20

「九人目のゲーム参加者、秋菊だ」

 啞然とする俺たちの前には、縄を解かれてようやく自由を得た、一人の女性が立っていた。

 年齢は十代後半くらいだろうか。ジーンズのショートパンツにうさ耳の付いた黒のパーカーをだぼっと着ている。

 女性は、落ち着きなく目線を泳がせながら、唇を小刻みに震わせていた。俺たちを前にして極度に緊張していることは、疑いようがなかった。

「ハットリです。秋菊さん、よろしくお願いします」

「よ、よ、よろしくお願い、します……」

 俺が頭を下げると、秋菊はおそるおそる目線を上げて、どもりながらも懸命に挨拶をした。俺に続いて、カガチと明菜も自己紹介を済ませる。

 俺たちが敵ではないと判断したのか、秋菊は、ようやく落ち着きを取り戻してきた。

 ここで俺は、かねてから疑問に思っていたことを口に出してみた。

「ここって、やたらと数字の八を強調しているじゃないですか。部屋も八つだし、一階と三階の床は正八角形の形をしている。それでいて、実は九人目の参加者がいただなんて、なんだかあまりにも統一感がないというか、不自然じゃありませんか?」

 その質問を事前に予期していたかのように、守は迷いなく答えた。

「たしかに、ゲームの参加者が九人だった場合、この家の設計は美しいとは呼べなくなってくる。エレベーターの扉を一辺とみなせば一階と三階の床は九角形である、と言えなくもないが、多少の強引さは残る。ここからは、あくまでわたしの想像だが……もしかすると、秋菊は、ゲーム主催側が当初では想定していなかった参加者なのではないか? なんらかの事情で、秋菊をこのゲームに参加させざるをえなくなった。もちろん直前の記憶を消した状態で。急遽、記憶を消す作業を行ったために、情動機能に障害が生じたと考えれば、彼女の異様な怯えようにも納得ができる。それと、部屋についてだが……」

 すると守は、しっかりとした足取りで玄関の方へ向かった。戻ってきた守の手に握られていたのは、例のアクリルキーホルダー。

「よく見てくれ」

 アクリルキーホルダーには、以前と同様に、白い文字で『守』と刻まれている。握った手を下にずらすと、そこに現れたのは、『秋菊』の二文字だった。

「おそらく、二階で寝ている間に、部屋に置いてあったこれが何者かによってすり替えられたんだ」

「秋菊さんが持っていたわけではなくて?」

 俺の問いに、過剰なほど何度も首を横に振る秋菊。

「やはり……ここには誰か別の人間が潜んでいるか、もしくは別の人間が出入りすることのできる隠し通路がある、ということですか」

「わからない。だが、ゲームの主催側は今もきっとどこかで、こちらの様子を観察しているんだろう。所詮、奴らの手のひらの上で転がされているに過ぎない。……だからこそ、ここにはきっとなにか仕掛けがあるはずなんだ」

 疲弊して輝きを失った瞳の奥には、メラメラと闘志の炎が燃えたぎっていた。

「なにはともあれ、これで晴れて秋菊も仲間入りだ。せっかくなんで歓迎パーティーを……と言いたいところだが、今はとにかく時間がない。わたしはこれから、脱出の手がかりがないか、二階をもう一度よく調べてみる」

「俺も一緒に行きます」

 すこしでも守の手助けをしたい。その一心で、俺は名乗り出た。

「秋菊は、この部屋に居ておくか?」

 そうする、と親に甘える子供のように秋菊は返事をした。

 黒のカーテンに覆われた壁に、銀色の無機質なシンク。コンクリート調の冷たい床には、なぜだか飲みかけの錠剤が散らばっている。こんな荒んだ場所に一人、長い間閉じこもっていたなんて。なんだか俺は、彼女の心に取り憑く闇を垣間見た気がした。

「私、すこし一人になっていてもいいですか? もう色々、疲れちゃって……」

 かえでの件でのショックが抜け切れていない明菜は、力なくうなだれながら、そう言った。

「グレンには十分注意しろ。念のため、これを持っておけ」

 守がカーディガンのポケットから取り出したのは、九ミリ弾。ピンと爪先ではじかれた弾丸は、放物線を描いて明菜の手元に落下する。

「おい、そんなもの一体どこにあったんだ?」

 おどろき狼狽えるカガチに、俺が淡々と説明してやる。カガチは事情を理解すると、明菜の制服の胸元から取り出された黒光りするソレをじっと眺めた。

「違法拳銃か。つい最近も、小学生がダークウェブでそれを購入しようとしたってニュースがテレビで流れてたよな」

 そうぼそっと呟くのを、俺は適当に聞き流す。

「カガチさんは、この後どうするんですか?」

「楽園に行くよ。なんせ、この『家』には、幽霊だの殺人だの不気味なウワサが多すぎるからな」

「楽園?」

 『飲む』ジェスチャーをしてみせるカガチ。そういえば、彼は生前の一初と仲睦まじく酒を交わしていたのだった。

 あれから、悠久の時が過ぎ去ったように感じられる。つい最近の出来事だというのに。自覚している以上に、俺も疲れているのだろうか。思わず深いため息が漏れた。

 ……いけない。一度でも負の感情に囚われたらば、あっという間に絶望の谷底へ転がり落ちていってしまう。

 パチン! 俺は、部屋の邪気を祓うようにして、手を叩いた。

 それからというもの、各々、言葉を交わすこともなく、疲弊しきった足を重たそうに引きずりながら、別々の場所へ散っていった。

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