第33話 第三章 ターミナル start / end
第三章 ターミナル start / end
列車から駆け降りた途端、潮の香りが強くなった。
▽急げベルカ!
幾本もホームが並んだターミナルをベルカが走る。鉄骨が支えるガラス張りの天井から、春霞の淡い光が差し込んでいた。
ホームを行く人々の流れは、多くは正面改札へと呑み込まれていく。その流れに逆らって、俺たちは人気のない連絡通路へと歩を進める。
通路を抜けると突然、雲の多い空が覗く。海風が、ニット帽から溢れたベルカの髪を撫でていく。
そこは、正面改札と比べれば笑ってしまうほど小さな、それでも立派な改札だった。駅員の待機小屋とゲートが用意され、その先には屋根付きのプラットホームが海に向かって伸びている。
改札の窓は閉まっていた。ベルカが慌ててガラスをノックすると、煙草の煙と共に駅員が怪訝な顔を覗かせた。
「正面改札はあっちですよ」
「いえ、あの、列車は……」
「列車?」
駅員は、まだ状況を掴み損ねているらしい。自分が改札員だというのに。
「エゾに渡る列車です!」
焦りを滲ませたベルカの声に、駅員はようやくハッとして、改札の向こうを見やった。列車の影すらないプラットホームを、駅員とベルカが無言で見つめる。
「ついさっき、出発しました」
がっくりと肩を落とすベルカに、駅員は目を瞬いて訊ねる。
「ひょっとしてお嬢ちゃん、列車に乗りたかったのかい? あの列車が、どこに行くのか解っているのかい?」
当たり前だ。
「ぼくは、旅人です……」
ベルカは懐から旅券──緩衝地帯が発効している身分証──を取り出し、駅員に見せる。
駅員はベルカの姿と旅人という言葉に驚いたようだったが、旅券が本物であることが解ると、それ以上追及することはなかった。
「今日の列車はさっきの一本で終わりなんだ。残念だけど、また明日来てもらうしかないね」
「……はい」
「択捉やら樺太がきな臭いってときに、物好きなもんだね……」
落胆するベルカを酔狂な者を見るように一瞥して、駅員はガラス戸を閉めてしまった。
▽仕方ない。今日は街で一泊しよう。
「うん……」
未練を感じさせるベルカに、思わず笑みがこぼれる。
▽そんなに乗りたかったのか? 列車。
「だって、楽しみにしてたんだもん……」
俺たちが乗ろうとしていたのは、教会の支配地域である列島の最北端の街から、大学の支配地域であるエゾへと渡る唯一の「陸上」交通手段である青函連絡列車だった。
かつて、エゾが北海道と呼ばれ列島と同じ国家に属していた頃は、列車でエゾに渡るには海底トンネルを通っていたらしい。
だが、そのトンネルは生命戦争中に破壊され、ついぞ再建されることはなかった。その代わりに作られたのが、海上を列車で渡るために作られた長大フロート軌道だった。
現状ではめったに利用者のない列車を一日に一本だけ走らせている赤字路線だ。
それでも廃線にならないのは、万が一、戦争が再開した場合(生命戦争は実際には休戦状態なのだ)、この橋が互いの勢力にとって第一級の戦略拠点たり得るからなのだった。
ただでさえ良好とは言えない教会~大学間の路線を利用する者はいない。それでも、各勢力のしがらみの外にいる一部の旅人には人気があって、現状世界最長の海上フロート橋からの眺めは一見の価値あり、と言われていた。
雲は多めだが、風は穏やかで海上にも波はほとんど見られない。列車に乗っていれば、一面の海原を車窓から楽しめたことだろう。
▽明日は、晴れると良いな。
「そうだね……」
バイタルステータスが示す残存電力には幸い余裕がある。ここで足止めを食らっても、被害はベルカの機嫌を損ねる程度で済む。
ならば、それも早々にリカバリーしておかねば。
▽宿を見つける前に、喫茶店でお茶でもしてこうぜ。リンゴが名産らしいから、きっと美味いお菓子があるぞ。
「うん」
食い物の話題にすぐさま反応したベルカの食い意地に笑みを噛み殺す。
「どうしたの?」
▽いや、別に……
ベルカが頬を膨らませる。
「……食べ物を与えとけば機嫌を直すちょろいやつ、とか思ったんでしょ」
▽え、違うのか?
「違うよ! シツレイな……いい?ユーリ。ひとは食べ物だけで生きるにあらず、だよ」
▽じゃあ他には?
