俄雨ーⅤ

 彼は自分で言った。

 東と北と南の人食いは自分が片付けるから、西の奴らは任せた、と。


 だが今、紛れもない彼がそこにいる。

 より強さを増した雨を引き連れて、現れたレインウォーカーがそこにいる。

 そうでなければ、自分は人面ナナフシに食われて死んでいた。


 でもどうして――


「まだ、終わってなかった、のか……こっちの方が、まだ弱いと思った、のに、な。戦力見誤った。反省」

「……へ?」


 聞き間違いか。戦力を見誤ったと言った。


 見誤ったのは人食いのレベルか、それともエメの実力か。

 もし後者だったなら、屈辱だがわかる。今失態を犯しているのは、紛れもない自分だ。言い訳のしようもない。

 だけどもし前者だったとするのなら、先に言った三つの方角には、エメが戦っていた以上の怪物が跋扈していたと言う事だ。


 それらをこの短時間で、それも単騎で制圧したなんてあり得ない。

 速過ぎるし、早過ぎる。

 全て一撃で、それも確実に仕留めたとしても計算が成立しない。


「まぁ、いいや……自分の身を守るくらいは、出来、る?」

「な、舐めないで! 私はまだ――」

「ダメ。後頭部、出血してる。安静にしてた方が、いい」


 初めて真っ直ぐ見つめられた。

 フードと前髪越しでちゃんとは見えなかったけれど、意外とまつ毛の長い優しい目をしてる。


 この森林に何百年と聳えていよう大樹の根もとに座らせて、レインウォーカーは翻る。

 敵の居場所は確認済み。後はただ、狩るだけだ。


「そこに、いて」

「ちょ、待っ――」


 “雨足あまあし”。


 雨に濡れた場所限定であるが、その状況でレインウォーカーに速力で挑むのは無謀だ。

 最高速度、マッハ四。助走距離と足場の状況によっては、戦闘機の速度さえ凌駕する。


 途中、不意に横から飛んで来た巨大蝙蝠の片翼を両断し、噛み付こうとしてきた頭を鷲掴みにして圧殺。頭を握り砕いて捨てたレインウォーカーは、一直線に巨大人食いへと駆け抜ける。

 巨大人食いは熊の嗅覚でレインウォーカーが来るのを察知し、大きく開けた口内から大量の糸を吐き出した。


 “避傘ひがさ”。


 傘を広げ、糸の束を裂きながら落ちる。

 ただの傘を広げただけでそんな事出来るはずがないが、レインウォーカーを味方する三柱の加護がそれを可能としていた。


 糸を引き裂いた傘を閉じ、高々と掲げて振り下ろす。

 閉ざされた片目に落とされた傘は眼球を粉砕し、激痛によって人食いを叫ばせた。

 そのまま掘り上げた傘の先が脳の先を刺激して、人食いを暴れさせる。

 被害の拡大を恐れたレインウォーカーは跳び退き、人食いの巨体の下を潜ったレインウォーカーの刺突は、十トン近い巨体を持ち上げ、空高く打ち上げた。


「……“桜流さくらながし”」


 一秒間に何度突いたか。

 他者からの目では計測出来ない。レインウォーカー自身、数えていないのでわからない。

 およそ百にも届かんくらいの刺突の応酬が空中に舞う人食いの体に突き刺さり、体内で爆散。重なった衝撃が人食いの体をグチャグチャに掻き混ぜ、原型を留めない形で落下させた。


 辛うじて体を動かし、戦いを見ていたエメは言葉を失う。

 自分が手も足も出なかった人食いが、瞬殺。


 氷も風も炎も出さない。水を操る訳でもない。

 何で刃物でもない傘で敵を斬れて、刺突で体が貫けるのか。どうしてそんな速さで動けて、どうしてそんな怪力を有しているのか。

 能力の詳細が、傍から見ても全然わからない。

 それが正体不明と呼ばれる所以ゆえんの一つなのだろうが、悔しかった。


 自分では全く敵わなかった相手を瞬殺。

 それ以前に、東西南北に分けた敵の四分の三をも瞬殺。きっと自分が残して来てしまった方向の人食いも倒して来たのだろう。


 えげつないくらいの戦力差。

 まるで子供――いや、赤ん坊と大人以上の差がある。


「……」


 呆けている様には見えない。

 鉛色の空を仰ぐレインウォーカーは、何か探しているみたいだった。

 雲よりも空よりも高い、もっともっと遠くの何かを。


「……まだ、いる」

「え?」


 大地を蹴って跳躍。

 雨を足蹴にどんどんと高く跳び、東の方へ跳んで行った。


 彼の速力に追い付けないと考えたエメは、痛む体を無理矢理動かし、木を伝って斜面を登る。今の自力で登れる最高地点まで登って、見晴らしのいい丘を見つけたエメは、そこから人食いと対峙するレインウォーカーを見つける。


