27
ギギギ。軋む音を立て、焦らすように、ドアが開かれてゆく。
命一杯に開かれたドアの向こうに立っていたのは……燃えるようなスーツを身にまとう男、グレンだった。
「俺だよ。怒鳴らないでくれ」
「なんの用があって来た?」
守は、銃口をグレンに向けたまま、厳しい口調で問い質す。ここでようやく守が拳銃を構えていることに気づいたらしく、グレンは狼狽えながらもサッと両手を上げた。
「お、お前、そのチャカどこで手に入れたんだ……」
「質問に答えろ! どうしてここへ来た」
「その……ダイニングの様子が変なんだよ」
「ダイニング? 納得ができない。もっと詳しく」
顔をしかめてゴクンと生唾を飲み込むと、グレンは訥々と語り始める。
「腹が減ってきて二階へ移動したら、ダイニングのドアがビクとも動かねえんだよ。誰かいるのかと思って、何度もノックして声をかけてみたが、どうにも反応がねえ。不気味に思って、ドアのすき間からそっと中を覗いてみたら、誰かが足を放り投げて床にバッタリ倒れているじゃねえか。それで、またやべえ事態が起こったのかと思って、残りの奴に知らせるために、こうして三階の部屋を回ってたんだよ」
「まさか、カガチさんが?」
急速に冷えゆく唇を震わしながら、俺は小さく漏らす。
「誰かまではわかんなかった。なんせ、ドアのすき間からは足元しか見えなかったからな。でも多分、あれは男の靴だった。……ホントだよ。銃持ってる相手に、すぐバレる噓をつく奴なんて、いないよな?」
守は、話の真偽を確かめるように、じっとグレンの顔を凝視すると、やがて拳銃を構えながら、ゆっくりグレンの方へ歩み寄った。
「両手を上げてろ。下げたら、容赦なく敵意とみなす」
片手に拳銃を浮かせて、もう片方の手でグレンの体に触れてゆく。靴の底までしっかり調べ上げたところで、ようやく銃口を天井へ逸らした。
「平気だ。武器の類は持ってない。ハットリ、行くぞ。グレン、お前は先頭を歩け」
守の迅速かつ適切な対応のおかげで、なんとか危機的状況を回避することができた俺たちは、重たい鉛のような不安を胸に抱えたまま、慎重に廊下を歩きはじめるのであった。
そうして二階に到着すると、残酷なまでに、グレンの話が嘘でないことが証明されてしまった。
たしかにダイニングのドアは施錠されていた。紫檀のテーブルに置かれた小さな鍵も消えている。それだけじゃない。ドアの隙間に片目をねじ入れると、白い人工光に包まれるようにして、男の足がダランと床に伸びているのが見えるのだ。
内側から施錠されてしまったら、あとは物理的にドアを破壊するしか中へ入る方法はない。
仕方なく俺と守は、息を合わせて、なんどもドアに体当たりを試みた。守に命綱を握られているも同然のグレンは、自然とこれに協力した。
しつこくドアに衝撃を与えているうちに、徐々に跳ね返ってくる感触が変わりはじめた。ミシ、と乾いた音を立てドアが歪んだ。渾身の体当たりで……ようやくドアがドアノブごと破壊される。三人は、勢いのままにダイニングの中へ放り出された。
とたんに、腐ったような酸の匂いと湿った鉄の匂いが混じり合った、鼻のひん曲がるような激臭が襲いかかってくる。だらしなく床に倒れ込んだ俺は、思わず呻き声を漏らし、鼻を手で覆うと、意を決して顔を上げた。
そびえ立つ巨大な冷蔵庫の下。そこには、後頭部に薔薇を咲かせたカガチが、美術館のオブジェにでもなったかのように、血の池に沈んでいた。
この短時間で、明菜に続いてカガチまで……。
恐ろしいことに、俺は、もう二度と目を覚まさないであろうカガチの遺体を、妙に達観したような目つきで、ただ静かに見下ろしていた。
次々と仲間が亡くなっていくことに慣れてしまったのか。あるいは、ショックのあまり感情が鈍化してしまったのか……。どちらかは、定かではなかった。
守が、地べたに這いつくばり、必死に動揺を抑えながら周囲の様子を観察している。俺も、改めてカガチの遺体に目を遣った。
後頭部はパックリ割れ、柘榴のような肉壁の内側から、うっすら頭蓋骨らしき白がのぞいている。床に流れた血液はすでに乾き始め、カガチの髪に糊のように絡み付いていた。遺体のすぐそばには、粉々に砕け散った焼酎の一升瓶らしき残骸があった。
「仰向けにしてみよう。俺は頭の方を支える」
自分でも驚くほどに冷静な声だった。守と俺は、息を合わせてカガチの遺体を仰向けに直すと、赤いマスクを被ったかのような顔━━身の毛もよだつ恐怖に原型を留めぬほど歪んだ死に顔━━が露わになった。
わずかに開いた口元から、薄黄色の激臭を放つ液体がドロッと溢れて出てきた。
