俄雨
俄雨ーⅠ
東京都内、某大学。
今日は少しだけ騒がしい。
「今日からうちのゼミで共に勉学を励む事となった、エメ・ベルティエ君だ。みんな、仲良くしてやってくれ」
「エメ・ベルティエです。フランスと日本のハーフだから、日本語で全然構わないわ。ただ、必要以上に構わないで。しつこい男は、嫌いなの」
かなり気位の高そうな女性だった。
クリーム色の髪に、わずかな金色を混ぜた赤い目は、まるで花火のよう。
首には、異能者の証であるチョーカーを付けていた。
「じゃあ、ベルティエ君。好きな席に座りなさい」
「はい」
席はあちこち空いていた。
下心の見え透いたゲスな笑みを浮かべる男子の席は避けて、控えめそうな女子の隣に座ったが、唯一気になる男子がいた。
皆から距離を取るかのように一番後ろの窓際に座って、ずっと外を見ていた。
自己紹介で名前を言った時は一瞥を貰ったが、それ以降は他の男子と違ってずっと興味も無さそうに外を見つめていた。
両親からも親戚からも、今の今まで蝶よ花よと愛でられ、男の下心を誘って来ただけあって、自分に興味の無い男子は珍しく、同時、腹立たしかった。
興味も好奇心もなく、敵意もない。ただただ無関心を貫かれる事が許せなかった。
が、授業が終わって話し掛けようとすると、同じゼミの男子が数人。彼に集っていた。
「おい
「まさか文句なんかねぇよなぁ? 優しい優しい蒼介の事だ。見せてくれるだろ? な?」
蒼介と呼ばれた男子は無言でノートを取り出し、肩を組んでいた男はそれを力強く奪い取る。
それが気に入らなかったエメは、ノートを持って教室を出て行こうとする男子勢の前に立ちはだかった。
「どうしたの、エメちゃん。君もノート、見せて欲しいの?」
「何で彼のノートを奪うの? あなた達も同じ授業、受けてたでしょ?」
「馬鹿正直にあの教授の授業ノート取ってる奴なんか、ここにはいねぇよ。それこそ蒼介くらいだ。だけどこっちも単位が掛かってるんで、借りて行くんだよ。それだけだ」
「教授の授業は有意義よ。あなた達、勉強したくてこのゼミを取ったんじゃないの?」
「は? 何、エメちゃん真面目ぇ。ここの教授の授業は毎年定年割れしてるから、申し込みが楽だっただけだよ。真面目に受けたって何のメリットもねぇからなぁ!」
エメは男子からノートを奪い取る。
反抗されて頭に来たらしい男子が殴り掛かろうと拳を振り上げたところで、体の動きが完全に停止した。直後、男の体が徐々に凍り付き、氷の中に閉じ込められていく。
「何のメリットも感じないなら、授業なんて受けなければいいわ。単位も取らないで充分。あんた達みたいなゲスには、留年ないし退学がいいご身分よ。大学卒業資格が欲しいなら、分相応の大学に通う事ね」
氷の彫像と化した男を目前にして、他の男子は尻餅をつき、後ろに下がる。
エメは蒼介の元へと颯爽と向かい、取り返したノートを叩き付けた。
「あんたも、あんな連中の言いなりにならないで。あんたがウジウジしてるから、付け込まれるんだからね。シャンとしなさい」
頭を下げるだけで、お礼の言葉もない。
リュックサックを抱えて部屋を出ようとする首筋にチョーカーを見つけて、エメは彼の肩を捕まえた。
「あんた、異能者なのね? あいつらチョーカーも付けてなかったじゃない。なのに何で怯えてるの? 少なくとも、あんたの方が強いんじゃないの?」
「……彼らと」
「ん?」
「彼らと同じ土俵に立ったら、負けるのは、僕、だから」
意味が分からない。
同じ土俵に立ったら負けという言葉が、彼らと同族になったら人の事を言えなくなるという意味合いならまだわかるのだが、彼が言ったのはただ単に、実力で自分は負けるという超が付くほどの弱気な発言だった。
気位が高いエメは許せなかった。
自分の事ではないし、名前もちゃんと知らないただの同級生の事だけど、苛立つ心を収められなかった。
「勝負しなさい!」
怒号が教室全体に響き、残っていた生徒がビクっと震え上がる。
自分が睨まれている訳でもないのに周囲の生徒達は怯え、その場から動けなくなっていた。
「その根性、叩き直してやるわ! 外に出なさい!」
「……お断り、します」
「は?!」
ノートは簡単に渡した癖に、まさか断られるとは思っていなかった。
見ると青年の目は自信こそ無さげだったが、一切臆していなかった。この場で唯一、エメの迫力に気圧されていない目をしていた。
「同じ土俵に立ったら、負ける……だけです。僕は、弱いから」
「……あ、そ。じゃあそうやって、ずっとウジウジしてなさい!」
突き飛ばされて、尻餅を突かされる。
それでも痛いとも何とも言わず、青年は教室を出て行くエメに一切視線もくれず、ゆっくりと立ち上がった。
さすがに心配になった女子が、そそくさと歩み寄る。
「
「……平気。あり、がとう」
氷像と化したクラスメイトは放置し、青年、雨宮蒼介は教室を出て行く。
下を向いて歩く彼の手には、ビニールの傘が握られていた。
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