3-2

 週に一度は、近くの公園まで婚約者と共に散歩に行くのがミレイアの習慣だった。

 これまで楽しみであったその時間を、落ち着かない気持ちで待った。

 サリタとの邂逅以後、本来ならすぐにでも真実を確かめるべきだった。だが幸か不幸かエミリオは仕事が忙しいらしく、今日この日まで会えなかった。


 いつものように迎えにきたエミリオに笑顔を向ける。しかしその笑顔がいつもより固くなっているのは自覚できるほどだった。

 公園に着き、エミリオと並んで木々の間を歩きはじめる。


「今日は、あまり元気がないね。どうかした?」


 エミリオは気遣うように言った。

 今日、迎えに来て最初に顔を合わせたときにもミレイアは同じような言葉をかけられた。

 ――いつもより少し顔色がよくないね、無理をしてはいけないよ。

 ミレイアの健康を何より気にする、エミリオらしい言葉だった。


 うつむいたまま、ミレイアはかすれた声で切り出した。


「……先日、サリタに会ったの」


 かすかに、エミリオが息を飲んだような気がした。


「久しぶり……だね。何か話した?」


 ミレイアは答えず、つかの間黙った。

 ――エミリオの言葉が、まるでこちらをうかがうようだと思ってしまう。

 暗闇に怯える子供のように、心が早くも揺らぎはじめている。


 それでも、サリタに突きつけられたものを自分一人で抱え込むことはもうできなかった。


「サリタと、将来の約束をしてたって本当?」


 小さな風が、足元の落ち葉をわずかに舞いあげて通り抜ける。

 ほんのわずかな無言。しかしそれは何百もの言葉よりも雄弁に、ミレイアに突きつけてくるようだった。


 やがて、ミレイアの婚約者は短く肯定の言葉を返した。


 そのときようやく、ミレイアは顔を上げてエミリオを見た。


「お互いに、愛し合ってたって……サリタは、納得できないって言ってたわ。どうしてサリタと別れたの? どうして……」


 ――どうして、私と婚約したの。


 エミリオの目が、大きく揺らいだ。

 やがて、向けられる視線に耐えかねたように、逸らされる。


「……サリタは、僕がいなくても大丈夫だから。もっと、サリタにふさわしい男が現れるだろうから」


 それに、とエミリオはどこか抑えたような声色で続けた。


「ミアには僕がいないとだめだと思ったから。傲慢に聞こえるかもしれないけど……、君を助けたいと思ったんだ」


 ミレイアは声を失った。


 ――そんな。


 胸の奥が軋み、とっさに反発めいた声をあげようとしていた。

 助けたい・・・・――それは思いやりで立派な志だ。だが決して愛ではない。


 ミレイアの頭の中は、いきなり攪拌かくはんされたように乱れた。

 足元がおぼつかない。


「た、助けたいって……じゃあ、エミリオは、そのためにサリタとの愛を捨てたというの? 誰かを助けるためなら、恋人も捨てると……」

「ち、違う! 君だから、助けたいと思ったんだ! 君は――君は、あまりに大きな犠牲を強いられていたから!」


 エミリオははっと顔を上げ、ミレイアに必死の目を向けてくる。


 ミレイアは混乱していた。

 ――なら。でも。


 自分が何を言っているのか、わからなくなる。

 エミリオを詰る権利など自分にはありはしない。


《四印》の聖女。そんな自分を労り、受け入れてくれたのはエミリオだけだ。

 昔からの幼なじみであった彼は、どこまでも優しい。


 けれど、それなら。


『もう私を愛していないと言ってくれたら、諦めもついた。でも、エミリオはそうは言わなかった』

『エミリオを愛している。そしてエミリオも……私と同じ気持ちでいるわ』


 自分が――エミリオとサリタの間を、引き裂いたのか。


 ミア、と呼ばれる。エミリオのやや目尻の垂れ下がった目が、いまは悲しみさえ漂わせている。


「……サリタに何を言われたのかはわからないけど、忘れてくれ」


 ミレイアは頭を振る。忘れられるはずがない。


「もう終わったことなんだ。気にしなくていい」

「でも……っ」

「いいんだ」


 エミリオはどこか頑なに言った。温厚なエミリオがこんな反応をすることを、ミレイアはほとんどはじめて見た。

 そしてそれ以上の追及を拒む姿勢に、ミレイアは何も言えなくなった。


 聞けなかった一つの疑問が、胸に大きな鉛の塊のように沈んでいる。決して溶けず、消えない問い。


 ――サリタをいまも、愛しているのだろうか。

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