 人食いは、田んぼの中から現れた。


 蛇の様な太く長い胴体に、硬そうな爪と鱗の生え揃った両腕。

 鹿のような広がった角を持ち、四つの目でレインウォーカーを睨んでいる。

 足はないようで、代わりにオオサンショウウオを思わせる太い尻尾をくねらせ、手のような形の尾の先で泥を捏ねていた。


 その様は、まるで――


「まさか、ドラゴン……?」


 下顎にたっぷりと蓄えた髭の中に、食べ残しが幾つか引っ付いている。

 白い熱を吐いて低く唸る口元についた大量の血と泥。それらをこびり付けるに至った周囲に飛び散った大量の泥が、惨状の惨さを物語っていた。


「ルサールカ」

「大丈夫。他の人の避難は済んでるわ。存分に暴れて大丈夫よ」


 ホバリングを続けていたレインウォーカーが、跳ぶ。

 投げ付けられた泥の塊を仰け反って躱し、回転。傘を持ち上げる様にして振り回し、伸びて来た両腕を斬り落とした。


 が、両腕はすぐさま再生。血塗れの口内に冷たいエネルギーを集束させ、水の塊に変えて吐き出した。レインウォーカーが躱した後、弾道にあった山の頂が弾け飛び、標高を減らす。


 左右上下、斜め。

 雨を蹴って跳ぶレインウォーカーは加速し続け、残像を残す。

 四つの目を絶えず動かして本体を探す人食いの動きが硬直すると斬り掛かり、長い胴体を斬り付けた。


 が、鱗が硬くて思った以上に斬撃が入らなかった。

 すぐさま再生され、水の大砲を連射。攻撃を躱すのは容易いが、打たせ続けると村への被害が大きくなっていく。


「ウンディーネ」

「任せなさい!」


 一度着地し、ポケットから取り出したるは、よく雨の日の店の前に置かれている傘を入れる細長い形のビニール袋。

 傘に被せたレインウォーカーは態勢を低くし、袋の口を握り締める形で構える。

 袋は鞘。口の部分が鯉口。そして刀は、税込み百十円のビニール傘。


「亜種居合剣法、亜居合傘あいあいがさ――」


 地面が雨で濡れていたので、“雨足”が発動。地面が陥没するほどの脚力で助走の後に跳び上がり、一直線に跳んで行った。

 人食いの投げる泥の爆弾。吐き出される雨の砲撃が追い付かぬ速度で肉薄。コンビニで買った税込み百十円の傘が、銘刀――或いはあやかしをも斬り殺す妖刀と化す。


「“夕立ゆうだち”」


 巨大な斬撃が、人食いの体を両断する。

 居合の際に生じた熱がビニール袋を燃やし、添えていた掌にはうっすらと火傷の痕が付いた。が、すぐさまウンディーネの加護で火傷は冷却され、綺麗に消え去った。


 同時、斬られた人食いの頭が降って来る。

 四つの目が恨めしそうにレインウォーカーを睨み、髭がうじゃうじゃと動いていたが、直に目から光は失われ、髭も動かなくなって、体は瞬く間に朽ちて消えていった。


「嘘……」


 また、一撃。


 何度か攻撃もあったが、再生されてダメージと呼べるほどではなかった。

 だから仕留めるのに至った攻撃は、たった一撃だった。斬撃の軌道も目で追えず、一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 もし熊の人食いとの戦いを見ていなかったら、今のが斬撃だとも思わなかっただろう。


 噂はフランスまで届いていた。

 けれど、噂と真相はまるで違った。

 最強なんて一言で片付けていいものかわからない。とにかく人間としての規格を逸脱して、圧倒的で、フランスの大学で敵なしだった自分が凄く小さな存在に思えて、恥ずかしくなった。


 日本には『井の中の蛙大海を知らず』という言葉があると母親が言っていた。あなたも井の中の蛙にならないようにね、と再三言われて来たけれど、自分は井の中の蛙だった。

 フランスの一大学の同学年という小さな庭の中で威張っていた、ただの勘違い女だった。


 だからこそ、希望もあった。

 彼なら、何か知っているかもしれない。奴らの事を。


「帰るよ」

「え、ええ……」


 訊きたい事はたくさんあるけど、今は自重する。

 だがてっきり、ここに来た時みたいに水溜りの中に飛び込むのかと思ったら、脇に抱えられて雨を足蹴に東京都内まで跳んで行くのだから、そればかりは文句を言いたかった。

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