2-2
――ミレイアはいまも、一つ印を刻むごとに喉が枯れるほど悲鳴をあげ、泣き叫び、のたうったことを思い出す。朦朧として何度も気絶と覚醒を繰り返した。それを生と死を行き来することと表現した者がいたが、決して過剰な表現ではない。
『正気じゃない』
かつて誰かが、そう言った。
確かにそうだった。
一つでも耐えがたい刻印を、四つも刻むなど正気ではない。
それでも、武器すら持てなかったミレイアが戦場に出るにはそれしかなかった。
何の特別な才能も力も持たなかったミレイアにとって、刻印に耐えられることが、唯一の力と言えた。
その超常の力によってミレイアは《聖女》となり、故国の戦士の一人となった。
そして三年前、グエラの地で、黒狼王子率いるテンペスタ国第二騎士団と戦った。
『貴様は、俺のものだ』
ふいに頭の中にそのささやきが蘇り、ミレイアは身を震わせた。
引き倒され、喉元に刃を突きつけられ――唇が触れ合う距離で、ただれるような熱を帯びて吐き出された言葉が、呪いとなって頭から離れない。
ほかのおそろしい記憶を封じることはできても、あの記憶だけは焼き付いて離れない。
「――ミア?」
ふいにエミリオが顔を覗き込んできて、ミレイアははっと肩を揺らした。
「大丈夫かい? 何か嫌なことでも思い出した?」
「……ううん、大丈夫。少し、ぼーっとしていたの。天気がいいなぁって」
ミレイアはなんとか言い繕い、笑った。
ならいいけど、とエミリオが引き下がる。
――こんなふうに気にかけて守ってくれる
(……忘れて、将来のことを考えなくちゃ)
ミレイアは頭を振って、強く意識した。
《グエラ》の戦いには、勝った。ベスティアとの停戦がなり、盤石ではないまでも平和が訪れている。
(……こんな刻印ものは、もう要らない)
グエラの戦い以来、一度もこの刻印を使ったことはない。おそろしい戦の記憶も、何度も医師のもとに通いながら少しずつ封じていった。グエラの記憶はすべて色濃い霧の向こうに、ぼんやりと浮かぶ影のようなものとなった。
そして刻印はもはやただの痕跡でしかない。
だから――もう、エミリオとの明るい将来を考えるべきだった。
その日、ミレイアは嬉しい驚きをもって、邸に珍しい訪問者を迎えた。
「サリタ!」
「こんにちは、ミア」
訪問者――サリタもまた、ミレイアに微笑み返した。だがその笑みがどことなく固く見えた。
ミレイアはサリタを客間に通し、テーブルを挟んで向き合う形で座った。
部屋の中を見回すようにして、サリタは言った。
「久しぶりね。三年ぶりくらいかしら」
「それくらい? サリタはいままでどこに?」
「西のほうへ行っていたの。親戚の領地に身を寄せていて……」
ミレイアの心は弾んだ。
サリタは、エミリオと並んで付き合いの長い友人の一人だった。年頃の令嬢としては異例なことに、癖の強い茶色の髪をばっさりと短く切っている。
そのほうが動きやすいからという理由で、勝ち気で整った顔立ちには不思議とよく似合う。はつらつとした気力がみなぎると、まるで美少年のようにすら見える。
三年前の戦いで、サリタは家族と一緒に遠地へ避難していた。無事だということはたまの短い手紙からわかっていたが、こうして会うのは確かに三年ぶりだった。
――だからなのか。
サリタは少しやつれたような気もするし、以前の明るさが明らかに損なわれている。
避難先の生活が、あまり快適なものとは言えなかったのかもしれない。
安易に浮かれた心が、すうっと冷たくなっていく。
それを象徴するように、会話が気まずく途切れた。
ミレイアが必死に会話の糸口を探っていると、うつむいていたサリタが決然と顔を上げた。
「私――はっきりと言うわ。エミリオが好きなの。愛して、いるの」
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