俄雨ーⅡ

 雨宮蒼介、二十歳。

 飲んだくれの父とギャンブル依存症の母との間に生まれる。


「うっせぇなぁ……泣くんじゃ、ねぇっ!」

「殺さないでよ? 将来の私達の担保なんだから」

「わぁってるよ。だがこいつ……思わず殺しちまいそうだぜ。ずっと、睨んでやがる」


 多額の借金を抱える両親の下に生まれた少年は、闇金融ないしヤクザに売られる借金返済の担保として生まれ、精神的、肉体的虐待を受けながら育てられた。


 が、十歳の頃に父がアルコールの過剰摂取によって癌を発症し、死亡。

 母はヤクザによって身柄を拘束され、闇の世界へと姿を消していった。


 少年を受け入れてくれたのは、事情を知った母方の祖父母。

 この二人からどうして母のような人が生まれたのか信じられないくらい善良な二人の援助を受け、少年は初めて義務教育を受けられる事となった。

 が、既に祖母は九〇手前。祖父は八五とまだ若かったが、足に障害を持ち、車椅子で生活をしていた。

 少年は二人に報いるべく、家事に追われ、介護に追われ、小学五年生から高校三年生までの青春時代を、全て二人に費やした。


 そうして再び行き場を失った彼を迎えたのは、父方の祖父母だった。

 しかし二人の狙いは、青年が母方の祖父母から贈与された多額の遺産にあった。

 父方の祖父母は青年を召使として使い、毎日の家事と介護を強要。青年は大学生活までも、泥に捨てる事となる――と思われた。


 一九歳の頃、祖父母と共に乗っていたバスが人食いの襲撃に遭い、祖父母は人食いによって食い殺された。

 残された青年も後を追うだけと思われたが、その日は良くも悪くも、雨が降っていた。


「おい! おい! 大丈夫か?! おい!」


 エメによって氷漬けにされた青年は、未だ動けずにいた。

 氷の中、わずかに残った意識が燃える。


――編入生と思って優しくしてやれば調子に乗りやがって……! 俺をこんな目に遭わせやがって……! 俺にも、俺にも力があれば! 力! 力! 力! 力がぁぁぁっっっ!!!


 突如の爆発。

 警報が鳴り、皆は音源である校舎を見る。

 校舎の一部が吹き飛んで、赤い炎が燃え上がっている。炎を掻き分けて出て来たカエルのような、河童のような異形の人食いは両手に元同級生を持ち、一挙に頭を食らって咀嚼していた。


 人食いが現れたと、一般生徒は一目散に逃げ出す。

 異能者は一応踏み止まっていたが、実際に臨戦態勢に入っていた者は数えられる程度しかいない。その中にエメ・ベルティエの姿はあり、雨宮蒼介の姿はなかった。


 河童人間は四階上の校舎から飛び降り、着地。

 頬袋を膨らませ、河童らしい姿には似合わず火炎を吐いた。


 エメと他生徒が前に立ち、氷とコンクリート、風の防壁が炎を防ぐ。

 その隙に樹木を操る能力が四肢を縛り、接近戦型の能力者が飛び掛かった。

 が、河童は全身を燃え上がらせて拘束から逃れ、飛び掛かった生徒らを順に殴り飛ばし、後者や街灯にぶつけて一撃で再起不能に持って行く。


 それでも負けじとコンクリートを操る異能者が液状化させたコンクリートを掛けようとするが、コンクリートの波を突破した河童はコンクリートの異能者を吹き飛ばし、風の異能者を裏拳で殴り飛ばした。


 エメは氷で剣を作成して斬り掛かったが、掴み取られた剣を溶かされ、首根を掴まれ、焼き焦がされる。

 エメの細い首筋から焼け焦げた臭いがし始めて、河童は歪な笑みで笑ってみせた。


「こ、の……!」


 首を冷やしながら、河童を巨大氷柱の中に閉じ込める。

 だが全身を燃やす河童にすぐさま脱出されて、更に強く首を絞められた。


 が、不意に首から手が離れる。

 河童は何故か尻餅を突き、エメではない向こうを向いて、走って行ってしまった。

 辛うじて残した最後の意識で、河童に追われる人影が見えたところで、意識が完全に途切れてしまった。


「どうしよ、どうしよう……!」


 咄嗟に出てしまった。

 今の自分には何も出来ないとわかっているのに、暴れる人食いに目の前で人が殺されそうになっているのを見て、体がつい動いてしまった。

 何とか足を払って体勢を崩したまではよかったけれど、標的が自分に代わってしまったのはよくなかった。


 リュックサックと傘を抱き締める雨宮は、とにかく人けのいない場所を探して走る。

 燃えている河童の炎でこれ以上校舎が燃えないように、森に繋がるルートを避けて、噴水のある場所を目指して走る。

 が、途中で河童の速力に負けて蹴り飛ばされ、奇跡的に人けが少ない校舎の廊下へと叩き込まれた。


 廊下の真向かい。階段がある方のガラスを割って侵入して来た河童が、頭を下げる。目は前髪の下かと思えば頭の上の皿だと思っていた部分が目で、ギョロリと一回転して雨宮を見つめ、新しい獲物を見つけたと笑っていた。


 だが両者にとって、予期せぬ状況が降って来た。


 河童の炎に反応して、スプリンクラーが作動したのだ。

 河童はこの程度では影響がないと笑っているが、雨宮は大きく息を吸い込み、その場でリュックサックを捨てる。

 片膝を突いた体勢のまま傘を構え、真っ直ぐに河童の視線に対抗するよう見つめた。

 突然の豹変に驚きつつも、今の今まで震えていた獲物が構えたのを見て、気分が悪いと怒気を孕んだ声で吠える。

 そして河童らしく四股を踏み、待ったなしの前傾姿勢を取った直後、燃え盛る体躯で突進して来た。


「……“時雨しぐれ”」


 膝を突いていない方の脚を伸ばし、回転。

 突進して来る河童の張り手を潜り抜け、腕、首、腹、膝と回転し、抜けながら斬り捨てる。

 バラバラに斬られた河童は鈍重な肉体を壁に叩き付け、車に踏み潰されたカエルが如き姿で壁に張り付きながら腐敗。消え去って行った。


 と、雨宮はそこまでして、急いでリュックサックを回収。その場から走って行ってしまった事で、大学は人食いが始末された状況を後の調査で知りながらも、誰がやったかまでは突き止める事が出来ずに終わったのだった。

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