「焼酎の瓶で後頭部を強打して意識が昏迷し、嘔吐物で窒息した、といったところか。おそらく相当、飲んでいたんだろうな」
守もまた、凄惨なこの場に似つかわしくないほど、冷静な声をしていた。
グレンはというと、これまでの威勢は一体どこへやら、ガクガク膝を震わせながら、遺体から顔を背けていた。ゲーム開始以降、一人で部屋にこもってばかりいたため、実際の死体に対する耐性が、俺たちよりもはるかに低いのだろう。
乱れた呼吸が落ち着いてきて、次第に推理をする余裕が生まれてきた。
ここに残されているのは、四人。守、グレン、秋菊、そして俺。俺は除外できるとして、信じたくはないが、この中に間違いなく、他の五人を殺害した人物が潜んでいる……。
生前のカガチを最後に見たのは、おそらく俺だ。あの時カガチは、論理立てて雑学を披露できるほどに意識は明瞭としていた。カガチが亡くなったのは、その直後から、変わり果てた姿の明菜を発見して、三階で守と暗号を解いていた、そのわずかな間の出来事ということになる。
一旦、二階の守と別れて三階へ向かい、ふたたび戻った時にはまだ、異変は感じられなかった。ゆえに、守にはアリバイがある。……いや、違う。俺は、単にドア越しにダイニングの様子を推測したに過ぎない。加えて、不気味なほどに物音の一つも聞こえなかったではないか。すでにダイニングでカガチが死亡していても、おかしくはなかったはず。
俺が明菜と秋菊の部屋を訪れている間だけ、守はアリバイを証明することができないのだ。
では、秋菊はどうだ? 三階で自己紹介を終えてから、守の部屋で縛られるまでの間、常に二階には守がいた。ゆえに、隠れてダイニングへ移動するのは不可能であったはずだ。であれば、縄抜けされていないかぎり、秋菊のアリバイは証明される。
しかし、それは守の監視を信頼した場合の話だ。もし、守と秋菊が共犯関係にあったら? 俺が明菜の部屋を訪れている間、二人は、誰の目にも留まることなく、自由に二階を動き回ることができたはず……。
「ハットリ、大丈夫か。目の焦点が合っていないぞ」
「……ええ。わかってます。俺たちに、落ち込んでいる暇など残されていない」
「ああ。これだけ人数が少なければ、全員一箇所に集まっていた方が、かえって安全だ。秋菊もこっちに呼ぼう。亡くなった皆のためにも、浸水がはじまる前に必ず暗号を解いてやるぞ」
遺体の前で手を合わせ、そう意気込む守の姿からは、これっぽっちも邪念らしき色を感じられなかった。
やはり、なにかの思い違いなのだろう。そんなわずかな時間を縫って犯行に及ぶなんて、あまりにリスクが高すぎる。それに、密室の謎も残される。なぜ遺体の発見時、ダイニングは内側から施錠されていたのか。
外套のポケットから、テーブルに置いてあったはずの小さな鍵も見つかっている。だとすれば、事故の可能性も十分に考えられるのではないだろうか?
そんなことを考えながら、ふとカガチの遺体に視線を移した瞬間、俺は、忘れかけていた例のフラッシュバックに襲われた。
幾分か背の低くなった俺は、ふたたび部屋の外にいた。目の前にあるのは、至るところが錆びた銀色のエレベーターの扉。俺は、エレベーターの外側に立って、ただ呆然と扉を見つめていた。鈍い音を立て、ゆっくりと扉が開かれる。中には誰も乗っていない。俺はすこし間をおいて、右手を振りかざす。ポチャンと水の弾ける音がした。手になにか握っている。うすい蛍光灯の明かりを焦茶に透かす、大きな筒状の物体。酒の一升瓶だ。ブン、と風を切る重厚な音。俺の頬がつり上がった。ニヤリ笑ったのだ。すると、エレベーターが別の階へ呼び出された。しばらくして、ふたたび扉が開かれる。右手を高く持ち上げたまま、俺は凍り付いてしまった。扉の向こうから出てきたのは、長い黒髪を二つに結んで、黒ぶちの丸眼鏡から小粒な眼をのぞかせ、ペチャっと潰れた鼻をした、お世辞にも美人とはいえない女性。気づいたら、子供と手を繋いだ母親らしき人物が、訝しそうに俺を見つめながら、まばゆい光の差す後方へ立ち去っていく最中だった。スルリ、と右手から一升瓶が滑り落ちた。焦茶色のガラスの破片が、足元に飛び散った。
「またフラッシュバックか?」
目の前には、心配そうに眉をひそめる守の顔があった。額にツーと汗が垂れていくのがわかった。
「……こんな時に、すみません。秋菊の部屋へ行きましょう」
俺は、パチンと自分の頬を叩くと、心の中でカガチの遺体に別れを告げて、ダイニングを後にした。
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