卯の花腐し
卯の花腐しーⅠ
梅雨の季節がやって来た。
つまりはレインウォーカー最多忙期だ。
梅雨の始まりは走り梅雨と言うが、もう一つ、
だからと言う訳ではないが、レインウォーカー――基、
大きな花弁を濡らし、腐らせんとする大粒の雨。
ガタガタの窓を開けて見つめる雨宮は、今年も来たかと溜息を漏らす。
「あ、レインウォーカーさん。いらっしゃい」
「やっぱり、来たわね」
春に編入して来たエメ・ベルティエ。
この喫茶店にレインウォーカーが現れると確信を得たからなのか、最近は雨の日に入店すると必ずと言っていいほど先にいる事が多かった。
「いつものですよね。少々お待ち下さいね」
「レインウォーカー。日本はこの時期、雨がよく降るらしいわね。この時期に、悪鬼羅刹と戦ったりとか、しない?」
そんな暇はない。
夏休みに入った大学生は、ただでさえレポートだ研究だ宿題だと、山積みの課題で忙しい。それに人食いの退治も重ねると、やっぱりこの時期は最多忙期だ。
悪鬼羅刹と戦うのが面倒という訳ではないし、戦いたくないという訳でもない。
ただ、わざわざこちらから出向く必要がないだけだ。
エメが彼らにどんな因縁を持っているのか知らないが、彼女に利用されて戦う羽目になるのは嫌だし、危ない橋を渡りたいなんて人間はいない。
彼女に言うつもりはないが、これまで悪鬼羅刹と相対したのは三度。
一度目は人食い狩りを始めてまだ一ヶ月も経たない頃。
その時は相手の意表を突く形で逃走に成功した。
まだ自身の異能の内容を把握し切れていなかったから、勝率は一割もなかったと思う。
二度目は水溜り経由で初めて外国に飛んだ時。
その時は相手に深手を負わせたものの、雨が止んでしまいそうだったので討伐を断念した。
もしも雨が降り続けていれば、勝率は五割――いや、四割くらいだったかもしれない。
三度目はつい最近だ。
相対はしたが、対峙はしなかった。
戦いになればどうなったかわからないから、勝率は何とも言えない。
ただ、あれとは間違っても戦闘にはならない。少なくとも、自分一人だけの時は。
「はい、どうぞ」
人食いの頂点、悪鬼羅刹は六体。
エメが追う
吸血鬼型人食いの頂点、串刺し公。
不死身にして無敵の怪物、アダム。
ブラッグドッグの群れのボス、バーゲスト。
死神にして堕天使、アズライール。
そして、人食い唯一のドラゴンにして最強の人食い、ジャヴァウォック。
人食いに変貌しながら、人間時代の記憶を残し、人格を残し、しかしてどの個体よりも人食いであり、人を好物とする破綻者達。
もしも人間のままだったなら、人類のために死刑を告げられただろう咎人達。
人間だった頃から、既に人間としては終わっていた者達だ。
彼らには交流がなく、関係は悪い。
実際、吸血鬼の串刺し公とブラックドッグの長バーゲストは、互いのテリトリーを奪い合う戦いを何度も繰り返してる。
他にも確認こそされてないが、悪鬼羅刹同士の戦いによって生じた余波と思われる被害が多数報告されている事から、六体の仲は悪いと思われている。
思われているだけで、この百年で関係が変わった可能性も無きにしも非ずだが。
「今日も行くんでしょう? 私も連れて行ってよ。今度は足手まといにならないから」
「邪魔」
「ちょっ――! もう少しオブラートに包む気とかないわけ?!」
「邪魔な人は、邪魔……ごちそう、さま、でした」
「ご武運を祈ってますね、レインウォーカーさん」
「ちょっと!」
「お客様、お会計」
デジャヴというものか。
会計をギリギリで間に合わせたエメは辛うじてレインウォーカーの裾を掴み、共に水溜まりの中へ落ちていく。
だが、今度落ちた場所は、田舎ではなかった。
東京都心。東京の象徴、延いては日本の象徴が住まう場所――皇居だ。
普段から多くの警察と異能力者が警備するその場所に、二人は現れた。
本来なら、例え異能力者だろうと皇居へ入ることは許されないのだが。
「レインウォーカー様!」
警察に呼ばれ、疾走。
四方向からさすまたで押さえ付けられている巨大な
「レインウォーカー様! お疲れ様です!」
「……ゲホッ! ゴホッ! げぇ……やっぱり慣れないわこの移動方法……って、は?」
右にも警察、左にも警察。正面にも、後ろにも警察。
四方を囲う警察官が皆、綺麗な敬礼をレインウォーカーに向けていた。
彼の今までの功績と実績が、日本中に認められている証拠。そして何度も、皇居に現れた人食いを退治して来た証拠だ。
レインウォーカーより背丈も高く、屈強そうな警察官が固い握手を交わす。
「毎度毎度、あなた様のご助力には感謝しております。ところで、そちらの方は?」
「……勝手に、付いて来た、異能、力者。雑魚狩り程度には、使える」
「随分と辛辣な評価じゃないの!」
「覆し、たかったら……実績を、出し、て」
たどたどしい口調の割に、意外と辛口な評価とコメント。
それで慢心して、油断していればそれみた事かと馬鹿に出来るシーンもあるかもしれないが、彼にそんな慢心も油断もないし、傲慢な性格でもない。
フードとマスクの間からわずかに見える眼光は、いつだって冷たく、鋭いままだ。
「それで、天皇陛下、は」
「先ほど避難を完了しました。ただ……今回、人食いになったのは警察の人間なんです」
「それは、おかしい、ですね」
「何がよ。警察だって人間よ。病気にだって
世間知らず。
冷たい視線がそう語る。
勝手にそう言われた気になったエメは心底腹が立ったが、今言い返しても余計に無知を晒すだけだと、自制した。
「フランスは知らない、けれど、少なくとも日本の警察、は、なったと同時に強力な薬を、打つ。いわゆる、抗体……ワクチン。病に罹る可能性を、最大限低く、出来る、薬」
「まぁそこは、開発したアメリカが何処にどれだけ売っているかでしょう。今のアメリカの外務大臣は、かなりの親日家で有名ですからな。それもあなたが、彼の命を救ったお陰です」
「要、は……警察官が病気に罹るだけでも、考えにくい、のに。病気に負けて人食いになる、なんて珍しいって、事」
「でも、やっぱりあり得ない事ではないじゃない」
「たし、かに……あり得ない、事じゃ、ない。けれど、抗体を打ってる警察官が、人食いになるほど、だから、よっぽど強力な感染源があると、考えていいと、思う。前にあなたを圧倒した熊よりも、ずっと、ずっと、強い人食いが、潜んでる、かも……しれない……」
ようやく事の重大さを知って、自分は無知だったと訂正した。
警察官と抗体の話も初耳だったけれど、今の話からそこまでの事が考えられるのだから、知識がある以上に経験値が違い過ぎる。
自分はまだ、戦いの序の口しか知らない素人なのだと、粋がっていた自分を卑下し欠けた。
「では僕は、天皇陛下の住まいから、外に回る形で探し、ます……皆さんは、それぞれの門で侵入する人がいないか、出ていく人がいないか、警戒を」
「今回の件、人為的だとお考えで」
「断言するには、早、過ぎる……けど、間違いなく、いる。今回のこの感染。とても自然感染とは、思えません……だから、絶対に、誰も中に、入れないで。もしもそれが人食いなら、誰かを守りながらなんて、余裕もない、かも、しれないです、から」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます