第3話
大広間には3人の新しい近衛騎士が並んでいた。
そのうちの最後の1人が、立ち上がると私の前に跪く。
「貴方の活躍に期待します」
昨日やった通りに、大広間の玉座に座った私の目の前に膝をついた茶髪の青年に、剣を下げ渡す。
「有り難く頂戴いたします」
青年はうやうやしく私から剣を受け取ると、少し顔を上げて悪戯っぽくにこりと微笑む。
「エリーザベト姫の剣となれる様、精進いたします」
急に何を、という気持ちが言葉として出るよりも先に、騎士は深々と頭を下げると、後ろに下がる。
「以上で就任式を終了致します」
右から司会役の騎士団団長から解散の指示が出されると、大広間にいた新しい近衛騎士やその親等の客人達が帰っていく。
自分の出番もここまで。
周りから気づかれない程度に肩の力を抜き、自慢の滑らかな髪を小さく振る。
全員が外へ出たのを確認して、ゆっくりと椅子から立ち上がると、離れた所に控えていたメイドを目線で呼んで耳打ちする。
「ねぇ、最後の青年を後で部屋に連れてきていただける?」
「畏まりました」
ひっつめ髪の顔見知りのメイドは恭しく頭を下げると、1人のメイドに声をかける。
声をかけられたメイドは、二言三言話すと優雅に早歩きで控室に繋がる通路へ歩いて行く。
力が入って疲れた手を少し振りながら、改めて大広間の中を見渡す。
美しい光沢が光る毛の長いカーペットのひかれた床、名匠が掘った彫刻の踊る壁、右手側の壁には透き通る様なガラスが入れられた大きな窓が幾つもある。
『全てに均整が取れた完璧な空間』
私はこの部屋が大嫌いだ。
皆が見事だと話すこの部屋は、王家として産まれたが故の仮面をつけていなければならないと毒を流す
仲の良好な国民に向けるべき笑顔、臣下である騎士メイドに向けるべき知的な考え、そして長女としていつか迎える次の王へ向けるべき王妃としての仮面の圧が、上座に座る私の元へとのし掛かってくる。そんな気分にさせてくる。
「部屋に戻るわ」
そう言って部屋に帰っていく私の後ろへ、メイドが何人か付く
靴を鳴らして廊下を歩いていくと、ふとガラスに映る自分の顔が目に入る。
ゆるく結われた茶色の髪は見事な曲線美を描いて肩に流されている。
この式のために早起きをしたせいで、随分と疲れた顔をしていた。
(いや、式だけじゃない)
少し前からずっと考えていることがある。
自分を気にする人がいない世界とはどんなものなのだろうか
自分が真の自由になるためには何を捨てなければならないか
この鳥籠の鍵を開けるためには何を求めれば良いのか
暫くそんなこと泡のようなことを考えながら廊下をあるいていると、メイドが部屋の扉を開ける。
自由について考える私のことを嘲る口を開くように、部屋の扉が音を立てて開く。
――――――――――――
「お兄ちゃん朝だよ〜」
「ん..」
体を揺らされる感覚で、意識が段々と覚醒する。
薄く開かれたフラーテルの目の中に、宿のボロい窓からの鈍い光が入る。
布団の中でもぞもぞと耳を澄ませると、雨が降っているようだ。
「せっかくの誕生日なのにお姫様かわいそうだね〜」
朝ごはんのパンを2人分千切ってテーブルに置きながら、エリザは見たこともない姫の気持ちを考えて眉を下げる。
「あぁ、そうだな」
ゆっくりと身体中を伸ばしながら、ぎしぎしと音のなる椅子の上に座る。
パンの置かれたテーブルはささくれが酷いが、使えないほどじゃない。
むしろ値段の割にはしっかりとした部屋なことが嬉しい誤算だ。
エリザは眠そうなフラーテルに微笑みかける。
「おはよう、お兄ちゃん」
「ん..」
朝の挨拶も程々に、ご飯をリスの様にパンを口に含む兄を少し笑うと、エリザは髪の寝癖を直そうと背伸びをしてテーブルに手をつく。
「エリザ、大丈夫だから」
「は〜い」
エリザは子供の様に、無邪気にパンを千切って水につけながら食べる。
暫く2人で無言になりパンを詰め込んでいると、あ!と急にパンを口から離す。
「お兄ちゃん聞いて!」
「どうした急に?」
エリザは訝しげに眉を顰める兄に、人差し指を口に当てて、内緒の話をする様に兄の耳に口を近づける。
「私ね、おかしな夢を見たの」
