第4話
「フェリクス、久しぶりだな」
光の届かぬ地下牢に、久方ぶりにランタンの火が灯される。
ランタンの火はぬらぬらと牢の暗い空気を纏って、牢には不釣り合いな温もりをもって壁を照らす。
「父上」
後ろ手に手を縛られたせいで上げずらい顔を上げると、フェリクスにとって何年振りかの父親の顔が見えた。
その口元は自分のせいかそれ以外か、酷く疲れ切って白髪が増えていた。
彼の目は今の息子の状態を見下しているのか、悲哀に満ちた目で見ているのかは生憎の暗闇で分からないが、声には確かに父親の温もりが籠っていた。
「何ですか?親不孝な息子を罵倒でもしに?」
フェリクスに対する声に温もりがまだ感じられたことに驚き、つい不遜な態度を取る。
「お前に最後の説教をと思ってな」
"最後の"という枕詞にやはりか、とフェリクスの肩に入っていた最後の力が抜ける。
「僕は死刑でしょう?」
「....そうだ」
苦しそうに父が喉から言葉を搾り出す。
「王は、やはり娘が愛しいようだ。お前に全ての罪を付けて死刑にすることで、国民からの納得を得ようとしておられる。」
臣下の忠義心と父親の親愛がないまぜになった父は、しっとりと濡れて汚れた床に服を気にせず、どっかりと胡座をかく。
だが顔を合わせる勇気が無いのか、顔は下に下げたままだ。
「父上、その言葉には一つ誤りがあります。」
疲労で掠れた声が、フェリクスの口から洞窟に響きだす。
「なんだ。」
顔を下にしたまま父が返事をする。
「僕は罪を付けられてなどいません。自分から付けられに行ったのです..それが姫のためだと勝手に思って」
暗闇の懺悔の入った声に、父がフッと鼻で笑う。
「片一方が全て悪いことなど、この世界には無い。少なくともお前と姫の件ではな」
「それでも」
フェリクスの発言を嘲笑しながら、放たれた言葉を遮るようについ声が出る。
「それでも僕は、全ての罪を背負います」
その言葉に反応して、初めて2人の視線が絡む。
久しぶりに身を合わせた父の目は、涙に潤んでいた。
初めて見た父の涙に思わずフェリクスは固まってしまう。
(だって、だってそんな)
「憎まれているかと思っていました」
「阿呆!愛しい子供を恨める人間などほんの一握りよ!」
漏れた声を皮切りに、父の目から大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちていく。
フェリクスは、父が泣くのなんて初めて見るので思わず動かない手を動かして涙を拭おうとしてしまう。
動かそうとしたことで鳴ったガチャリという音に、目を袖で雑に擦って涙を拭うと、ごほんと咳をすると、父はニヤリと口を曲げて、人差し指を立てて歳に合わない悪戯っ子な顔で目を合わせてくる。
「良いか、大舞台に立つときはな..」
父の声が少し震える
「胸を張って、微笑んで、余裕を溢れさせて」
笑顔がだんだんと崩れてくる
「最後まで..胸を張りなさい..」
父の目からまた涙が溢れる
「父上..」
「泣かぬようにしたかったのになぁ」
溢れる涙に、格好がつかない、と父は濡れた顔で笑う。
暫く涙を流すと、これ以上ここにいるのが辛くなったのか、さてと、と足に力を入れて父は立ち上がる。
「息子よ、執行日は明日だ」
ランタンを持ち上げる手を少し振るわせながら、なるたけ軽いことのように父は伝える。
「斬首台で会おう」
ランタンを持つと、父は赤子を見るように優しい瞳でフェリクスのことを見つめる。
暫く火が揺れた後、父は見納められたのか階段の方へ体を動かしてしまう。
暖かい光が段々と遠くの方へ行って、父の体も見えなくなっていく。
「父上」
フェリクスが上げた声に、光が少し離れたところで止まる。
「お世話になりました」
馬鹿者が、という低い声とともに、扉が開く音がした。
また静寂が部屋に戻る
フェリクスは上げていた頭をまた下げて、目を瞑った。
――――――――――――
姫の誕生日から2日が経ったのにも関わらず、未だ国民は熱が冷めていなかった。
理由は簡単、エリーザベト姫が誘拐犯の手から救われたのだ。
そして今日はその犯人の死刑執行の日である。
空は生憎2日前から曇り空を呈しているが、民の熱気で空の雲も割れそうなほどである。
「どうして姫を攫ったんだ?」
「フェリクスってのは近衛騎士だったらしいぞ」
「王家に忠誠を誓うなんて言って..ねぇ?」
近衛騎士に、と王に選んでいただいたのにも関わらず、近衛としての責務を裏切った大罪人。
そして姫の誕生日に騎士団に自ら捕まった不思議な死刑囚。
王城前のギロチンには、物見遊山な気分で来た見物人が集まり、非日常な楽しみと宛先不明の怒りを握りしめて死刑の執行を待っている。
「来たぞ!」
「あれが噂の」
「看板と顔が違うじゃないか」
