11
自分でもほとんど忘れかけていた、あの衝動的な、怒りとも悲しみともつかぬあの感情――。
「……私には何人もの兄がいました。ですがみな、病や事故で命を落としました。私の親には、もう子どもが私しか残っていません。その私も、この通り美貌や教養などはありませんから、他に役に立つ方法が見つからなかったのです」
瞼の裏に、慟哭する父と母の姿が浮かぶ。
グエラの戦いでの功績を認められて財産を与えられるより前、ミレイアの家はほとんど平民と同じか、それ以下の貧しい下流貴族だった。
だが貧しい分だけ、貴族としては異例なほど家族が親しく、絆は固かった。
大好きな兄たちが次々と命を落としていく――目に見えない力で取り上げられていく悲しみと痛みは、幼かったミレイアの魂に痛烈に刻み込まれた。
次は父と母が奪われるのではないか。
そして特別に親しかった友人――エミリオやサリタまで取り上げられるのではないか。
それは、震えて立てなくなるほどの恐怖だった。
何かもっと強い力が。特別な力がなければ守れない。
「何もできない自分に焦りを覚えたのです。私の親しかった友人が、《力の刻印》を受けようとしていたのを見たとき、私はただ見ているだけの状態に耐えがたくなりました」
「……親しかった友人?」
ラウルはかすかに片眉をあげ、そんな言葉に反応した。
その反応にミレイアはかすかに訝りながら、はい、と短く答えるにとどめた。
当時はまだ婚約者ではなかった、だが誰よりも親しかった幼なじみ――固い表情をして別れを告げに来たエミリオの姿を、いまでも思い出すことができる。
『僕は、剣も乗馬もだめだ。でも一つ方法がある。《力の刻印》に適応できれば、立派な兵士になれる』
エミリオは優しく、同時に強い正義感を持った人だった。理不尽に憤り、悪を憎み――御伽噺の立派な騎士に憧れていた。
だがあのときばかりは元来の優しい気質もあってか、武芸の素質はほとんどなく、だが正義感ゆえに戦う力を求めて《力の刻印》の挑戦者となった。
戦況が芳しくなくなるにつれ、聖女と秘術を要する《刻印教会》が、禁を破って《力の刻印》の適合者を求めたのだった。
――《力の刻印》は、激しい痛みをもたらす。命を落とすこともある。
それを知ったとき、ミレイアはエミリオを止めた。激しい口論になっても、引き止めようとした。だがエミリオの決意は固く、ほとんど決別するようにしてエミリオは教会に向かった。
そうしてエミリオの後を追いかけたときの怒りと絶望と恐怖を、ミレイアはいまでもよく思い出せる。
――手をこまねいているうちに、エミリオまでもが自分から取り上げられようとしていた。
「その親しい友人とやらは、刻印に選ばれなかったというわけか」
冷笑的な響きを滲ませながら、ラウルは言った。
ミレイアは反発をこめてラウルを睨み、言葉は与えなかった。
「選ばれたのはお前一人だった。なるほどな」
無言の中から事実を汲み取り、黒の王太子はくつくつと笑った。
ミレイアの頭の中に、あの衝動的な自分の行動が蘇ってくる。
――エミリオのもとに駆けつけたとき、あの優しい幼なじみの伏せる姿に戦慄した。エミリオは苦しげに寝込み、滝のような汗をかいてうなされていた。
それでも運がいいほうだった。命をとりとめたのだから。刻印に挑んだもののうち、半数は命を落としていたという。
適応者はいまだ出ていない。一人でも出るまで、この試みは続けられるという。
エミリオは刻印に一度は拒まれ、だが命を取り戻した。だから回復したらもう一度挑んでもらうことになるだろう――その話を聞いたとき、ミレイアは目の前が真っ赤になるような怒りと絶望に見舞われ、すべての烈しい感情が行き場を求め、叫びとなって喉から迸った。
『私が、受けます!』
平凡なミレイアにとって、その行動こそがもっとも無謀で勇敢で愚かで、輝かしくもある一瞬だった。
「――その親しい友人とやらが、貴様の現婚約者か」
ラウルの言葉が、鋭利な刃物のごとくミレイアの不意を衝いた。
奇襲のようなそれにミレイアは取り繕うことができず、目を見開いた。
底のない、夜のような瞳がミレイアを直視する。
「なるほど」
ラウルの唇が描く弧は鋭く、冷ややかだった。
ミレイアは強く唇を引き結ぶ。ざわざわとした胸騒ぎが起こった。
――何がなるほどなのだろう。
含みのある言葉は、こちらの説明にただ納得したというだけではないように思えた。
言わなくていいことを言ってしまったのかもしれない。
与えなくていい情報を与えてしまったのかもしれない。
そんな不安が、色濃い影となって胸に差した。
ミレイアはうかがうようにラウルを見た。やがて自分に言い聞かせるように、決然と男を睨んだ。
(……何があっても、エミリオに手出しはさせない)
だがラウルはそれ以上何かを言うでもなく、奇妙に噛み合わない会話ばかりが続いた。
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