21

 ブツブツ意味不明な独り言を唱えながら、二階中央の部屋を夢遊病者のように歩き回る守。己の身体に鞭打ち、残り六名の命を賭けて、必死に頭脳を働かせているであろうことが、俺には痛いほどにわかった。

 俺は今一度、部屋の中を注意深く観察した。

 紫檀のテーブルに置かれた、マングースの剥製、黒く塗られたスズランの鉢植え、そして、ダイニングの小さな鍵。

 壁際には、L字のレザーソファー、灯油ポンプの刺さった灯油タンク、汚れた洗濯機が雑然と置かれている。ソファーのすぐ横には黒板がある。誰も手入れをしていないせいか、石の暖炉の炎は、今にも消えてしまいそうなほどに弱まっていた。

 ボロい灰色の軽自動車は、相変わらず鍵がかかっていて、使えそうにもなかった。

 足元を見てみる。曼荼羅模様の絨毯。フラッシュバックの映像で見たものと瓜二つだ。

 試しに、絨毯の端を掴んでめくってみる。部屋の床全面に敷かれた絨毯は、当然ビクとも動かない。裏面の素材が妙にテカテカ光を反射していた。手で触れてみる。……油? 絨毯の裏面に油が塗られているのか。なぜだ? ……わからない。

 それらしい脱出のヒントも見出せず、時間だけが無為に過ぎてゆく。無情にも水没のタイムリミットは、刻一刻と迫ってくる。

 このままでは、埒が明かない。場所を変えて、脱出のアイデアを練り直してみようと考えた俺は、ダイニングに繋がるドアをそうっと開けてみた。

 そこには、ぽつねんと一人、椅子に腰かけ、寂しそうにカップ酒を傾けるカガチの姿があった。カガチの見つめる先には、ちょうど一人分の空席。空席の前には、封の空けられていないカップ酒が一個、置かれていた。

「カガチさん」

 こちらに気づくと、ハッと虚ろな目を持ち上げた。

「ちょっと失礼しても構いませんか。キッチンに行きたくて」

「なにか食うのか?」

 カガチを見ていると、なんだか明菜や秋菊の様子も気になってきた。念のため、グレンの動向も確認しておきたい。

「明菜さんのところに持っていこうと思って」

「そうか」

 カガチはすがるようにカップ酒を傾けた。

 俺は、冷蔵庫の中から適当にサンドイッチを選んで手に取ると、ふたたびモスリンのカーテンを潜った。

「なあ、ハットリさん」

 ふり向くと、カガチは木の長机の上に目線を落としたまま、独り言のように続けた。

「言うほどのことでもないと思って、いままで黙ってたんだが。……一階で見た物を覚えているか?」

「ええと、ゲームセンターにありそうな筐体とか、自販機とかですか?」

「違う。岩に巻かれた紙垂。中央に置かれた八脚案。紙の人形。どれも、日本古来の宗教、神道を象徴するものなんだ。知ってるか? 神道は、他の宗教とは少し異なる死生観をしていてな。亡くなった人は、氏神となって、縁のある家を守ってくれるとされているんだ。たとえ存在自体が消滅しても、姿形を変えた魂は、はるか遠くから家族を見守り続けている。それって、まるで……」

 カガチはそこで、思い止まるように口ごもった。

「物知りですね」

「こう見えても、ライターの仕事をしていたからな。嫌でも役に立たない知識が身に付くのさ」

 カップ酒の残りを一気にあおると、二個目のカップ酒を引き寄せ、開封した。

「ここまで俺の下らない妄想に付き合ってくれて、ありがとな」

 そう言うと、カガチは引き続き酒をあびた。


「守さん」

 ダイニングを出ると、俺は守に声をかけた。守は足を止めて、こちらに顔を向ける。

「ちょっと三階の様子を見てきますね」

「わかった。気をつけてな」

 そう言うと、機械みたいな足取りで、部屋の徘徊を再開するのだった。

 ふと思い立って、俺は、テーブルのスズランの鉢植えを手に取った。


 一番のドアを二回、すこし間を開けて一回ノックする。それが、俺と守が相談して定めた、訪問者が敵でないことを知らせる合図だった。

「明菜さん、今すこし、平気ですか?」

「どうぞ」

 プレスドアの向こう側から、すぐに返事がかえってきた。

「お邪魔します」

 俺はおそるおそる、玄関に足を踏み入れた。

 ピンク色の壁に囲まれた部屋の奥では、ベッドにちょこんと腰かけた明菜が、頬の涙をハンカチでぬぐっていた。

「その……どうしても様子が心配で。軽食と、あとよければこれも」

 俺は、紙袋に包んだサンドイッチとスズランの鉢植えを、そっと床の上に置いた。

「助かります。ありがとう」

 明菜は、紙袋のサンドイッチを受け取ると、ただ静かに、床のスズランの苗を見つめた。

「花は良いですよ。鮮やかに色づいた花びらを懸命に開かせようとする姿が、なんだかとっても健気で。どんなに嫌なことや悲しいことがあっても、眺めているうちに、ちっぽけなことのように思えてくるんです」

 茎や葉が黒に塗りつぶされているスズランでも、白の小粒な花だけは、絶えず活き活きとしたエネルギーを放っていた。

「ハットリさんって、彼氏とかはいるんですか?」

 とつぜん明菜がそう尋ねるので、俺は大きくむせ返る。

「……ま、まさか。生まれてこの方、誰ともお付き合いしたことはないです」

 明菜はズズッと鼻をすすって顔を持ち上げると、

「ここを出たら、必ずまた、どこかで会いましょうね」

 花のような笑顔を見せてくれた。


 次に、俺は八番の部屋に立ち寄った。合図のノックをすると、声をかける前にドアが勢いよく開かれた。

「なに?」

 ドアの隙間から顔をのぞかせて、鋭い眼光で俺を睨みつける秋菊。

「ごめんなさい、驚かせてしまって。部屋にいて様子がわからないので、大丈夫かなと」

「どうせあんたも、ワタシのことを見下して、見世物みたいに扱うんでしょ?」

 秋菊はそう淀みなく言い放つ。バタン。言い返す隙も与えられずに、ドアが閉じられてしまう。自己紹介をした際には、もうすこし心を開いてくれていたように思えたのに。どうやら、かなり精神的に不安定な人物らしかった。

 二階へ戻る途中、俺はグレンが居るであろう七番の部屋の前で立ち止まった。ドアに右耳を貼り付けてみる。氷のような冷たい感触を覚えるとともに、女性の甲高い悲鳴や怪人の笑い声やらが、うっすら聞こえてきた。

 グレンは飽きもせず、いまだにスプラッター映画を観賞しているのだろうか。ノックをしようと手首を反らすも、寸でのところで思い止まり、俺は、そっとドアを押してみた。

 足元に、うす闇と眩い光が交互に入れ替わりながら伸びてくる。廊下の先に見えたのは、天井のプロジェクターから扇状に放たれる七色の光と、床にあぐらをかいてスクリーンにかじり付き、顔を白々と照らされたグレン。こちらに気づく様子はない。その姿はまるで、こと切れた屍のよう……。

 得体の知れない恐怖を覚えて、俺は、音を立てないよう慎重にドアを閉めた。

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