第3話 ジュゼッペ・ダッラ・ベッティオル伯爵別荘屋敷大事件(上)

☆☆☆突然の遠征!


自分がこの異世界に転生してから、かれこれ月日は経つが未だに勇者を引退できていない。


無数な騒動に巻き込まれては綱渡りの中で生還してきた。


そのたび自分に対する評価は高くなっており、更なる期待で押しつぶされそうになっている。


賞賛を素直に喜べないのも全てステータスが一向に上がらないせいだ。そもそも自分が倒したモンスターは存在しない。


結局雑魚勇者のままなので、いつもバレないかヒヤヒヤして虚勢を張り続ける。


マジョーナが突然クエストを持ってきた。


「エクシリオの功績が素晴らしすぎて飲みの場が多くその費用は全て勇者パーティーが負担しています」


四天王の撃退。激辛ゴブリンの共存以外にもいろいろな問題を解決してきた。


例えば、反勇者勢力なるものが存在しており、勇者の名を御旗に掲げ争いを起こそうとしているのではないかといちゃもんをつけられた。。


他にも街に現れる変質者と戦ったこともあった。


こいつが驚きで犯人は人類を裏切り魔法軍に仕えた弱小悪徳貴族であり、

許嫁に婚約破棄をされたため人類に復讐ことを誓ったらしい。


かなりの実力者であり、戦いで苦戦を強いられる。

(そもそも自分がタイマンで勝てる相手は存在しないが)


「全ての女性は俺のものだ」


その言葉を聞き、娼婦街から枯れてもなお、活力満点な女性たちの部屋に閉じ込めて倒すことに成功した。


悲惨な末路を辿ったらしい。あぁ怖い。絶対あの部屋には入りたくないものである。


――っと、他にも迷子のペットの救出や潰れそうな防具屋の復興などいろいろとあった。


その後の飲みの場で予算も考えずに協力してくれた相手に酒を振舞ったのである。


そして今、こうして付けが回ってきたというわけである。


「――あぁ、そうでなくては、勇者でないだろうに」


「それで今私達はほぼ資金が尽きかけています」


四天王追っ払っても金にならない倒していないし。


それに、ゴブリンの件だってあの集落が儲かってるだけでこちらには最低限の報酬しか受け取っていない。


普通。勇者なら無料でどうぞ! とかあるでしょうに、自分から迫るのはリスクがありすぎるのでやめるが……


そんなに金なかったのかこのパーティー


「――つまり、いい加減冒険者としてのクエストを受けろということか」


「そういうことです。このクエストは結構お金になります」


「――いいだろう、だが、あくまで、救うのは依頼人だ。お金を目的にクエストを受けるわけではないという旨を伝え――」


「そんな建前はいいです。さっさと向かいましょうエクシリオ!」


最近自分に対する扱いが雑な気がするな~


いつものように馬車での旅になるが一日や二日で着くところではなく、結構時間が掛かる。


少し肌寒く感じ毛布を羽織っている。いや、かなり寒い。


「ついたぞー! エクシリオー」


どうやら山に登るらしく馬車での旅はこれまでらしい。


正直に言えば日本の冬よりも寒いと言っても各地で違うか。


東京の冬より寒いんだなこれが。


いや、冗談じゃなくて凍死するんじゃないのこれ。


氷雪地帯。なんか氷属性のモンスター出てきそうだ。


自分には縁がないけど、そもそもモンスター倒せないくらい弱いし。


だけど最近はそんな自分を受け入れることが出来てきた。


意外とうまくいくもんだと……でも


氷山を武装したまま上るのは現代人の体力では辛いですって。


割と今までで一番ピンチな気がする。


身体は重いし装備も重い。きついっての……


金に釣られてこんなクエスト受けるんじゃなかった。


そんな時に足場が不安定なことに気付く。


「――おや」


すると、地面がガタガタと大きく揺れる……これは!