俺のからかいに、ベルカは春先の空を見上げて首を傾げる。
「信念、とか……?」
観光案内所で地図を手に入れ、手頃な喫茶店を探すことにした。
▽……といってもこの地図じゃ店の名前しか解らないな。
俺一人なら適当に街をぶらついて最初に見つけた一軒に入ってしまうのだが、どうやらベルカはしっかり調べる派らしい。
「もっと情報が載ってるやつないかな……」
ベルカが首を傾げて唸る。このままでは書店でガイドブックを買うとか言い始めかねない。
▽いや、その辺の人に訊けばいいだろ。
「……うん、まぁ」
曖昧な返答をするベルカの顔は、あからさまに渋っていた。いまだにベルカは自分から他人に話しかけるのが苦手なのだった。
▽あのなぁ、下手な本に載ってる店より、地元の人間が薦める店の方が断然いいんだって。
「それはそうだけど。……ほら、本なら持ち歩けるし」
俺は溜息をつく。ベルカはもうちょっと社交性を身に付けた方がいい。人間社会に上手く溶け込むためにも、旅をもっと楽しむためにも。
▽却下却下。明日離れる街の本買ってどうするんだ。ほら、俺が話しかけやすい人見つけてやるから、ベルカから訊け。
「え、え、ちょっと……」
慌てるベルカを無視して、俺は周囲を観察する。ベルカと(見た目上)歳が近く、出来れば同性。おしゃべり好きな女学生でもいれば丁度いいが……
ちょうどそのとき、俺は一人の少女を見つけた。
丈長のコートを羽織り、つば広の帽子を被っている。見た目は十代後半といったところで、年頃はちょうどいい。
手足が細く、すらりと背が高い。日焼けを知らないまっさらな白い肌だった。
少女は、こちらを見ていた。いかにも旅人といった風体のベルカが気になるのかもしれない。
こちらに関心を持っているのなら尚のこと話しかけやすい。都合の良いことに、少女はこちらに近づいてくる。
▽ベルカ、あの子にしろ。……あ?
少女が、俺たちの前で立ち止まっていた。
「ねえ、あなた」
ベルカを見つめ、少女が口を開いた。
「……ぼく?」
「そう、あなた」
決して大きな声ではないが、凜として良く通る声だった。性格が滲み出ているような、切れ長の瞳が俺たちを鋭く見据えている。
少女は更に一歩、ベルカに近づくと腕組みをして首を少し傾げた。
「あなた、さっきターミナルにいたでしょ?」
疑問形を取っていたが、少女の口調は断定的だった。
「え、うん……」
「あのターミナルから出る列車がどこに行くのか、解っていてあそこにいたの? 列車に乗ろうとしていたの?」
その言葉で、少女の言う「ターミナル」が、青函連絡列車の発着場を指していると知れた。俺の中で警戒心が首をもたげ始める。
「うん。知ってる。ぼくは、列車でエゾに渡ろうと思ってたから」
ベルカの言葉を、少女は目を細めて、僅かに首を傾けたまま聞いていた。
「本当に?」
「本当、だよ。ぼくは旅人だから」
ベルカが旅券をポケットから覗かせる。少女はベルカを爪先から頭のてっぺんまで舐めるような視線を送る。
「ずいぶん大きな帽子だね」
ベルカの帽子を見て少女が、まるで責めるような口調で言った。自分だってでかい帽子を被っているくせに。
「気に入ってるんだ。可愛いでしょ」
にへら、と笑って答えるベルカに、少女が手を差し出す。
「ちょっと貸して」
ベルカの笑みが、ピシ、と固まった。
「……帽子を?」
「そう」
「だめ」
「なぜ?」
両手で帽子を掴むベルカに、少女の目が、きゅうっ、と細くなる。
「いいでしょ、少しくらい」
「だめ。」
「どうして? 理由は?」
「どうしても」
▽おいベルカ、その辺にしておけ。逃げた方がいい。
「帽子に触られたくないの? それとも──」
少女がぐい、と顔をベルカに寄せた。後ずさったベルカの背が、どん、と壁にぶつかる。
「帽子を取りたくない理由でもあるのかな?」
ベルカが壁伝いに逃げるよりも早く、少女の手がベルカの頭に伸びた。
ベルカが悲鳴のような声を上げる。少女の白くて細い指が、ニット帽を鷲掴みにして強引に引っ張った。
「……やっぱり」
少女がかすかに震える声で、満足げに呟いた。その手にニットをぶら下げながら。
「返して」
ベルカが少女を睨む。三角形の狼の耳──つまり超高感度の万象記録素子センサ、であると共に俺でもある──をさらしながら。
「その耳……あなた、人造妖精でしょ?」
「だったら、どうするの」
ベルカにしては珍しく好戦的な口調だが、言葉尻が震えている。
こうなってしまった以上、俺たちが取るべき行動の選択肢はそれほど多くはない。
一つ、一目散にここから逃げ出す。
二つ、少女のなすがままにさせて、
三つ、少女を「いなかったこと」にする。
ベルカも重々承知の上だろう。あらゆる状況に耐えられるよう、彼女の感情がすっと冷え込むのを感じた気がした。
「ちょっと、お茶でもしない?」
四つ、少女とお茶をする。
「……え?」
▽は?
四つ目の選択肢の提示と共に、少女はベルカの頭に帽子を被せた。
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