14

 それからといもの、軽快な足取りで自分の部屋へ戻っていったグレンを除く五人は、二階中央の部屋で、ただ無為に時間を過ごしていた。

 会話は一つもない。かえでが、部屋から持ち込んだらしいヨーヨーの玩具で遊ぶ音だけが、部屋には響いていた。

 バトンタッチ。抱えているもの……。グレンと守の交わしていた意味不明な会話の内容が、俺には、どうしても理解できないでいた。

「あの、守さん」

 いつの間にか俺は、そう口に出していた。

「さんは要らないと言ったろう」

「そうでした。……あの、守」

 守は無言で、次の言葉を待っていた。

「俺は、心の底から守を信頼している。守が、俺たちのことを信じてくれていることも、痛いほどによくわかる。だからこそ、なにか隠していることがあれば、一人で抱え込まずに遠慮なく俺たちに言って欲しい。それでも、どうしても無理というのならば……答えなくてもいいです」

 守は、時間をかけて、順に皆を見回していった。誰もが、信頼と尊敬の眼差しを守へ向けていた。

「ありがとう。ここまでわたしのことを信頼してくれていて。だけど……皆に説明するのは、もう少しだけ待っていてくれないか。決して信頼を揺るがすような事ではない。それだけは断言できる。正直、わたしにもまだよく分かっていないことが多過ぎるんだ。心配をかけてしまって、本当にすまない」

 そう苦し気に語る守を責め立てることなど、俺には到底できそうにもなかった。他の者も同様に、深い了解を示すように神妙な面持ちで守の話を聞いていた。

「そんな暗い顔しないでくださいよ。残っている人たちで信じ合わないで、どうするんですかあ」

 炭酸水のようにはじける笑顔で、そう言い切ってみせる明菜。

「そうです。辛い時こそ、皆で一丸となって乗り越えましょう」

 俺はそう、明菜に続いた。必死にオールを漕いだ先には、安楽の土地が待っていると信じて。

「ボク、守先生だったら、信じられるよ」

「ほら見ろ。かえでくんだって、そう言ってるじゃないか」

「カガチは……なんかよく分かんない」

「ん、なんで俺だけ呼び捨てなんだ? こっちはただでさえニコチンが切れてイラついてんだぞ」

「知るかボケ!」

「おいこらー」

 狭い室内で鬼ごっこをおっ始めるカガチとかえで。俺たちは、その様子を微笑ましく眺めていた。

 ……この中に、あんな凶行に及んだ薄情卑劣な殺人鬼が潜んでいるなんて、俺には考えられない。右も左もわからない不確かな世界で、ともに助け合い現状打破に挑んできた仲間たちなのだ。すくなくとも、俺はそう信じてる。だから、あれは、なにかの事故に違いないんだ。きっと。

「ねえ、思いません?」

 すると明菜が、独り言のようにぽつり呟いた。

「カガチさんって、最初はもっと無口で、なんていうか、無愛想な感じだったと思うんです。だけど今は……」

 かえでを捕まえたカガチは、こめかみに拳骨ドリルを喰らわせていた。

「まるで、時間が経つにつれて、みんなの性格や個性が溶け合って、一つになってきてるみたいじゃないですか?」

 そんなこと、思いもよらなかった。女性の繊細な感性からすると、俺たちの人格は最初の頃に比べて、かなりの変化があるように感じられるのだろうか。たしかに、これだけ長時間、同じ密室に閉じ込められていれば、互いが似てきても不自然ではないのかもしれない。

 それからというもの、俺たちは二階に散らばり、各々適当に体を休めながら過ごした。会話はほとんど無かった。ここにきて皆、溜め込んだ疲労が体に応えはじめているのだ。ウトウト居眠りする者も、少なくはなかった。

「あの、提案があるんですけど」

 しばらくして、どんより淀んだ沈黙を明菜が破った。五人全員が偶然、中央の部屋に集まっていた。

「すこしの間、部屋の電気を消してみませんか」

 明菜はそっと、膝の上のかえでを指差した。かえでは、すっかり安心しきった表情で、スヤスヤ寝息を立てていた。まだ六歳の子供だ。疲れて寝てしまうのも無理はなかった。

「わかった。俺からも一つ、提案がある。グレンをここに呼ばないか」

 守の提案の意図が、俺にはすぐにわかった。

 全員で一箇所に集まれば、監視の力が強く働き、殺人鬼は手を出すことができない。加えて、一度に全滅させられるほどの殺傷力のある武器は、おそらくこの家のどこにも存在しない。ゆえに、身の安全が確保されるというわけだ。

