第2話


 2人はまた市場の中心へと戻ってきた。

人々は日が暮れる前に帰ろうと、それぞれの家の方向へと歩いている。

 エリザは兄と手を繋ぎながら、やはり普段よりも人が多いと思い、横にピッタリとつく兄を仰ぎ見て聞いてみる。

「お兄ちゃん、なんで今日はこんなに人が多いの?」

「あぁ、姫様の誕生日なのさ」

 ちろりとエリザの方を見た兄は、また前に視線を戻しながら答える。

「でも祭りは無いよ?」

 王族の誕生日ともなれ、ばやはり一般人とは大きさが違う。

 何日も前から城下では今年の祝いの噂が周り、城の周りでは当日は朝から城から主人公を連れたパレードが城下街一周し、少し離れたこの街でもきっと姫の誕生日を祝って領主が身の丈にあった程度には祭りを行うだろう。

 今のところ庶民は王族に大きな不満や不平は流れておらず、庶民の怒りをもって祭りを止めるようなことは無いはずだ。

 だが祭りはない

この街にあるのは、祝うために少し散財している沢山の庶民だけである。

花飾りも売られず、屋台の用意もされていない。

そんな市場を見ながら、兄はぼそりと呟く。

「無いさ、姫様は何年か年前に攫われたんだ」

攫われた、という言葉に少し驚く。

 普通王族というものは頑丈に守られ、拐かそうなど思う不埒者は近づけないのに。

「5年前ぐらいかな、将軍だか誰だったか...姫の近衛騎士が攫ったんだよ。果たして駆け落ちだったのか怨嗟だったのかは知らないけどとにかく攫われて、犯人の逃げ足が早くて捕まらず...って感じだった気がする」

 フラーテルは手をくるくると動かして思い出しながら、ちょうど目の前に立っていた掲示板にでかでかと付けられた紙を指差す。

「ほら、これだ」

 紙の中には、姫と近衛騎士と思われる茶髪の2人の絵が描かれ、下には庶民でも読める簡単な文が書かれていた。

『見つけたら兵士まで!姫を奪った悪人!』

『姫 エリーザベト・フォン・ユーグライト

 騎士 フェリクス・アンバー』

 絵は姫は美しく深淵の令嬢の様に、騎士はいかにも悪人といった悪い目つきをしていて、これで探し人をするのは中々に難しそうだった。

 だが掲示板の前には何人か人が立ち止まっており、皆口々に無事を祈る言葉を呟いていた。

 そんな人々の姿を見ると、先ほどまでそんな事件すらも知らなかった自分が人を愛せぬ愚か者に感じられ、兄の手を小さく引いて家に戻ろう、と顔を覗く。

「ん、あぁ、戻ろう」

 珍しく心ここに在らずだった兄は、顔を覗かれてやっと体をぎこちなく動かす

「お兄ちゃん、もしかして好きになっちゃった?」

あんまりにもまじまじ見ていた姿が面白かったので、歩きながら揶揄うと、フラーテルは空いた左手でエリザの髪をぐしゃぐしゃと撫で回し、馬鹿いうなと小さく笑った。


――――――――――


 しとしとと雨が降る。

折角の大事な日だというのに止まぬ雨は、令嬢のドレスに縫われたレースのように細く窓から見える景色の間を縫い、部屋の美しい調度品と合わせて絵画にしたいほどに美しい。

「フェリクス、姫の近衛騎士としての責務を全うするんだぞ」

 その部屋の真ん中で、まだ10代後半ほどの茶髪の青年が体格自身の倍ほどある男に肩を掴まれて揺らされていた。

「分かっています父上」

 揺らされている青年が、柔らかく笑いながら父親に返事をする。

 フェリクスは、今日から姫の近衛騎士として働く予定であった。

 体は細く年齢も若いものの、その実力は精鋭が集まる第一騎士団の中でも群を抜くほどであった。

 その実力を買われ、ギリギリ貴族であれる程度のフェリクスは姫の近衛騎士という大出世を成した。

 今日はその就任日である。

 就任と言っても大広間で大仰な就任式が行われ、そんな場にいたこともないフェリクスの父親は、息子以上に緊張していた。

「お前、そんな軽く言いおって!良いかこの様な大きな場では..」

 家からこの就任式までの待機室まで、延々と聞かされ続けた大舞台に立つ時の心得が、また父親の口から出てくるのをフェリクスは肩を掴まれながら流す。

 父は貴族の父としては驚くほどに良い親だ。

..だが少し心配性で熱血漢すぎる。

 フェリクスと父では、血が繋がっていることが髪の色でしか認識できない程に似ていない。

 性格もフェリクスはもっと大雑把かつ冷静で、本当に血が繋がっているのかとよく言われる。

 だがその違いがフェリクスには心地よく、この心配する顔も見るたびに笑ってしまう。

「...おい!聞いているのか!」

「聞いてますよ!大舞台では胸を張って、微笑んで、余裕を溢れさせて!今日だけで何回聞いていると思ってるんですか?」

「全くお前は...」

 また説教が始まりそうな所で、丁度良く扉がノックされる。

「フェリクス・アンバー様、お父上様、お時間です」

 大広間まで、と言われてようやく父の手が肩から外される。

「良いかフェリクス、胸を張れ、どんなことがあっても」

 父上が後ろ手に扉を開けながら、忠告する様に太い人差し指を振る。

「大丈夫ですよ」

 そう言って笑ったフェリクスの肩を、父上が強く叩いた。

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