第28話
宿に戻り、ドアに鍵を掛ける。
ずっと被りっぱなしだったフードを振り払うと、ベルカはコートを脱ぎ捨てる。
壁に掛けられた姿見に、ベルカの姿が映り込む。
十代半ばに見える、美しい少女。
艶やかな栗色の髪に、鉄錆色の瞳。身に付けたワンピースから、すらりとした手足が覗いている。
ベルカの頭の上で、ぴょこぴょこ動くものがある。
三角形で、髪の毛と同じ栗色の毛で覆われているそれは、どこからどう見ても耳だ。ただし、人のものではない。
ベルカの頭には、狼の耳が生えている。そして、それが俺だ。
ベルカがそっと手を伸ばす。彼女の手の柔らかさと暖かさが、俺の弾力のある身体を優しく撫でる感触が、超高感度の万象記録素子センサである俺には解る。
「おつかれさま、ユーリ」
▽お前もな、ベルカ。
かつて俺が、生身の身体がある旅人だった頃、とある場所で事故って「ほとんど死体」になった。そこをベルカに救われた。
肉体は失ったが、ベルカの頭部に搭載された万象記録素子センサのメモリに精神を乗せ換えて、彼女と一緒に旅を続けている。
ベルカは人間じゃない。
人を喰い殺すことでしか生きることのできない人造生命、人造妖精だ。
ベルカがベッドに倒れ込む。ぼふん、と身体が跳ねて布団に沈み込む。
人造妖精は基本的に睡眠を必要としない。それは、肉体を持たない思念体となった俺も同じだ。だが、ここ最近ベルカはベッドに横になることが多い。
「すこし眠るね。節約しないと」
▽そうだな。周辺警戒は任せろ。
「おねがい。じゃ、おやすみ」
▽おやすみ。
ベルカが瞳を閉じる。休眠モードに入った身体から、放熱によって作られていた疑似体温がゆっくりと抜けていく。
周辺警戒レベルを必要最低限に絞り、俺も消費電力を抑える。バイタルステータスを開き、数値に目を通す。
現状のまま《食事》を摂らずにいた場合、ベルカが活動できるのは五日と三時間四十九分。
それがベルカに残された残存電力であり、電力消費のカウントダウンは彼女と俺の余命そのものだ。
ギリギリをくぐり抜けるのはこれが初めてじゃない。それでも、渡っている橋が背後で崩れていくようなこの焦燥感には慣れることができない。
もし、ここでダメなら他の街へ行かなければならないが、これ以上もたつくと、移動することさえままならなくなる。
口も肺もないのだが、溜息がもれる。
ふと、窓の外から女性の怒鳴り声が聞こえた。
「言うこと聞かない子は、人喰い妖精にやっちゃうからね!」
母親の怒鳴り声に、子供の泣き声が重なる。ごめんなさいと謝る子供に、母親はちゃんと言いつけを守るように言って聞かせる。
「ごめんよ母ちゃん、だから人喰い妖精にはやらないで」
人喰い妖精か。俺も子供の頃ばあちゃんに尻叩かれながらよく言われたな。
言いつけを守らない子供を叱るときの常套句。土地は違えど大人のやることは一緒なのだと、妙なところで郷愁を覚える。
悪い子は森に住んでいる人喰い妖精に食べられてしまう。子供の頃は本気で信じていた。
ここで問題。人喰い妖精は人を喰う。何故か?
答えは簡単。人喰い妖精は、人を喰わねば死んでしまうからだ。
ベルカの体内には、電力を生産するための有機転換炉が搭載されている。だが、その有機転換炉は生きた人間にしか口を開かないのだ。
《人食い妖精》――つまり人造妖精は、旧世界を荒廃させた《生命戦争》中に投入された生体兵器だ。
戦争が終わる(正確にはまだ休戦状態なのだが)と、ベルカは仲間たちとさ迷うことになった。
そしていつしかベルカは一人きりになり、そして俺と出会った。
運命共同体となったベルカを、俺は旅に誘った。旅人に必要な技能を教え、街での身の振り方、人との交流の仕方を学ばせた。
ベルカはかなり、旅人として成長してきた。だがどんなに旅慣れても、俺たちには慣れることのできない問題があった。
人造妖精の脳は、人間をベースに設計されている。だから当然、彼女たち人造妖精には人格があり、心がある。
では、人の心を持った彼女たちが、人を喰い殺し続ければどうなるか。
《
人造妖精が生きていくためには人を喰い殺さねばならない。
しかし、精神は殺人の罪悪感に耐えきれない。
だが喰わねば死ぬ。
ならばどうするか。
獣が獲物を狩るのに罪悪感を覚えたり葛藤したりはしない。
人殺しの罪悪感を感じ得ないように、精神を自ら破壊する。それが、獣堕ちの正体だ。
俺たちは生きていくために、人を喰い殺す。
だが、人を喰い殺せば心が犯される。
ならば出来るだけベルカの心を傷つけず、人を喰い殺さねばならない。
殺しても心が痛まない人間。
言うなれば「可害者」探しを、俺たちは続けている。
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