「あわわわ! 地面が揺れています! 安全なところに!」


「落ち着け、ここは皆で固まって――な!」


自分の立っていた地面がめきめきと割れ体勢を崩す。


すると、身体は下へ下へ向かい落ちていることに気付く。


「エクシリオさーん!」


ジエイミの声だけが聞こえる。あぁ、これはダメかも……死にたくないな……


…………



☆☆☆目覚め。


目を覚ますと……神様のいたところではなく高級なベッドだった。


いつも使っている宿屋のベッドとは大違いだ。


だけど、ここは一体どこなのだろうと……痛みはあまりない。


覚えているのは氷山の地面が割れて落ちていったことだけだ。


どうしたものか、とりあえず武器……はあってもなくても一緒か、それよりも現状を把握することを優先しないと。


「目が覚めましたか。あなたは勇者様でお間違いないでしょうか?」


紳士的な執事服を着た老人。この高級そうなベッドということは……どこか高級な屋敷にでも拾われたか?


こんな氷山の中にポツンとあるのものなのか……


「――あぁ、エクシリオ・マキナだ。助けてくれたことに礼を言う」


素直に頭を下げる。


「それと現在の状況が全く把握できていないのだが、説明を頼めるか」


もう聞いた方が早いだろう。


「はい、ここはジュゼッペ・ダッラ・ベッティオル伯爵の別荘でございます」


知らない名である。伯爵という名からして、貴族の別荘へ訪れたみたいだ。


それで伯爵ってどれだけ偉いんだっけ……


ファンタジーの漫画とか全般見ていた時に、おお! 伯爵だ! ってなるけど、正直どこまで偉いのか分からずに流していた。


クソ後悔だ! こんなことになるなら爵位全て覚えてから異世界に行けばよかった……


執事の話によれば、自分は屋敷の近くで倒れて気を失っており、屋敷のメイドに発見されてこちらまで運ばれたらしい。


しかしあのまま倒れていたら自分は死んでいたに違いない。ひやひやしたな。ひんやりしてるけど。


自分が意識を失った時間もそこまで長くはないみたいだ。


と言っても、窓の外を見る限りこの吹雪じゃ時間なんて概念忘れさせるか……あぁ、凄く寒そうだ。


彼の名前はオスカル・ノヴェリ。伯爵に仕える優秀な執事だ。


伯爵はカクセイロン王国内の政治のいざこざに嫌気がさして、引退を考えているみたいだ。


引退したいというのは親近感あるが、別荘でこんないい建物に住むのはどうも……ねぇ?


「――他にも、近くに倒れていた者はいなかったか?」


「いいえ、勇者様以外には誰の姿も確認していません」


つまり、落ちたのは自分一人で三人は逃れたのだろうか……だとしたら見捨ててそのまま帰るとかないよね?


でも、ヤィーナとか、自分のこと結構目の敵にしていたし、マジョーナも扱い雑になってたし……


ジエイミちゃんはさすがに見捨てないだろうけど。見捨てられたら泣く自信がある。流されやすいからなぁ……


「――そうか、手間をかけてすまなかったな……仲間に心配をかけるわけにはいかないので――」


立ち上がろうとするも、執事に止められる。


「この吹雪の中で仲間を探しに行くのはいくら勇者様であっても自殺行為です」


よし来た! 泊めてくれなんて頼めないから、一度は出ていく素振りを見せておく必要があった。


「どうか吹雪が収まるまではこちらに滞在していただいて構いません。食料にも余裕があります」


「――そうだな、もしかすれば仲間と入れ違いになる可能性もある。すまない。お世話になることにする」


成功だ。貴族のご飯が食える!


普段食べている格安弁当以下の異世界飯よりもさすがに豪勢だろう……


☆☆☆食堂の人物達


屋敷内は広くかなり豪勢な作りになっていた。


シャンデリアとか初めて見るし、お屋敷特有の複雑な階段もある。


そしてやることは一つ、かっこよく降りることだ。


食堂へ向かうとかなり広い部屋に長い机が並ぶ。


良く魔法学校で見る奴だ。


素直に感心した。周りにはぼちぼちと人がいる。


冒険者が三人か、どうやら食事は終えているらしい。


その他にもメイドが一人片づけをしていた。


「あれ? あなたは勇者様~? どうしてこんなところに……」


かなり遊んでそうな女性が自分に気付きこちらへ赴く。


布面積が狭く胸もほぼ見えそうだ。こんな寒いのになんて格好しているんだよ……


正直勇者だしワンチャンあるのでは? と思ったが、その時にふとジエイミちゃんの顔が過ったので落ち着いて対応する。


すぐに胸から目を反らす。その間僅か0.1秒。


それ以上見ていればその視線に気づかれてしまう。勇者が胸を見ていたとなれば信用がガタ落ちになる。そんなことはさせない。


「――エクシリオだ。強敵との戦いで傷ついてここに流れ着いた。吹雪が明けるまでお世話になる予定だ」


「そうなんですか~? 勇者様って~お酒とか飲むんですか? あ、私ビチーミで~す ちょっと氷山でそうなんしちゃって~ここにお世話になっています~」


ぐいぐい来るなこいつ……このビッチめ!


