あんたの昼飯代ぐらい、シャーペンの替え芯代ぐらい、出すつもりもなく親を名乗ってると思われていたんなら心外だ』と言い、僕はバイトを辞めることになっていた。


「……結局、先生に迷惑かけて、僕は震えてるだけで、情けなくて、かっこ悪かったですよね」

「何言ってんだ。子供が子供守って死ぬなんて、美談でも何でもないだろう。ああいうのは大人に任せろ」


 そう言って先生は僕の髪をぐしゃぐしゃにする。そんな先生のこめかみの辺りには、まだ大きなガーゼがくっついていた。

 それから先生は、僕に何かを差し出してくる。何だろうと思って見ると、それは子供向けアニメのキャラがプリントされた棒付きチョコだった。しかも二つある。

「なんですか、これ」と僕は尋ねる。いくらなんでも高校生が喜ぶような代物じゃない。

 先生は笑った。

「馬鹿野郎。お前、サンタさんなんだろ。プレゼントの一つくらい、持ってなくてどうする」

 そう言って、どこかを指さした。僕が顔を上げると、そこには大人に連れられた純平が立っていた。純平は大人の背中に隠れて、ちらちらと僕の方を見ている。


「ほら、純平くん。サンタのお兄ちゃんだよ。会いたかったんでしょ?」


 大人の人がそう促しても、純平は頑なに姿を見せようとしない。僕はゆっくり近づいて、純平と視線を合わせた。

 人の褌で相撲を取るみたいでこっぱずかしかったけれど、チョコを差し出す。


「メリークリスマス。また会えて嬉しい」


 純平は飛び出してきて、僕の首に抱き着いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕がサンタだった一週間 hibana @hibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