8-1
――かつてない緊迫感。
どくどくと不吉なほどに鼓動が乱れ、ミレイアの体は強張る。ドレスの下では歩くにも足がぎこちなく、肩に力が入るのがわかる。
麗しい緑と花々の並ぶ庭園の美しさが、ひどく場違いなもののようにさえ思える。
「子どものような反応をする。婚約者とやらは腕を貸してもくれなかったのか?」
不穏な緊迫感を生じさせている当の本人が、言った。
ミレイアは思わず、触れた腕に力を入れそうになった。
結局、テンペスタ王太子のかつてない横暴のために、その腕をとらざるを得なかったのだ。
そうしてミレイアはいま、ラウルの腕をとりながら悠長に王宮の庭園を散歩している。あたかも、顔合わせをしたばかりの初々しい婚約者同士であるかのように。
ラウル側の護衛や、リジデス側の護衛――あるいは監視――が離れて後ろからついてきているということさえなければ、完全に誤解を招く光景だ。
「……婚約者以外の方に、このように腕を貸していただくことには慣れておりませんので」
「異性をあまり知らないということか。聖女としての体裁にしろ、ずいぶんと初々しいことだな」
「てっ、体裁という問題ではありません……!!」
――相手がよりによってあなただからだ、という言葉を、ミレイアは寸前で飲み込んだ。
ラウルの口調は、あたかも社交界に出たばかりの初々しい令嬢をからかうようなものだった。
(この人は本当に……!)
あの黒の死神、黒王子とも呼ばれ恐れられた人物とはとても思えない。
ミレイアはひそかに長々とした息を吐き、なんとか自分を取り戻した。
(……主導権を握られるばかりではいけない)
このように突拍子もなく求婚してきたラウルの真意はどこにあるのか。
こと王族において、婚姻とは政略の手段にすぎない。
――ラウル・ヴィクトールが正妃を迎えていないというのは知っていた。
それはいまに至るまで同じであると、つい昨日、大臣から聞いたばかりだ。
側室すら三人もおらず、まだ世継ぎもいないという。
大国テンペスタの王太子ともなれば、相手にはまったく困らないはずだ。むしろ豊富な相手から誰を選ぶかということに苦労するだろう。
あるいはラウルがいまだに正妃を迎えないのは、早急に足元を固めたり、権力を拡張する必要がないからだとも考えられる。
――そうなるとますます、リジデスの聖女などに求婚するラウルの意図がわからない。
「何を思い悩む必要がある」
隣からそんな声をかけられ、ミレイアは顔を上げる。
深い紺色の両眼が、射るような強さで見つめていた。
心の声を読まれたかのような間に、ミレイアはかすかに怯む。
「俺は、求婚して油断を誘うなどという小心な真似はしない。求婚はそのままの意味でしかない。何が貴様を悩ませている、ミレイア」
「な……、よ、余計に混乱します! そもそもあなたはテンペスタの王太子殿下で、私ではとても身分が釣り合いません。第一、剣を交えてきた相手同士で――」
「だからこそだ」
思わず反論したミレイアに、ラウルは尊大に言い放った。
夜色の目に、研ぎ澄まされた刃のような輝きが宿る。
「剣を交えた。それが何よりの理解だ。俺は貴様を知った。貴様も俺を知った。他に何が必要だ?」
ミレイアは息を飲んだ。
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