すると、茶色く肌の焼けたチャラそうな男も会話に入ってきた。


「ビチーミ。お前みてぇな女じゃ勇者にゃ似合わんっしょ、まじやばいっしょ」


あぁ、自分の苦手なタイプの相手だ。


「あぁ、俺っちはチヤラっす。勇者様って、結構なやり手なんすきゃ? 何人のコレいるんすか?」


こいつも下世話なことが好きみたいだな。正直に言えば自分だってモテ願望はあった。あったのだ……


それこそ信仰対象である勇者なので普通に女性から支持されている。きっと、その気になれば女性の一人や二人くらい、簡単にひっかけられるが……


もしそういう行為が話題になれば、勇者の品格が疑われてしまう。


「――ないな」


「え、マジっすか? そんじゃ、経験も?」


うなずく。さすがにここで虚勢を張るのはかっこ悪い。だけど恥ずかしがることはないのだ。言い訳は考えた。


「――少なくともこの世界が平和が訪れるまで俺にはその権利はないと考えている」


忙しいから今は女はいない。恋人がいない奴が絶対にする言い訳だ。


「――でも、全てが終わった後なら、一人の女性を愛すると誓いたい」


「えーじゃあ、子孫残せないっしょ! 損してますって世界に平和なんて訪れるわけないっしょ」


チャラ男の言葉にビチ美も続く。


「ど~せ魔王軍とか倒しても人類ってぇ、共通の敵をまた作らないと生きていけないと思うんすよぉ~」


なんかしれっと真理説いてきたんだけど。人類史の歴史的に否定しづらいし。


そもそも世界に平和が訪れないってのは自分も同意見なわけで……


「そんないつ訪れるか分からない平和って、なんの意味あるんですか~? 私達は~今あるこの時間を遊んでいたいなって思うんですよぉ~」


そうして公共の場なのにも関わらず二人はキスをする。


うぜぇ……バカップルめ。自分たちの世界に入りやがって!


「――まぁ、それぞれの考えがある。それはさておいて……」


視線を二人から反らすと食事を配膳する無表情で目が死んだ白髪のメイドさんがいる。


自分よりは年上だろう顔は整っているほうであるが無愛想であるため。残念だ。


執事に助けてくれたのはメイドさんだと聞いた。礼を言っておこう。


「――君が俺の恩人か?」


こくりと頷くとすぐに仕事に戻った。


「――礼を言う。少なくとも君が見つけていなければ死にはしなくとも回復は遅れていた」


「……ぃぇ」


めっちゃ声小さいな。ジエイミちゃんだってもう少し大きいのに。


「あーそいつダメっすって。声をかけたのに全然返事してくれないで、ただぼそぼそと仕事しているだけっしょ」


「それに~何か『暗い』ですし~それだと貴族の『位』授からないですヨ~『くらい』だけに……ご飯を『食らい』ます~ぎゃははは!」


チャラ男とビチ美はご飯を食べだす。随分とギャグが『クライ』マックスのようだ……じゃなくて! おや?


「ぶふふ……ぶぶぶ……」


メイドさんめっちゃ笑い堪えてない? こんなので笑うなんて異世界人ってツボ浅いんだなぁ……


だとすれば……お笑い芸人が異世界に転生して笑いで世界を変えていくという小説書いとけば売れたのかな……


名を『芸能界を追放された芸人の俺は得意の漫才で異世界を無双する』……売れねえな。


それにしてもまだ笑い堪えているな……ちょっと見てて面白いな……


誰にもバレないと思ったのか、彼女は自分が笑っていることを他人に知られたくないのだろう。


まぁそれもそうだ。無愛想な相手が笑ったらキャラ崩れるしな。


あ、これは現代知識使って無双できるぞ!


