雨包む林檎のような

ににまる

第1話


「こんなに美味そうなリンゴがこの値段!買っていきな!」

「お兄さん!彼女さんにプレゼントはどうだい?」

 市場は日が傾き始めてもなお騒がしく、人と人がアリの巣の様に忙しなく肩をぶつけ合いながら歩いていく。

 その群れの中に10幾つかと見れる1人の少女がいた。

目は丸く茶色、鼻はすらりと高く気品のある顔立ちをしている。

長い黒髪をおさげにして、低い背を精一杯に伸ばして周りをキョロキョロ見回しながら人の間を縫っていく。

買い物かごには大きなパンや野菜、何切れかのチーズ等雑多に物が入っている。

古ぼけた服に身を包んだその格好や佇まいは、捨て犬や濡れた小動物を思わせ、周りの人間が少し振り返りながら歩いてしまう。

 振り向いた彼らは心の中では『心配』の2文字が浮いているだろうが、勿論そう思う人間だけでは無い。

「嬢ちゃん、ここらを1人で歩くのはお勧めしないぜ?」

「そうそう!俺らみたく強くてかっこいい男が横にいなくちゃ」

「いや、あの」

やはりというべきか、少女の周りを背の高い10人ほどの男達が囲んでいく。

 男達は確かに上背はあり筋肉もあるので頑強そうではあるが、容姿は個人の好みに頼る他無いだろう。

怪しい男達に囲まれた少女、は声を出したり腕を振りしてどかそうとするものの、そんなものは男達にとっては雀が鳴くようなものである。

 みるみるうちに、少女は大通りから少し外れたところまで誘導されてしまう

 何処に来てしまったのか、家々も朽ちて温もりの無いような道に来てしまった。

 怪しい笑いをする男の他に人は居らず、すっかり先ほどの賑やかさが遠いものとなっている。

「あの、兄が待っているんです」

未だ彼女は、諦めずに男達に解放するように問うてみるも、一級品の女を手に入れた男達は聞く耳など持たず、何かの順番について、少女を囲んで揉めている。

 暫くして、順番決めが終わったのか、男達が囲んでいた輪を少し広げる。

 一番手の男が気品の欠片も無い笑顔を晒しながらゆっくりと近づく。

「お嬢ちゃん、大人しくしてりゃすぐ終わっからよ」

すっかり腰が抜けて座り込んでしまった彼女に、下卑た手が伸びていく。

 少女の服に悪手が触れる、直前のことだった。

「妹にナニしてんだボケ!」

背の高い若い男が、下卑た蛮族に飛び蹴りを放つ。

 その蹴りの勢いで蛮族は離れた場所に吹っ飛び、頭を打ったのかそのまま気絶してしまった。

 乱入者の背は高く、伸びた手足には健康的な筋肉が付いている。

黒髪は走ってきたのか前髪が立ち上がり、額には薄ら汗が見える。

顔立ちは今は真顔で冷たい殺意しか感じられないが、少し微笑めば花市の女は高い声をあげるだろう。

 その茶色い目からでる怒りは、先ほどまで少女を襲おうとしていた下郎に余すことなく与えられ、服が草臥れたシャツでない、銀に輝く甲冑であったなら姫を助ける騎士のように見えたことだろう。

 機嫌の悪くなる下郎共と裏腹に、少女の顔色はみるみる良くなっていく。

「んだおめぇは!」

 周りの下郎共は乱入者を迎え剣呑とした空気を醸し出すが、肝心の乱入者はそんな下郎を無視して倒れ込んだ少女の手を取り言葉を交わし始める。

「エリザ怪我はない?お兄ちゃん今からあの蛮族共をどっかやるからな。待ってろよ」

うんうん、と首を縦に振る少女の動きににこりと笑うと、青年は手の骨を鳴らしながらゆっくりと群れた男達に近付いていく。

 そこからは一瞬だった。

自分の10倍程の人数が殴りかかってくるのをを隙を見せずにするすると避けていく。

 逆に男達が油断を見せると、外すこと無く一発で金的を決める。

そこで戦闘不能になった男の顔を思いっきり殴り、地に伏せさせる。

そんな、事情を知らない人間が見たら舞踊か何かと思うような一方的な殴り合いはすぐに終わった。


「ごめんなさいお兄ちゃん」

 エリザは立ち上がり、申し訳なさそうにその目を伏せる。

肝心のお兄ちゃんは彼女に背を向け、道端に倒れた男達を隅に山積みにしていた。

 その怒りはまだ収まらない様子で、男の顔にストレートを入れて一つため息をつく。

 やはり、ここまで手を煩わせてしまえば許してもらえないかも..と思いつつもエリザはそっと小首を傾げて兄にもう一声かけてみる。

「お、お兄ちゃん?」

「あぁエリザ!無事でよかった!ごめんなお兄ちゃんが不甲斐ないばっかりにお前を迷子にさせてしまう上にあんな蛮族の恐怖にまで晒してしまった!頼む、兄ちゃんを一発殴ってくれ!」

 先ほどまでの怒れる獅子は何処へやら、振り返った兄、フラーテルは妹へ両手を広げ、服が汚れるのも厭わずに汚れた床に膝をつく。

「お、お兄ちゃんやめてよ!迷惑かけたのは私なの!私より腰を低くしないでよ...」

エリザは兄を急いで立ち上がらせながら、困ったように眉を下げる。

 兄はいつもそうだ。

どれだけ私が悪くても、絶対に怒らない。

 まるで私のことを信奉するように、謝ってきた時の私の言葉だけは、絶対に聞こうとしない。

 そしてこんな時は、兄がお決まりのセリフを最後に言ったっきり、話を逸らすように違う会話を始める。

 妹に無理矢理立ち上がらされたフラーテルは、半ば引きずられながら少し泣きそうな弱々しい声で言う。

「兄ちゃんが、悪いんだ」

兄は、いつもそうだ。

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