俄雨ーⅢ

 東京都内、某アパート一室。

 両親を失い、家族もいない雨宮の住む家は、もういつ取り壊しが行なわれるかわからないようなオンボロアパートだ。

 辛うじて雨漏りこそしないが、強風が吹くと吹き飛んでしまいそうなくらい怖い。

 そんなアパートにはもう雨宮しか住んでいなくて、雨宮にはご近所付き合いも何もなかった。


 ただ、雨宮一人という訳ではなくて。


「今日は危なかったねぇ、蒼介」

「でも、スプリンクラー……奇跡、だった」

「ま、蒼介の日頃の行ないが良いお陰だな。つまりは俺達の加護のお陰よぉ。なぁ、蒼介」

「うん……あり、がと……」

「最後を決めたのは、蒼介。偉い偉い」

「あり、がと……」


 周囲には独り言にしか聞こえない。

 だから雨宮自身、周囲に誰もいない時にしか答えない。

 自分を守護し、加護を与えてくれる三柱の神様とは。


「にしても、スプリンクラーでもある程度効果があるのね、さすが私達」


 水の精霊、ウンディーネ。


「万全とはいかなかったがなぁ。やっぱ本当の雨じゃないとホントの実力は出ねぇなぁ」


 雨の神、トラロック。


「それでも決めた。やっぱり蒼介は偉い。良い子、良い子」


 水の妖精、ルサールカ。


 雨宮蒼介が異能者として覚醒した日。

 父方の祖父母を殺した人食いを打ち倒した雨の日、異能と共に目覚めた三柱の神。

 彼らが雨宮の能力であり、雨宮の異能が彼ら――なのかもしれない。実際のところは不明だ。


 が、正体を気軽に明かす事も出来ない。

 明かす相手も家族も親戚もいない雨宮にとって、三柱は例え雨宮の作り出した幻想だったとしても、大事な友達であり、大切な仲間だった。


「今日はあの喫茶店、行かねぇの?」

「行く、よ……トラロックも、あの店、好きだもの、ね……」

「おぉ。店にガジュマルって草あるだろ? あそこに住んでるキジムナーとの話が弾むんだ」

「でも蒼介、行くならシャワーを浴びてからにしなさい? あなた、スプリンクラーでびしょ濡れよ」

「そう、だね……そう、するよ」


 雨宮の住むアパートから、式守しきもりが働く喫茶店までは徒歩で二〇分程度かかる距離にあった。尤も、雨が降る日のレインウォーカーともなれば、ひとっ跳びの距離だが。


「あら、レインウォーカーさん」


 今日は珍しく客がいた。

 レインウォーカーはその後姿を見知っていたが、一切無視して三つ離れた席に座った。


 語り掛ける言葉はないし、話しかけられても困る。

 ファンがいるのは知っているが、根本が根暗、もしくは陰湿とでも表現すべき性格をしているので、話しかけられても返す言葉が無くて困ってしまうのだった。


「いつものですね。少々お待ち下さい」

「……あの」


 話し掛けられた。

 だがファンのような弾んだ声色ではない。

 そも、フランスに自分の存在がどのように、どれだけ伝わっているのか、レインウォーカー自身も知らなかった。


「何処かで、会いました?」


 見知らぬ他人にはさすがに丁寧語を使うのだな、と思った。

 私に構うな、なんて言うから、逆に構って欲しい反抗期かと思っていたのだが、そこまで気難しい性格でもなさそうだ。

 まぁとりあえず、何かしらを抱えている様子はあるが。


「はいどうぞ、コーヒーです。他のも少々お待ち下さいね。すぐお出ししますから」


 式守が入れてくれたコーヒーを飲み、隣からの返事を同時に飲みこむ。

 声で身元がバレる可能性もあると、今の姿で式守以外と話すつもりはない。

 そも、何処かで会ったかなんて使い古されたナンパ文句に、今更どう反応していいかなんてわからないし、下手に反応して変な空気になるのも嫌だった。


 だが無視を決め込むと、腹を立てる性格なのもわかっていた。

 彼女は未だ正体も鮮明でないにも関わらず、グイグイと迫って来た。


「私、あなたの背格好に見覚えがあるんです……ちょっと、立ってみて貰ってもいいですか――」

「はいどうぞ。スープはサービスです。火傷しないよう、気を付けて下さい」

「あの、ちょっと――」


 今は食事中だ、と無言で断る。

 立ってみてくれというが、彼女ならばそのまま胸座を掴みかかって来そうでさえあるし、何をされるかわからない恐怖心があった。

 何せ、まだ雨が降っていない。


「降らせてやろうか?」