幼い頃の記憶が蘇る。先人たちが残したあの言葉、誰が最初に言ったのかは知らないが……だけど、誰もが必ずしも言ったことがあるだろう。


「――布団が吹っ飛んだ?」


「……ぶぶ! ……どうかしましたか?」


笑った? しかしメイドさんはすぐに冷静な顔に戻る。どうやら笑っていることを認めたくないらしい。ならば意地でも……えぇい!


「――スキー……好き?」


「ンんんん……いえ、どうかしました?」


かなり入ったな。ならばこれなら。


「――トイレにいっトイレ?」


「ゃめてくだ。ぐふ! ふぶぶぶ……やめてください」


流石にやりすぎたか、若干敵意向けられている。


まじめな話に切り替えなければ。


「――さっきのはただの挨拶だ。忘れてくれ。それはそうと大事な話をしよう。魔王軍四天王のことだ」


「四天王ですが……どうしてわたくしに? 何か進展でも……」


「――君は『四天王』のこと『知ってんの?』」


引っかかった~引いてからくるギャグは結構強いものなのだ。


「ぶっはははははは! はっはっは! ぶはぁぁぁあ! 許して! ギブアップ!」


爆笑している。やばいこのメイドさん楽しい。ずっといじってたい……


「ほんと……なんなんですか。勇者様……げほげほ!」


「――すまない。君がどうやら皆のことを遠くに見ていた気がしたんだ。だから自分がここにいると伝えたいそのための言葉遊びをした。本当は礼を言いたかっただけなのだ」


急に冷たい表情に戻る。


「……だとしたら、余計なお世話です……お礼は、もう言葉遊びをしないことで結構ですので。ちゃんと気付いていますから」


感情の抑揚激しいなぁ……


メイドさんは自分の元を離れていく。


☆☆☆食堂の人物達Ⅱ


「でゅふ……やはりはいいですなぁ……」


突然話しかけられる。とても太った冒険者の男がいた。てか、一昔前のオタクだろう。


「僕はでゅふ! 貴族の別荘にメイドがいるのでゅふ! 来ちゃいました。でゅふふ……」


え、ほんとになんなのこいつ。


「――お前は?」


「ぼ、僕はですね、でゅふ、メイドを好ましく想い隊のリーダーを務めています。オクタ・ロウタでゅふ。あのメイドはとても良いですなぁ~でゅふふ」


まぁ、名前覚える気ないしオタクでいいか、メイド好きって異世界にもいるんだな。


「そもそもメイドって、僕素晴らしいと思うんです。なんでメイドってこうも惹かれるんですかな~でゅふ! 勇者さんは分かります? でゅふ! いや、勇者さんには分からないか? 戦い一筋だし~でゅふふ!」


割とうざいんだけどこいつなんなんだ? いや、こっちだってメイドの魅力ぐらい知ってるわ。


勇者がメイド好きだったらおかしいだろうから知らないを貫いているだけなのに……


「――いや、存じ上げん」


「献身さ、そして心意気ですよ、心意気。でゅふ! メイドは仕えている姿が素晴らしい。でゅふふ! 朝寝足りない気怠さの中、目が覚めると優雅な香りのする高級紅茶の香りがするのです……実はそれは紅茶の香りではなく、メイドから出る麗しき香り……あぁ! そしてその香りは普段疲れが溜まっている旦那様に対し少しでも癒してもらおうとする気遣いが感じられる。旦那様……旦那様……うひょおおお!」


「でも君、旦那様って呼ばれるほど偉くないじゃん。赤の他人が旦那様って呼ばれる姿に興奮しているただの変態でしかないよ」


やべ、つい素で喋っちまった!


