25
『ハットリさんって、彼氏とかはいるんですか?』
『ここを出たら、必ずまた、どこかで会いましょうね』
花のような笑顔を見せた明菜の顔が、瞼の裏で万華鏡みたいに儚く輝いては、闇に滲んで消えていく。
「ハットリ、なあハットリ……」
くり返し名を呼びかけられ、ようやく五感が現実世界と結びついた俺は、目を開いて、ぼうっと声に耳を傾けた。
「亡くなった皆の分まで、必ずここを生きて脱出する。そうだろう?」
……守。そうだ、守の言う通りだ。俺は、ユラユラ頭を持ち上げ、あたりを見渡した。そこは、最後の希望を託した作戦会議室、ドアに書かれた『3』の数字が目印の、俺の部屋だった。
「取り乱してすみません。もう、大丈夫ですから」
守一人ばかりに心配をかけさせてはいけない。俺たちには、落ち込んでいる時間すらも残されてはいないのだ。
俺は、パチンと自分の頬を叩くと、姿勢を正して、守を見据えた。
暗号文について考えを巡らせる前に、もう一度よく、先の出来事を思い返してみる。
明菜が死んでいるのを発見した直後、ふたたび俺はフラッシュバックに襲われた。
幾分か背の低くなった俺は、埃っぽい部屋の中ではなく、今度はどこか外にしゃがみ込んでいた。目の前には、風化してひび割れたモルタル外壁と、雑草の生い茂った柔らかい土がある。名前も知らない雑草の中に、一際目立つ花が一輪、咲いている。下を向いた白の小粒な花。俺はその花の名を知っていた。スズランだ。俺は雑草をかき分け、おそるおそるスズランの花を摘み取る。その場を立ち去ろうとした時、季節の突風が吹いて、俺の手元が攫われた。スズランの花が、長細い葉を風になびかせながら、夢みたいな暁の空に舞っていった。
そうして現実世界へ帰還した俺は、この『家』で誰かが殺される度に見る幻覚について、守に相談することにした。検死を終えた守は、息も絶え絶えに語る俺の話に一生懸命に耳を傾け、ただ不思議そうに頷くと、「疲れて脳が混乱しているのかもしれない」と結論付けた。どうやら守にも、思い当たる節がないらしかった。
明菜の遺体に目立った外傷は見られなかったという。床に食べかけのサンドイッチが散乱していたことから、サンドイッチになんらかの猛毒が混ぜられており、それを口にしたことで死亡したのではないか、というのが守の予想だった。
明菜にサンドイッチを手渡したのは、この俺に違いない。だが断じて、サンドイッチに毒物など混ぜていないし、そもそも、この『家』に来てから、誰かを殺そうなどとは、一度たりとも考えたことがなかった。
守の予想が正しいとすれば、一体誰が、サンドイッチに毒物を混ぜたのか。
殺す相手を選ばなければ、隠れて冷蔵庫の食べ物に毒物を混ぜることは、亡くなった人を含め、この場に居た全員が可能であったはずだ。
だが、肝心の毒物は? 明菜の部屋の郵便ポストに一丁の拳銃が届けられたように、何者かの部屋にも致死量の毒物が届けられていたのだろうか。
それとも、箒を持ったカベイラらしき人影を見た事となにか関係があるのか? わからない。わからないことが、あまりに多過ぎた。
しかし唯一、俺の心に棘のように引っ掛かって、無視のできない疼きを与え続けるものがあった。
フラッシュバックで見た映像の内容だ。これまで視点の人物は、あからさまに何者かを殺す準備をしていた。だが今回は、スズランの花を摘み取りそれを手離すという、実に平和な出来事だけで終わっているのだ。なぜ今回だけ、これまでの趣旨とは異なる映像を俺は見せられたのか。あるいは、まさか……。
化粧台の上にチョコンと置かれたスズランの花が、かすかな風に花粉を散らすのを、俺は、二度と目に入れようとはしなかった。
結局、明菜の遺体は、目を瞑らせてベッドシーツにくるんだ後、そのまま明菜の部屋に安置することにした。
必ず暗号を解いてここから脱出してやると、固く誓いながら、俺と守は、静かに黙祷を捧げるのであった。
「守は、『双子』を満たす要件って、なんだと思う?」
悲しみの谷から復活した俺は、守とともに、作戦会議室の中で、暗号の解釈を披露し合い、議論しては解釈を考え直すという一連のプロセスを繰り返していた。
「姿形が似ていることは当然の事として、あとは、遺伝情報がどれだけ一致しているかとか。ああ、思い出した。双子にも、一卵性と二卵性があるんだ」
「でも、『双子』が生物を指しているとは限らないんじゃないかな。よく似た二つのものを『双子』と形容しても、あまり違和感はない」
「それはそうなんだが、それだと後半の『円』がどうにも解せないんだ。ここにある『円』自体、数はすくないだろう。わたしの記憶だと『双子』の関係にある『円』は、多分どこにもなかった」
「じゃあ、なにか既存のものから新しく『双子』を生み出すとか? 『双子』は、元は一個のものなのかもしれない。ロープの輪を一回ねじれば、双子の輪が出来上がるように」
「それだと、暗号文の内容が、すこし言い足りない気がするんだよ。あの暗号文は、万人にとってフェアでなくては暗号としての機能を果たさない」
議論は平行線をたどった。
隅々まで見て回って、すでに二人とも『家』の構造は完璧に把握している。『双子の円』と呼べるものは、この『家』のどこにもない。それだけは、二人とも意見が一致するところであった。
「次の鐘が鳴るまで、あとどのくらいでしょうか」
「時計が無いから正確にはわからないが……体感的に、あと半分くらいか。鐘の間隔が四時間だとすると、残り、二時間」
二時間……。恐ろしいことに、あと二時間もすれば、止まることのない浸水がはじまるのだ。そうなってしまえば、もはや謎解きどころではない。溺れまいと必死にもがき、四階へ追いやられた人々は、地獄の消耗戦を強いられることになる。
早急に暗号を解き明かし、脱出の方法を見出さなくてはいけない。この下劣なデスゲームを仕組んだ奴に、手痛い敗北を味わわせてやるために……。
コン、コン。
すると、ドアをノックする金属質な音が、とつぜん部屋に鳴り響く。俺と守は思考を中断して、弾かれたように部屋の入口の方へ目を向ける。
秋菊だろうか。いや、彼女は全身を縛られて身動きが取れないはず。では、二階で一人飲んでいたはずのカガチか。
だが……いくら待っても、次の一回が聞こえてこない。二回、次いで一回のノック。二人で定めた合図は、三階で秋菊と顔を合わせた際、たしかに皆で共有したはずなのだ。
コン、コン、コン。
三回、ノックの音が鳴り響いた、次の瞬間。守は、ズボンの中に隠し持っていた拳銃を取り出し、セイフティを解除した。とたんに空気がピンと張りつめ緊張感が漂う。
「誰だ!」
銃を構えて壁に身を寄せ、大きな声で牽制する守。
コン、コン、コン。
返事の代わりに、重苦しいノックの音が不気味に部屋に響き渡った。
ドアの向こうには一体、誰が立っているんだ? グレン? まさか……一初かカベイラの遺体が、歩いてここまでやって来たとでもいうのか?
ガチリ。独りでにドアノブが回転する。守は肩を絞りトリガーに指をかける。俺は守の背後から、玄関をじっと睨みつける。
軋む音を立て、焦らすように、ドアが開かれてゆく。
ああ、そこに立っていた人物は……。
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