漫ろ雨
漫ろ雨ーⅠ
東京都内、某喫茶店。
「あら、いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」
休日の日中にも関わらず、店内に他の客の姿はない。
ほとんどの人に知られていない穴場――と言えば聞こえはいいが、ただ単に人に知られていないだけの、広告宣伝不足なだけの店であった。
だから彼には都合が良かった。
正体不明の最強異能者、レインウォーカーには。
「ご注文はいつもの、ですよね」
彼はゆっくりと頷く。
いつもの、で出て来るメニューはブラックのコーヒーだ。
半分に切った食パンのトーストに、ケチャップのかかったスクランブルエッグとボイルしたウインナー。付け合わせに小鉢のサラダ。そして、ブルーベリージャム付きのヨーグルト。
普段は朝のモーニングでしか出さないメニューなのだが、彼だけは特別だ。
店員である彼女、
「お待たせしました。どうぞ、ごゆっくり」
最近の喫茶店には珍しく、ここにはテレビがある。
流しているのはほとんどの時間がニュースだ。だから彼自身の事、レインウォーカーの活躍が放送されている事も少なくはない。
『続いてのニュースです。神奈川県某所に現れた人食いの群れ。殲滅したのは、あの異能者でした……』
「あ。これ、レインウォーカーさんですよね」
返事はしない。黙々と食べるだけだ。
が、式守はまるで自分の事のように喜び、彼の活躍を聞いていた。
外は生憎の雨。
だけど式守にとっては、少なくとも最悪の天気ではない。
雨ならば彼が行く。彼が多くの命を救ってくれる。自分の時と同じ様に。
「今日もこれから? 頑張って下さいね。応援する事しか出来ないですけど、いつでも待ってますから」
「……ごちそうさまでした」
「はい! いってらっしゃい!」
入店時は小雨だったが、大分雨足が強くなって来た。
天気予報では夜には晴れると言っていたが、夜までに晴れる様子はない。
朗報だ。
彼にとって――いや、世界にとって。
水溜りに視線を落とす。
自分の顔と鉛色の空しかない殺風景に波紋が広がると一変、日本中各地の景色が見え始めた。
共通しているのは、何処も雨が降っている事。そして日本国内である事。この二つを除けば、彼の戦場に例外はない。
日本各地の水溜りが映す光景の中から一つを選び出し、青年は一歩踏み出す。
水溜りに映る景色へと身投げした青年の体は水泡を立てて沈み、やがて浮上。水溜りから飛び出した青年は、颯爽と駆け抜ける。
建物の壁という壁を蹴り上がり、上へ。
周辺で一番高い建物の屋上まで跳んで、着地までの浮遊時間の中で人食いを見つける。
今回はそこまで大きくない。
三メートル近い筋肉の塊は人間サイズではないが、人食いにしては小さな方だ。
が、それ故に厄介な点もある。人の入れる隙間でも辛うじて入れてしまうから、一度見失うと探すのが面倒になる。
故に、見つけた場所で確実に仕留める。
だから普通に走って行ったのでは見失いかねないので、目立つから本当は嫌だが、仕方ないと腹を括って走った、空を。
実際には空ではない。降り頻る雨の雫の一つ一つを足場にして、雨の上を走っている。
そうすると必然的に、人が叫ぶ。
鳥にしては異形。飛行機にして極小のそれは、まさしく人。
それが雨の中となれば、いつしか答えは、一つに絞られていた。
「レインウォーカーだ!」
「レインウォーカーが来たぞぉ!」
沸き上がる歓声がこそばゆい。
異名ながら、名前を呼ばれると恥ずかしい。
が、そんな事は言ってられない。
自分は異能者。
人食いを狩る力を有する数少ない人間ならば。
「何処行くんだ?!」
「相変わらず速っ! 追い切れねぇ!」
追い付かれるようでは困る。そんな速度では間に合わない。
標的は路地裏を闊歩。もう数分で表通りに出る。このまま出してしまえば、パニックになってしまうだろう。
何より表通りは比較的老人が多く、とても逃げ切れるとは思えない。
傘をキツく縛り、ボタンで留める。
腰に据えた傘をもう片方の手で握り締めて鞘を模し、呼吸を整え、構えた。
抜刀。
人食いが表通りに出て来たタイミングで、着地と同時に首を刎ねる。
突然の事で人々は驚いていたが、事態を把握して状況を見入る。
首を刎ねられて崩れ落ちる巨体。
傘を降って血を払うレインコートの青年。
声は聞いた事がない。だけど背格好は知っている。テレビでも何度も見た後ろ姿と朽ちて行く巨躯とで、人々は状況を理解した。
「レインウォーカーが来てくれた!」
「嘘っ!? レインウォーカー?! 何でこんなところに!?」
「ともかく人食いを退治したんだ! 全然見られなかったけど!」
歓声が湧き起こる。
恥ずかしいやらこそばゆいやら、とにかくその場から逃げ出したかったが、ふと一人の老婆が歩み寄って来て、ビニール袋から大量のミカンが入った袋を取り出した。
「助けてくれて、ありがとうございました。これ、ほんのささやかな気持ちです」
礼の言葉はない。
だが傘を脇に挟んで両手でミカンを受け取り、深々と頭を下げる。
ニコニコと笑ってくれる老婆に感謝の言葉を告げられない歯痒さを感じながら跳び上がり、多くの人々の喝采を浴びながらそそくさとその場を去った。
そうして人けのない場所を探し、とあるビルの屋上へ。
貰ったミカンを食べながら次の行き先を決めるため、波紋と共に見える景色を変える水溜りを見下ろしていた。
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