漫ろ雨ーⅢ
『本日の天気予報です。午後四時までは晴れ。ただ、夜になるに連れて徐々に雨雲が現れ始め……夜七時には、雨が降る予報です。果たして今宵、彼は何処に現れるのでしょうか。我々は国民全員で、あなたを応援しています! 頑張れ、レインウォーカー!』
午後三時。今日も喫茶店に彼はいた。
ただしレインコートは着ていない。
今は晴れ間が見えている。その時ばかりは、彼も休む。
雨の季節ともなれば毎日のように戦いに明け暮れる日々が訪れる彼にとって、今は束の間の休息。それを邪魔される事は、彼も望んではいなかった。
「最近、雨が多いですね。まるでこの国が、彼の助けを求めているみたい。私も助けられた身なので、気持ちはわからないではないですけど、彼にも休息が必要ですよ。ねぇ?」
「……そう、ですね。彼も人間ですから、休憩は必要、ですよ、ね」
「他の異能者さんが、もっと頑張ってくれればいいんですけど……って、私が言えた義理じゃないか。この通り、私も一応は異能者なのに、店から出ないカタツムリですから」
「
「あら、お上手ですね。クッキーでもサービスしちゃいましょうか」
「ありがとう、ございます……」
式守が話している相手は、レインウォーカーだ。彼女自身、自覚している。
式守香奈。
彼女はレインウォーカーの表裏双方の顔を知る数少ない人物。レインウォーカーの家族さえ知らない顔を知る人だ。
無論、彼女は他言しない。
かつて命を助けられた者として、憩いの場と秘密を守るのが、彼女自身が定めた役目。と、彼女自身思っている。
「では、今日はこれで」
「はい。またのご利用、お待ちしております」
午後六時。予報より早く雨が降って来た。
億劫だが、役目は果たさなければ、情報化社会という闇深い部分に怠慢だと叩かれる。
どれだけの命を何度救っても、人食いが現れる限り怠慢は許されない。休日も予定も知った事ではない。それが、今の世界という物の仕組みだ。
衣服に関しては無頓着。
ただし、レインコートの色は白。そこら辺の百均で売っている程度の、安いビニール素材だ。
本来ならすぐ破けて使い物になどならなくなってしまうだろうが、今までに破れて使えなくなった事はあまりない。
異能のせいか立ち回りの上手さかわからないが、レインコートが破れる事はそうなかった。
レインコートのボタンを全て閉め、口元を隠すためマスクをしてからフードを目深に被り、外へ。玄関から出るとバレるので、自室の窓を開けて飛び立つ。
閑静な住宅地から、開発に次ぐ開発で盛り上がりを見せる駅周辺へ。
東と西に分かれるビルを繋ぐ歩道橋の上に降り立ち、水溜りの中に映る景色を覗き見る。
「おいあんた、レインウォーカーだろ」
不意に話し掛けられた。
面識はない。記憶違いでなければ、初対面のはずだ。尤も、向こうが勝手に憶えているなど、よくある事なので、珍しくも何ともないが。
「知ってるぜ? そのレインコート。随分丈夫だよなぁ、特製か? それとも、異能か?」
「異能管理塔にアクセスして、確認しては」
「載ってねぇんだよなぁ。あんたの異能に関しては、データベースに全くと言っていい程何も載ってねぇんだよ。総理大臣の異能さえ載ってるデータベースにだぜ。おかしいよなぁ」
「管理塔の、職務放棄でしょう。次に行ったら、ちゃんと仕事しろと言っておいて下さい」
「待てよ、レインウォーカー。なぁ、勝負しねぇか」
これも珍しくはない。
時々というレベルで起こる些事だが、今までに何度かあった。
「今、この都市の下水道に人食いがうじゃうじゃしてるんだ。それをより多く狩った方の勝ち。どうだ? ん?」
「……そのうじゃうじゃいる人食いを、放置して来たのか」
「おぉおぉ、そう怒るなよ。まだ一人も人を食ってない、スライム状の雑魚だ。ただし厄介な事に千を超える群れでな。だから競争にはうってつけ――」
「あなたも大した、職務放棄だ」
男が睨んだ先に、既に彼はいなかった。
水溜りの中に沈んで移動した等知る由もなく、周囲を見回して探し回って影も形も見当たらないと、すぐさま自分の用意した戦場へと飛んで行った。
最短ルートは再三確認した。
自分の足なら、一分と掛からず到着出来るとわかっていた。
だが到着した時、既に全ては終わっていた。
スライムの群れは一匹と残らず、この世から消え去っている最中。
紫色の体液が下水と混ざり、少し先まで流れて行っては揮発して消えていく。
そして、これら全てをやったレインウォーカーは人食いの体液で濡れる傘を振り、払い飛ばしていた。
「サバを、読んだ。千もいなかった」
「てめぇっ……!」
「好戦的なのは、良い事だ。みんなが怖がる中、戦いに出る人は、偉い。けど、これはゲームじゃない。人食いと人の生存戦争を、娯楽と勘違いしない事だ」
「はっ! 図々しく説教かよ。モテねぇぞ、レインウォーカー様よぉ」
流れる下水に視線を落とす。
水溜りほど鮮明ではないが、外の景色が見える能力は使える。
男が仕組んだ下らない娯楽はこれ一つ。なら、もう付き合ってやる通りはない。
「おい、何とか言えや」
「まだ人食いがいる。これ以上ここにいても、時間の無駄だ」
「――っ! 待ちやが――?!」
大きく開いた口の中に、傘の先が突っ込まれる。
突っ込む選択肢はない。が、退いても追い付かれる未来しか見えない。そも、傘を突っ込まれるまでの動きが全く目で追えなかった。
どうしたって、どうやったって、勝てる未来が見えない。逃げ切れる未来も、また然り。
「戦場に立ったなら、無駄な事をせず戦って。娯楽気分でも何でもいい。より多くの人食いを倒せるのなら、何だって。だから、さっさと戦場に行け。無駄口は、戦いに必要ない」
わずかに傘を押し込んで、不快感を感じた男に大きくえずかせ、その場に膝を突かせて咳き込ませた。
男はまた睨むが、その先にまたレインウォーカーの姿はない。
地上から感じられる震動に起こされるように飛び出すと、たっぷりと肉の付いた赤ん坊のような巨人の首が刎ねられ、すぐ側に落ちて来た。
自分では到底このようにはいかない。
サイズ的にも実力的にも、こんなあっさりと行きはしない。
比べるまでもなかった。競争なんて必要なかった。自分と彼の実力差は圧倒的で、最早天と地のそれだった。
ふと視線を感じて見上げると、朽ちて行く死体の上に乗るレインウォーカーの一瞥と視線が合った。
自分の戦場で戦え。
それだけ視線で告げて、レインウォーカーはまた何処かへ飛んで行く。
己の無力さと弱さ。何より相手にもして貰えなかった悔しさとが入り混じった感情から吠えた男は、その後、自己ベストを超える数の人食いを狩った。
午後十一時。帰宅。
血は揮発するため、目立った汚れはない。
レインコートを乾燥機に掛けて、自分はさっとシャワーだけ浴びて寝床につく。
天気は未だ雨。
少し眠ったらまた出る。
だがせめて、今だけは休息を。
雨が降っていたら、また戦うから。
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