「夢?」
「そう」
「どんな夢だ」
エミリは予想外に兄が話に食らいついたことに目を丸くさせる。
何回か目をパチパチと瞬きすると、エリザはその形の綺麗な唇を曲げて、お茶目にニヤリと笑う。
「私がお姫様になって、お兄ちゃんに助けてもらう夢!」
エリザの予想では、この言葉に兄は大笑いしながら、そうだなぁと頭を撫でると思っていた。
だが予想は大きく外れる。
フラーテルは感情の感じられない真顔になり、手に握られたパンは、ゴロリと硬い音を立ててテーブルに落ちた。
「お、お兄ちゃん?」
やはり私がかの有名なお姫様など烏滸がましいと怒られるのだろうか。
そんなことを思い体が固まる。
何秒かフラーテルはエリザの顔を凝視したまま固まると、ふとゆっくりと妹の頭に手を伸ばして、優しく少しごわついた頭を撫でる。
「そっ..かぁ」
指に髪の毛を絡めながら、頬に小さく触る。
「貴女もそんな時期か」
そう言うフラーテルの顔は眉尻が下がり、妹よりもより上等な何かに触れている様だった。
(お兄ちゃんは、「エリザ」ではないもっと奥のものを見ている)
エミリは頬を撫でられながら、そう強く感じた。
「ねぇ、おにい」
突然のゴン!という扉に何かをぶつけている音で、エリザの言葉が遮られる
フラーテルは素早く手をエリザから離すと、数歩分しかない扉までの距離を縮めていく。
「お兄ちゃん!開けないで!」
不思議と体の奥から走る危険信号に、エリザは兄に手を伸ばしながら制止をする。
「すみません、そのお言葉は聞き入れられません」
兄は振り返らずに、扉の鍵を開けて大きく開け放った。
扉の外には銀の甲冑を着た5人ほどの騎士達。
その兜につけられた赤い布は、国王の直属であることを表していた。
隊長と見られる騎士は勇んで前に出ると、手に握られた一枚の紙を見せてくる。
「フェリクス・アンバー、エリーザベト姫を返していただこうか」
その言葉は、このひとときの楽園を壊す天使のラッパだった。
「あぁ、よろしく頼むよ」
そのラッパに臆することなく、フェリクスはそっと扉から体を引き、エリザ..エリーザベト姫までの道を開いてやる。
「お兄、ちゃん?」
これではまるで自分がお姫様のようではないか
どうして愛しい兄は私が姫などと嘘をつくのか
どうして愛しい兄は騎士に囲まれているのか
どうして愛しい兄はあんなに悲しそうな顔をしているのか
どうして、どうして、どうして
「どうして..」
思わず口から漏れた疑問に、エリーザベトの右脇で剣を構える騎士が冷たく答える。
「姫、貴女は騙されていたのですよ」
「嘘よ!」
思いもよらない一言に、エリーザベトは思わず耳を塞いでしゃがみ込む。
耳を塞ぐ手が震える。
まるで、雪で一面白くなった場所に1人置いて行かれたようだ。
エリーザベトはフラフラと立ち上がると、横に立つ騎士の剣を過ぎて、騎士に抑えられているフェリクスの元へと歩いて行く。
「姫、危険です」
「うるさい!」
心配する騎士の声に泣きながら返事をして、足元に這いつくばる兄を見下ろす。
頭を下げさせられ、腕を掴まれた兄は罪人のようで、一層この視界が夢の世界のように感じられる。
「お兄ちゃん、嘘、だよね?」
震える声が喉から飛び出る。
嘘だと言ってよ、という言葉は喉に閉じ込められて出てこない。
「姫」
ささくれた床に付けられた兄の顔から声がする。
「申し訳ありませんでした」
「私には夢のような時間でございました」
「貴女に、私は必要ございません」
違う
違う
そんな大層な言葉が聞きたいわけじゃない
私は姫じゃない
私は姫を望んでいない
エリーザベトの視界が、振り子のようにぐらぐらと揺さぶられる。
「姫、罪人はもう連れて行かなければなりませんので」
騎士はフェリクスを立たせると、扉の向こうへと連れていってしまう。
エリーザベトの横に控えていた騎士が、一行が過ぎ去り開け放たれた扉を閉める。
立て付けの悪いが故の甲高い音は、エリーザベトの心の悲鳴を映し出さんとばかりに、部屋の中に小さく反響した。
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