「……そう、でゅふ!」


オタクは開き直る風に言った。


「あぁ! 分かっています分かっていますとも! 僕は普通に女性とも話せないダメ人間ばかりを集めた寄せ集めパーティーのリーダーですよ! こんな奴が貴族になりあがってメイドハーレムを抱くことの何がいけないというんですか! デブに夢を見るなと? 僕はそんな世の中は間違ってると言いたい。デブでもメイドさんに旦那様と言われてはぁは――(以下略)」


めっちゃ早口で言ってる。正直もう聞いてないわ。どの世界にもやばい奴っているんだな。


「オクタ。お前ちょっとうるせえっしょ」


そしてどの世界でも陽キャと陰キャのカーストは一緒みたいだ。


チャラ男が入ってきた途端。一気にオタクは黙りこむ。


「メイドがいい? そんなのどうだっていいんしょ。お前のそのうるさい口を塞ぐのにメイドと言い終わる時間すらいらねえっしょ」


「は、はい……すんません」


「謝るのは俺っちじゃねえっしょ、勇者様にだよ」


「チヤラ~もうその辺にしておきなよ~オクタくんが可哀想だよ~でも~それ助けてる私ぃ☆優すぃ~」


ビチ美が形だけ止めに入る。


「いいやビチーミ。あぁいうのは強く言わないと分からないっしょ。大体、こういう連中は女性に相手にされないのは他人のせいだと決めつけている。そのせいで自分自身が変わろうとしないから一生自己完結野郎で終わるんっしょ」


流石にこれ以上空気が悪くなるのは避けたい。


「――別に気にしていない。俺は皆が好きなことを好きと言える世の中のために戦っている。だから、好きなことを否定しなくていい。だけど関係ない話に俺を巻き込まないでくれ」


「勇者様めっちゃクール! この後飲まね? 一緒に朝まで語り明かそうっしょ! 好きなコレのことか?」


丁重に断ると二人は同じ部屋に戻るようだ……この後絶対……考えない様にしよう。


オタクは立ち去る二人の姿を強く睨んでいた。


その後自分は豪勢な食事を平らげて、客間の一室を借り休むこととなる。


さっきいた冒険者の三人も近くに客間に泊っているのだろう。


眠りに入ろうとすると大きな物音がしたのを感じた……


☆☆☆翌日のこと


目が覚め食堂へ向かうことにする。


廊下から窓を見渡すと未だに吹雪は収まっていない。


かっこいい階段で執事とすれ違う。


「どうも、勇者様昨晩は良く眠れましたか?」


「――あぁ、凄く良い枕だ。できれば野営時に使いたいくらいだ」


「勇者様の頼みとあらば差し上げたいところですが、野営時に使うとなれば安眠のせいで全滅してしまうことになるかと思われます」


粋なジョークを言う執事。しかし内心胸のざわつきが収まらない。


食堂へ辿り着く。


「う、うそでしょ~!」


第一声はビチ美の叫びだ。明らかに尋常じゃない様子である。一体何があったのだろうか……?


「ないよ! どういうことなのよ! どうしてこのパンに塗るジャムがないのよ!」


……え?


「ぃぇ、……」


ビチ美は朝食を用意したメイドさんに文句を言っていた。


ぶつぶつと説明している様子だが相変わらずの小声なので聞き取れない。


「あ、勇者様~おはようございま~す。ジャムがないとパン食べられないですよね~……なのにこのメイド~勇者様にもジャム用意していないんですよ」


確かに異世界全般に言えることだが飯は固いし不味い。


パンだって例外じゃないしジャムがあれば嬉しいけど、そこまでこだわる必要はないんじゃないかなぁ……


「つまり、このお屋敷は勇者様にジャムを与えられない貧乏貴族ってことになりますね~それともメイドの教育が行き届いていないだけですか~えぇ! 大変じゃないですか~! あ、勇者様ピース!」


だから自己アピールしてくんなって。


そもそも外の状況分かっていってんのかこいつ……流石にメイドさんが可哀想だ。


「――俺は別に無償でお世話になっているのだから文句を言う立場ではないと思うが」


「……あら! 勇者様謙虚~まぁパンのことなんてどうでもいいんですよ~」


一瞬納得してない顔しやがって。


「……」


やはりメイドはビチ美のことをよく思っていないだろう。真逆のタイプだし。


このまま固いパンをジャムなしで食べる。やっぱ不味いなぁ。


食事を終えると特にすることもない時間がやってくる。適当に歩くと書庫のような場所に辿り着く。


異世界の文字は相変わらず読めない。少しは勉強しとかないとなぁ……


前も酒場で頼んだ時も文字数が多いものを頼んだら三つくらいスープ来たし……あの時は最悪だった。


「おやおや、いかがなさいましたか勇者様?」


執事が書庫から出てくると本を抱えていた。


「新たな特訓のため先人の知恵を借りようかと……可能か?」


すると、難なく許可をもらい書庫へと足を踏み入れる。


異世界の本が本棚に並んでいる。どれもが高級品ばかりで目を引かれた。


適当に誰かが手を付けた痕跡がある本を取り、ぱらぱらと捲る……案の定全く読めない。


だけど……ん?


