2-1
公園の前まで来ると馬車が止まり、エミリオが先に降りてミレイアに手を差し出した。
ミレイアはその手を取って降り立つ。
そうしていつものように、色づいた落ち葉が舞う公園の中を二人で散歩しはじめた。
話題はどれも、他愛のないことだ。美味しかった茶や、最近読んだ詩集、エミリオの仕事、ミレイアの侍女の話――。
やがていつもの長椅子にたどりつき、二人で腰を下ろす。
広い公園の中で、同じように散策している男女の姿が遠目に見えた。
頬を撫でる風を心地よく感じていると、ふいに近づいてくる気配があった。
「あ、あの! 《四印の聖女》ミレイア様でしょうか!?」
気配とともにそんな声をかけられ、ミレイアは驚いて目を向けた。隣のエミリオもまた顔を向ける。
緊張と興奮で頬を赤くした少年が、上官を前にした兵士のように体をこわばらせてそこに立っていた。
着ている服からするに、どこかの中堅貴族の御曹司のようだった。まだ十二歳前後といった様子に見える。
ミレイアが口を開く前に、エミリオがかすかに眉間を寄せて控えめに抗議を表した。
「……君は誰だ? このようにいきなり声をかけるなんて、将来紳士になる者として感心できないな」
「す、すみません! ですが、ぼ、僕、三年前の《グエラの戦い》を勝利に導いてくださったミレイア様を本当に尊敬してて……っ、か、感謝をお伝えしたくて……!」
更に少年を遮ろうとするエミリオに、ミレイアはやんわりと介入した。
無意識に両手首を――袖の下、あの刻印のある部分を押さえながら、少年に答えた。
「ありがとう。私一人の力ではなく、この国のために戦ったすべての人の勝利です」
何度も繰り返してきた言葉を、口にする。――心のこもらない、虚ろな言葉であることに罪悪感を覚えていたのも、遠い昔のことのようだった。
だが無垢な少年にはそれでも十分であったようだった。
「あの、僕も、この国を守る軍人になりたいんです! それで、どうやったら聖女様のように強くなれるか――」
まくしたてる少年を、エミリオが険しい声で制止しようとする。
ミレイアは袖の刻印の下を強く抑えながら、曖昧な微笑を浮かべた。
「大事なものを守る。その気持ちを持って鍛錬し続ければ、きっとよい軍人になれますよ」
――そうして、耳触りがよいだけの虚ろな答えを返した。
去っていく少年の後ろ姿を、ミレイアは複雑な気持ちで眺めた。
手首を抑えていた手に、ふいに大きく温かな手が重なった。
「大丈夫かい、ミア」
エミリオの手と言葉に、ミレイアは自然と体の力が抜けていくのを感じた。
――温かく優しいエミリオの手。出会った時からずっと差し伸べられていた、思いやりの手だった。
ミレイアは意識して微笑んだ。
「大丈夫。エミリオも過保護ね」
「笑いごとじゃないぞ。いくら悪気のない言葉とはいえ……」
エミリオの言葉に、静かな怒りが滲む。
「――《力の刻印》は、ミアを傷つけた。あってはならない力だ。あんなもの、二度と使ってはいけない」
ミレイアは黙って、やがて小さくうなずいた。
両手首、そして両足首。計四か所に、その刻印はある。
《力の刻印》。それは、適応した者に、元の身体能力をはるかに超える力を与える刻印だった。
中堅貴族の凡庸な令嬢であったミレイアが、聖女などと呼ばれ、鎧に身を包み、武具を自在に操ったのはすべて《力の刻印》によるものだった。
それも四つも刻印を受け、適応したからこそ《四印》の聖女などという異名がついた。
――先ほどの少年の問いにも、《力の刻印》に適応すれば自分と同等かそれ以上に強くなれるというのが正直な回答だった。
だが、言えるわけがなかった。
《力の刻印》が、非常時以外には使用を禁止された古い呪術であるからというだけではない。
刻まれた瞬間に、時に命を落とすほど激しい痛みを伴うからだ。
刻印に適応するということは、その痛みに耐えうるということだ。
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