卯の花腐しーⅡ

 皇居の出入り口、つまりは江戸城の門は全部で十一か所。

 時計とは逆回りに皇居正門。坂下門。桔梗門。大手門。平川門。北桔橋きたはねばし門。乾門。清水門。田安たやす門。半蔵門。桜田門だ。


 十一か所の門をそれぞれ十人の警察官と異能者で固め、壁にも一定の間隔で警察官を配備。侵入者ないし、出場者の存在を徹底的に許さない構え。


 そして皇居の宮殿屋上に、レインウォーカーとエメがいた。

 宮殿は正殿、豊明殿ほうめいでん連翠れんすい長和殿ちょうわでん千草ちぐさ千鳥ちどりの間を含む七つの棟からなる天皇の住まい。

 土足で上がるなど不敬もいいところだが、レインウォーカーだけが許された特権である。

 だからエメはもしかしたら責められるかもしれないが、知った事ではない。


「ねぇちょっと、いつまでこうしてるつもり? 早く行った方が――」

「数も規模も、わからない状態で? ただ突っ込むだけで、済むの、なら……人食いなんて、怖くない。それでいいの、なら……君はあの時、醜態を晒さなかった」


 グゥの音も出ない正論で論破されて、エメは押し黙る。

 水溜りに透写される映像から、人食いの位置と数、規模を割り出したレインウォーカーは拗ねて後ろを向いていたエメの襟首を捕まえ、子猫を連れる親猫のように跳んで行った。


 ほんの数秒の跳躍で皇居正門近くまで跳んだレインウォーカーが手を離すと、首が締まっていたエメはその場で咳き込み、喉の奥で詰まっていた唾液を嘔吐する。

 その場で怒りを籠めて睨んでやったが、当の本人は完全無視で、エメの事など気にも掛けていなかった。

 我慢ならないと抗議しようとしたエメの口を、レインウォーカーの傘の先が塞ぐ。


「すぐ、来る」


 と言われて目を凝らして見たが、何も見えない。

 雨のせいで視界が悪いせいかもと考えたが、本当に何もいないように見える。


 だが徐々に、悪寒を誘う六脚の奏でる足音に鼓膜を揺さぶられ、恐る恐る視点をやや下に落とした時、地面を覆い尽くさん数のチャバネゴキブリの軍隊が、目を赤く光らせながら行進しているのを確認した。


「ひゃぁぁ! 気色悪ディグト! 気色悪ディグト! 何でこんなにプアクァオイ・ティルゴキブリがいるのよ・タン・デ・キャッファズ!!!」

「何て言ったのか、わからないけど……さっさと地面ごと凍らせて、くれない……? あれに食べられて、死にたいの?」

んな訳あるかシィ・ネス・パ・ジュスト!!!」


 地面が凍結し、地面を這っていた人食いゴキブリの群れが凍り付いて、細い脚が砕けて落ちた胴体が割れて逝く。

 千にも近い数のゴキブリを一蹴したエメは、その場でヘタリと座り込んだ。


「も、もういないわよね! ねぇ?!」

「今の人食いは、ね……ただ……」

「ただ、何!」

「……何でもない。とにかく、今の人食いは、もう、いない。いても、君なら、対応、出来る」

「二度とごめんよ!」


 人食いナナフシに食われそうになっても涙一つ流さなかったのに、何で今にも泣き出しそうな目をしているんだ。


「あいつらは人類と――いえ、女とは相容れない存在なのよ」

「太古の昔から、あいつらは人間と相争って来た強敵だ。俺もそう思う」

「私も、あれは嫌い……足音が、ちょっと」


 精霊も神も妖精も、ゴキブリとは距離を置きたいらしい。

 まぁ確かに、レインウォーカーも家に出て欲しいとは思わないが。だからと言って泣くとは思わなかった。


「まぁ、いい。俺は、ここから反時計回りに門を巡りながら、狩って、行く」

「私も行くわ!」

「俺の速度に、付いて、行ける、の? ……ゴキブリが怖い程度で、足を引っ張られると、困るん、だけど」

「……私に、何をしろって」

「池の中に、魚型の、人食いが、いる。水路を伝って外に出られると、厄介……だから、皇居を囲う池諸共、全体を凍らせて、仕留めてほしい」

「わかったわ」

「それが終わったら、水辺を中心に、人食いを、狩って。頼んだ、よ」


 それだけ言い残して、レインウォーカーは走り去っていく。

 残されたエメは黙って俯くと暫く歯を食いしばり、手を握り締め、自分の中に溜まった感情を出し切って、走り出した。


 レインウォーカーと比べれば、四分の一だろう速力。

 異能力は比べようがないし、比べたら悲しくなるから比べない。が、自分が倒せるのはせいぜい人型サイズか少し大きい程度が限界で、彼は山のようなサイズの大きさの怪物を一撃で倒す。

 単純な攻撃力でも、自分は二流以下。


 それでも何とか喰らい付きたくて、成長のきっかけが欲しくて、彼にまた無理矢理付いて来たけれど、たかだか苦手な虫型が出て来た程度でギャアギャア騒いで、慌てふためいて。

 みっともない。


 だが、悔しがるのは今じゃない。

 今はただ、自分の出来る事をするだけだ。

 自分は泣くために来たのではない。人食いを倒すために来たのだから。


「あなたはもう少し、女の子の扱い方を覚えた方がいいわね」


 ウンディーネにそう言われながら、人食いの喉を蹴りで引き裂く。

 老木に扮した人食いが動き出すと全ての枝と葉を斬り落とし、胴と顔が一体となっている幹を細切れにした。


「産みの母親が腐ってた上、青春時代を全部介護につぎ込んだヤングケアラーに、女の扱い方などわかるはずねぇだろう。なぁ?」

「でもあの子は強引なだけで、誠実よ。あの喫茶店の店員さんから、久しいわね。そういう人」

「誠実な、だけじゃ……生き残、れない」


 どれだけ誠実だろうと、真面目だろうと、強引だろうと、強くなければ負けるだけ。


 某漫画の悪役の台詞を借りる訳ではないけれど、強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 そう言った自然の摂理の中で知識と技術だけで頂点に立った人間という種族が、力だけが物を言う世界に放り込まれたのだ。性格も人格も、関係ない。

 人格破綻者たる悪鬼羅刹が強いように、人格が破綻していても強い人間だっていないなんて事は、きっとないだろうから。


 だからついて来る以上、彼女には現実しか見せない。教えない。

 たかが苦手な虫程度で喚き散らすなんて、そんな子供みたいな奴が生き残れるとは到底思えないから。

 特に、復讐を胸に秘めているタイプの人は。


 彼女は言う通り、池を凍らせたらしい。

 凍った池を渡り、襲い来る鳥獣を縦に両断。岸に上がると、示し合わせたようなタイミングで様々な獣の人食いが出て来たが、跳んで斬って跳ねて斬って回って斬って、斬り捨てて、レインコートを血に染めて、紫色に変色した血を浴びた姿で反対岸に出て来たかと思えば、血を揮発させながらまたマッハの速度で走り始める。

 氷という新たな足場と水溜りを手に入れて、神出鬼没と化したレインウォーカーが次々と人食いを斬り伏せていく。


「ちょっと、飛ばし過ぎじゃない?」

「場所が場所、だから……一つでも漏れ、あったら怖い、し」

「それより、気付いてる……?」

「うん……気付い、てる。あの、ビルだ」

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