 そうして、俺とカガチと守の三人は、明菜とかえでを二階に残して、三階へ向かった。

 七番の部屋の前に立つと、守は三度、控えめにドアをノックした。

「グレン、いるか。すこし話したいことがある」

 返事は無い。再びドアをノックする。

「いたら返事をしてくれ。安心しろ、他にもここにいる」

「別に騙そうとしている訳じゃないから、出てきて欲しい」

 俺の声を聞かせても、ドアが開くことはなかった。

「部屋に入るぞ。いいな?」

 それでも返事がないので、守は仕方なくドアノブをひねった。

 電気の消灯されたうす暗い部屋には、異様な空気が漂っていた。

 灰色の壁に囲まれ、天井にはプロジェクターが吊るされている。前方の壁に設置された大きなスクリーンには、プロジェクターから投影されたスプラッター映画らしきものが流れていた。

 そして、部屋の主であるグレンは、スクリーンの至近距離で胡坐をかいて、眩しい光に顔を照らされながら、ぼうっと映画を観賞しているのだ。

「グレン。聞こえてるか、グレン」

 くり返し守が呼びかけると、グレンはようやくこちらに気づいて、足元のリモコンを操作した。

「……ン、なんの用だ?」

 垂れ下がる目尻。弛緩し切った頬。なぜだかグレンは、初期の攻撃的な態度とは似ても似つかない、明らかに虚脱した風に見て取れた。

 なにかダウナー系の危険なドラッグでも服用したのだろうか? いや、そんなもの、この『家』には無かったはずである。

 そのあまりの変わりように、三人は驚愕し、彼にかける言葉を見失っていた。

「他の五人は全員、安全のために二階に集まることにしたんだ。お前も一緒に来ないか? 一人だけでは心細いだろう?」

 ようやく守が、諭すようにグレンに語り掛けた。

 ぼけっと口を半開きにして、見透かすように守をじっと見つめるグレン。やがてグレンは、ラジカセみたいに不明瞭な声色で言った。

「でも、まだ映画の途中だしなあ」

 ピッ。リモコンの操作をして、ふたたび映画に見入ってしまう。スクリーンには、棘だらけのマスクを被った怪人が、捕らわれた美女の腹腔から腸を引きずり出す様子が、まざまざと映し出されていた。

「本当にいいのか? 後悔しても、遅いかもしれないぞ」

「ああ、俺は部屋にこもっておくよ」

 相変わらずグレンは、授業の黒板でも眺めるかのような目つきで、表情一つ変えることなく、凄惨な映像を眺めている。

 まるで無感動そのものである。情動だけが欠落してしまったかのような、その異様な様子に、これ以上、誰も彼に話しかけようとはしなかった。


「そろそろ電気を消すぞ」

「あ、待って」

 明菜は、守が部屋から持ち出してくれた掛け毛布を、かえでにそっとかけてあげた。

「平気か?」

「うん。ありがと」

 守がカチッとスイッチを押すと、途端に部屋はうす闇に包まれた。

 グレンは病的な無気力状態であった。ならばいっそ、彼を無理に引っ張り出すよりも、別の階に閉じ込めておいてしまった方が、かえって互いに安心できるのではないか、というのが俺たちの最終的に出した結論だった。

 俺は、錆びた銀のエレベーターの扉にもたれる守と、架空のタバコをふかすカガチに挟まれて、地べたに座りこんでいた。

 闇に視界を閉ざされた中、暖炉の炎がパチパチ爆ぜる音を聞いているうちに、次第に睡魔の波が押し寄せてきた。

 真横からスースーと心地よさそうな寝息が聞こえてくる。見ると、明菜が、かえでくんにもたれかかり、気絶するかのように熟睡していた。

 ガクン、と頭が揺れた。俺は頬を両手で叩いて、眠気を追い出す。誰かと会話をしていないと、このまま寝てしまいそうだ。

 カガチの方を見ると、架空のタバコを指に挟んだまま、口をあんぐり開けて沈黙していた。明らかに寝ていた。守はどうだ。反対を向くと、守は、壊れたゼンマイ式の玩具みたいに手足をダランと床に放り出して、目を瞑っていた。

 俺以外の四人は、極度の疲労により、意識を夢の世界へ誘拐されたらしかった。

 寝てはいけない。そう唱える度、目の充血した小羊たちが、俺の頭の中で馬鹿みたいに踊り狂う。ついに両瞼が重力に負け、やがて俺の意識は、睡魔の深い泥沼へ沈んでいった。

 夢と現実の狭間をさまよいながら、俺は奇妙な光景を見た。

 闇に、四角に切り取られた白色光が浮かんでいる。光の前に、背の低い人影が現れた。人影は、頭をダランと垂らすイカれてしまった人形を避けて、光の中へ歩んでゆく。やがて人影は、光に攫われると、消えゆく光とともに、跡形もなく闇の中へ溶け込んでいった。

 ウーンと唸ると、俺はふたたび夢の世界へ落ちていった。

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