ページの最後に明らかに後から書かれた文字のようなものがある。


赤黒い染みだ。これは明らかに血で書かれた文字で筆跡もかなり乱雑だ……


うん、見なかったことにして元あった場所に戻し別の本を取る。


あ、これにも書かれてる……戻そう。


気付かないふりだ。こういう場合は気付かないふりに限る。


別の本を……って! どんどん血の量多くなってるんですけどー!


すると、書庫に誰かが入ってくる。やばい!


これか? 違う……これか!? 違う! あ、これは血で書かれていない……


隠れようかと考えたが見つかった時に心臓が止まると思うので、立ち読みしている人を装った。平気だ……冷静を貫くのだエクシリオ・マキナ!


さっき食べた不味いパンの味を思い出せ!


やってきたのはメイドさん。静かな書庫にはただ吹雪の音しかない。


「……」


こちらに気付くとこくりと頭を下げる。


「――君も読書の時間か」


「……はい」


すると、メイドさんは先ほど自分が元に戻した血の本の数々に視線を向けていた。


そのまま本を取り出すと、後ろのページをめくる。


メイドさんはその血塗られたページを破き続けていた。


あぁぁぁぁぁ……


ダメだこれ。今すぐにでも立ち去りたい。


「――ど、どうした。本を破ったりするなど先人に対して失礼ではないだろうか」


「いいえ、お構いなく。こちらはもう処分する本棚のものですので……」


「――そうか、邪魔したなちょうど読書を終えたところだ。失礼する」


めっちゃ早口で言ってしまった……この空気もう無理なので立ち去ろう。


「ところで、勇者様」


その声に自分は足を止める。


「この本にパンのカスがついていたのですけど……読みましたか?」


「――読んでない」


即答する。……めっちゃ迂闊だった。


「ページにもパンのカスがついていたのですが」


「――読んでない。これはパンのカスが自由な空を飛びたがっていたのだろう。それは儚い夢であり旅を終えその本に流れ着いたのだ。人間の比喩なのだ。不自由な立場に強いられた者を夢の空へと羽ばたかせ、そして幸せな結末を迎える……しかしそれは儚い夢だ」


ダメだ! 秘密を知ったものは殺される落ちのやつだ……やばい! 


「そう……ですか」


納得したのか、バレたのかは五分五分である。


「――だからこそ、その夢を現実にするのは君だ。その暗示なのだろうこのパンのカスは……」


だけど自分は意味深なことだけ残してこの場を立ち去った。


その後、自分は客間で過ごす。


しかし、あの血の文字は一体何だったのだろう。


異世界文字を読めない自分ではいくら考えても分からないことだ。


この屋敷には自分。執事。ビチ美。チャラ男。オタク。メイドがいる。


そして、誰もが誰も、何かしら抱えていそうだ……


そう考えているうちに一日は終わる。


終わる……終わる……


……


そして、五日経っても、一向に吹雪はやまない。


……食堂にいつものように向かう。


「あ~勇者様~おはようございます~」


「でぅふ! 勇者氏昨日話したメイドの――」


「ちょりっす~勇者様!」


「どうも、お早いお目覚めで」


「……」


メイドさんは無言で頭を下げる。


うん……うん。これだけ言いたい。


ど う し て 誰 も 死 な な い ?


待ってくれ……頼む本当に!


吹雪で誰も外に出ることは出来ない山奥の屋敷にて見知らぬ相手が集められた。


しかも、ビチ美やチャラ男は明らかにオタクやメイドさんの恨みを買っているだろ。動機はあるのだ。


どう見ても殺人事件が起きる舞台が整っているというのに!


クローズド・サークル。謎が謎を呼ぶ恐ろしいミステリーが始まると思ったのに!


一体どうなっている。そもそも吹雪止まないし、いつまでこのギスギスした序盤の会話を見せられれば済むのだと!


いい加減何か起きてくれよ、退屈だ!


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