12
突然の訪問にエミリオは驚いたような顔をしたが、すぐミレイアを自分の家の中へ招いた。
「いきなりごめんなさい。なんとなく会いたくなって……」
「いや、嬉しいよ。ちょうど僕から会いに行こうと思ってたくらいだ」
エミリオは穏やかに笑った。そして綺麗に包装された小包をミレイアに渡した。
最近評判の焼き菓子だよ、と言われ、ミレイアは素直に喜んで受け取った。嬉しい驚きだった。
いつもと変わらぬエミリオの笑顔に、ひそかに安堵の息を吐く。
(……よかった。なんともないみたい)
先日、ラウルの意味深な反応を見てから、どうにも落ち着かなかったのだ。
――とはいえ、ラウルがエミリオに直接あるいは間接的に手を下すとは考えていない。
突拍子もない言動をしても、ラウル・ヴィクトールがある種の誇り高い武人であることは疑いの余地がない。ただ、そんな武人であるから、気軽な手段の一つとしてエミリオに決闘を申し込むとか、そういった類の懸念はある。
いつものようにエミリオの書斎机を挟んで向き合うように座る。
エミリオはふと、ミレイアを見て心配そうな顔をした。
「あれから、大丈夫かい? ラウル王子が害を加えようとしたり、ミレイアに無理矢理、刻印を使わせようとしたりということはあった?」
ミレイアは頭を振り、大丈夫、と答えた。
「変な人だけど、乱暴な人ではないわ」
そう続けると一瞬、エミリオが苦いものでも口に含んだような顔をした。
「油断してはいけないよ。……悔しいな。君が連日呼び出されるのを止めることもできないなんて」
ミレイアの胸はじんわりと温かくなった。エミリオがこうして気にかけてくれることが嬉しかった。
「仕方ないわ。でも、話がまったく通じないというわけではなさそうだから、いずれ諦めてくれるんじゃないかしら」
「そうだといいけど……。でもやはり、刻印に固執してるんだろう?」
ええ、とミレイアはうなずく。
エミリオははっきりと顔をしかめた。
「ミア、君からもしつこいくらいに言ったほうがいい。君がいかに刻印に苦しめられてて、おぞましく思っているのか。刻印はそんな便利で万能なしろものじゃないし、ラウル王子はそれをわかってないんだ」
厳しい口調だった。
ミレイアはふいに、ぎゅっと胃がひきつるような感覚を覚えた。とっさに、手首を隠し、両足首を強く閉じた。――刻印を隠すために。
悲しみとも苦しさともわからぬ、得体の知れぬ感情が胸にわく。じわりと感じた温かさが、それ以上の冷ややかなものに塗り替えられてしまう。
――なぜ、こんないやな感じがするのだろう。
エミリオの言葉は正論で、自分への思いやりゆえに言ってくれているのに。
刻印は消えない。おぞましい。便利で万能なものじゃない。
それはまったくその通りで――。
(……私は)
そこまでおぞましいと思っていなかった。そのことに衝撃を受ける。
《力の刻印》は確かに異常なもので、時に命を奪う。惨いものだ。
だが《力の刻印》は、言葉通りミレイアに力を与えた。
痛みを耐えた先に、ミレイアに確かに戦う力を、守る力を与えてくれた。
刻印がなければ、ただ泣いて立ちすくんで絶望するだけだった。
それに。
『俺が欲しているのは、馬鹿げた刻印を四か所も身に刻んでなおも使いこなす女だ』
ラウル・ヴィクトールの言葉が、暗闇からこだまするように響いた。
刻印だけでなく、その刻印を使いこなすミレイアという女――それこそを認め、欲しているかのように聞こえた。
――刻印に適応した。試練を乗り越えた。
心の奥底、子供じみて浅はかな誇りがラウルの言葉に震えている。
ラウルは敵国の人間なのに――《力の刻印》を忌避しない。《四印の聖女》であるミレイアのことも。
刻印を強く忌避するエミリオとまったく逆の態度だった。
それは刻印についてラウルが知らないからだ。なのに。
ミレイアの胸は、不可解なほど鼓動を乱している。
「ミア?」
エミリオの呼びかけにかろうじて反応し、取り繕った笑顔を浮かべる。
愚かな考えを振り払うように、話題を変えた。
エミリオの家を出て馬車に乗ってしばらくの間、ミレイアはぼんやりしていた。
何も考えたくなくて、漫然と外に目を向ける。
ゆっくりと動く景色を眺めているうち、ふと、忘れ物に気づいた。
エミリオにもらった焼き菓子の包みを、そのまま置いてきてしまった。
(ああもう、馬鹿!)
妙なことばかり考えていたせいで、せっかくの贈り物を置き去りにするという失態を犯してしまった。
慌てて御者に引き返すよう頼み、出て来たばかりの家に戻る。
ドレスの裾をさばきながら、ミレイアは慌ててエミリオの書斎に向かい――甲高い声が聞こえてきて、一瞬足を止めた。
「どうしてよ……っ!!」
嗚咽まじりの、女の声だった。
ミレイアの心臓が、どくんと跳ねた。
聞き覚えのある声だった。
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