 トラロックは言うが、それは緊急手段。

 何せ時間が掛かるうえ、雨を降らせた後の天気がこれ以上なく荒れる。こんなところで、命の危機にさえ瀕していない状況で使いたくはなかった。


「あの子の体内掻き回して、下痢でも起こしましょうか」


 なかなかに酷な事を言うウンディーネ。

 相手は女性だ。そういう真似はあまりしたくない。


 ルサールカは、特に提案はないようだ。

 その方がありがたいので、黙って食事する。が――


「無視しないで頂きます? 私も異能者。その気になれば私だって……」

「お客様。暴力沙汰を起こすなら、警察を呼ばせて頂きますが。何より、私も異能者です。その気になれば、あなたをどうにでも出来るだけの自信はありますが?」


 式守が笑みを浮かべながら怒る。

 彼女達には見えまいが、ルサールカも殺気を放ち、今にも殺してしまいそうだった。

 二柱が必死に宥め、収めている隣で、レインウォーカーはサービスで貰ったスープを飲む。

 エメがこれ以上何かしようなら考えたが、鉾を収めてくれたようなので食事に勤しむ事とした。


 そうして殺気が行き交う中、食事を終えた頃に雨が降り始める。

 仕事の時間だ。


「ごちそうさまでした」

「はい。またのご利用、お待ち申し上げております」

「ちょっと待っ――」

「お客様? お会計を」


 昼まで降っていなかったのに、随分と激しい雨が降っている。お陰で大きな水溜りが出来ており、より広い水面で様々な情景が見えた。

 跋扈する人食いの群れ。戦う異能者達。

 戦場と化す都市、田舎、森林。その中で、最も人手が不足している場所を選ぶ。


「レインウォーカー!」


 騒がしいのが戻って来た。

 会計を済ませて来たらしいが、こちらも戦場の選別は済んだ。すぐに向かう。


「あんたに訊きたい事があるの! あんた――!」

「これから、戦場に向かう。話は、また、今度」

「ちょ、待ちなさい!」


 水溜りの中に身を投げる。

 映し出された光景の中へ、気泡を立てながら落ちていく感覚に我が身を任せていると、違和感を感じて振り返った。


 するとどうだ。エメがレインコートの裾を掴んで、無理矢理引っ付いて来ているではないか。

 呆れた根性だ。

 きっと空高く跳び上がるとでも思ったのだろう。まさかの水中とあって、息苦しそうだ。

 こうなった以上、我慢して貰う他ない。幸い、水溜りを使っての移動は十秒と掛からない。水圧と水の勢いこそ凄まじくて目も開けられないだろうが、十秒なら耐えられるだろう。


「ゲホッ! ゲホゴホッ!」


 実際、彼女は耐えた。まともに息も整えてなかったからギリギリ、溺れる寸前みたいだったが、無事に共に転移出来た。


 そして、レインウォーカーは初めて知った。

 自分にくっ付いてさえいれば、水溜り経由で他人をも転移させられるのだと。

 ただ水溜りの中の異空間は、全部水。仮に途中で手を放すような事があれば、そのまま溺れて死ぬだけだろうから、デメリットの方が大きいだろうが。


「待ちなさいって、言ってるでしょう!? いつまで……無視する、つもり?!」

「……状況が、わからないのか」


 あっちこっちから聞こえて来る、人ならざる咆哮。

 あっちこっちから聞こえて来る、人の悲鳴。断末魔。


 十体、二十体ではない。

 百体近い人食いが、同時に出現している。

 そしておそらく、戦える異能者が少ないのだ。周囲を見渡せば、人の体の一部が田んぼに浮かんで、水を赤く染めている。


「丁度、いい。君も戦って。君は西側。俺は東、北、南の順にやる」

「は、は……?!」

「君も、異能者、なんだろ……? だったらその、役目を、果たして」


 走り去っていくレインウォーカー。

 水溜りに身投げする時とは桁違いの速さで、今度は裾を掴む事さえ出来なかった。


 直後、背後から襲い来た人食いの一撃を辛うじて躱す。

 体重四〇〇キロは優に超えていそうな力士のように踏ん張るカエルが四股を踏むと、コンクリートの地面が砕けて、地面が割れた。


「異能者の役目を果たせ、ね……わかってるわよ! もう!」


 二人が飛んだのは東京都内の片田舎。

 東京都内とは思えないほどの、森に囲まれた集落に、百鬼夜行が侵攻していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る