城と反対側から騎士2人に連れられた、裸足の囚人服を着た男が歩いてくる。
手を後ろで縛られ首にリードをつけられた姿は、正に今から裁かれるものであるが、目を隠す少し長い髪から覗く視線には死を臆さぬ穏やかさが溢れていた。
口には薄らと笑みを浮かべており、観客に危害を加えられる筈はないのに、皆一様に得体の知れない薄寒い恐怖を感じて道を大きく開ける。
ギロチン台が人を割ったように、台から一直線に道ができる。
その真ん中を、今から演説でもするかのように背筋を伸ばして、真直ぐに前を見据えて歩いていく姿は、近衛騎士であった時を思い出させた。
フェリクスは、皆に見えるように高台になったギロチン台に続くボロボロの階段を登っていく。
5段しかない階段は、観客に死刑を覚悟させるにはあまりに早く、何人か耐えられず帰ってしまう者も現れてしまうほどだった。
「フェリクス・アンバー、貴方は全ての罪を認めて神の御名の元断罪されるか?」
きっちりとキャソックを着込んだ真面目そうな神父が、聖典を広げて儀式じみた言葉をフェリクスにかける。
「あぁ」
フェリクスの口から出てきた承諾の言葉は、ため息とも取れるようなか細いものだが、一種の喜びが入っているようだった。
フェリクスの返事を合図に、騎士の手によってフェリクスの首につけられた首輪とそれに付けられた縄のリードを外される。
観客はいよいよだと誰も声を出さず手に汗を握り、理性的背徳感と本能的高揚感を溢れさせていく。
ギロチンに首を切らせる為に首を穴に置こうと、騎士が体を動かさせていく
その時だった
「お兄ちゃん!」
この場に相応しく無い柔らかい声が、広場に響いた。
フェリクスは、思わず初めて騎士に促された動きに反発する。
「お兄ちゃん!行かないで!」
フェリクスの視線の先には思った通り、だが少し頭の中の姿とは違う姿をした愛しい人が、ドレスの裾を上げながら走ってきていた。
先ほどフェリクスが道を歩いた時のように、また観客が困惑しつつも道を開く。
「どういうことだ」
「姫は攫われて精神不安定と聞いたぞ」
「あの死刑囚が兄?」
「聞いたこともない」
静かだった広場は、数年ぶりの姫の登場で噂が沸き立って一気に騒がしくなっていく。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、駄目だよ..行かないでよ..」
遂にギロチン台の足元まで辿り着いた姫は、神像に縋る信者のように膝をついて懇願する。
「姫..うっ!」
フェリクスは、姫にこの場を去るように言おうと口を開くも、運悪く止まった騎士の動きが丁度再開してしまう。
急に首を抑えられて締まる首に、フェリクスはつい苦しそうな顔をしてしまう。
暫くフェリクスは抵抗するものの、地下牢で精神的に疲労の溜まった青年と日々鍛えている騎士2人では勝ち目などない。
すぐに首は台に固定されてしまった。
その光景を最前列で見ている姫は、涙をぼろぼろと流しながら自分の無力を憎む。
「姫、有難うございました」
死が眼前に近づいて居るのにも関わらず、最期まで笑顔でいようと、フェリクスはいつものように柔らかく微笑んでくる。
その顔を見つめていた姫の目が、大きく見開かれる。
「..ふぇりくす」
ふぇりくす、ふぇりくす、と口の中で死刑囚の名前を転がした姫は、ゆっくりと立ち上がる。
「貴方、約束を違えるというのね!」
その声は、先ほどまでの兄に縋り付くか弱い少女ではなかった。
キッと首を掴まれた死刑囚を睨む姿は、初めて会ったあの時のように、強気で男勝りな姿を雄弁に語る。
"約束"という言葉に、フェリクスの兄としての優しく微笑んでいた顔が崩れる。
「姫、記憶が」
疲れきっていた目から涙が頬に一筋伝う
「良かった」
ギロチンがゆっくりと動き始める
「今日はいい日だ」
頬に伝う涙が姫の元へ降るよりも早く、ギロチンが真っ赤な花を咲かせる。
姫の元へ降ったのは澄んだ涙ではなく、感情が通う温かな鮮血。
勢いよく落ちた愛しい人の首は、入る予定だった籠を過ぎて、目を見開いた姫の元へと華麗にな放物線を描いていく。
すくんで動かない足の代わりに、腕が意に反して滑らかに動いていく。
何年ぶりかに自分の胸に抱かれた彼の首は随分と軽くて、去った日の午後を思い出して体の力が抜けていく。
落とされた首は眠っているように目を瞑り、首の血が頬について、林檎のように真っ赤だった。
表情は何処までも優しく微笑んで、目元は雲の隙間の太陽を反射してキラキラと光って姫の視界に刺さる。
首を抱いて、膝から血が付いた石畳に崩れる。
慟哭が空を割り、昼の日差しが血に濡れたギロチンを照らした。
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