13

「かえでくんが部屋にいなくて、それで、急いで私の部屋に向かったら、ここのドアがちょっとだけ開いているのに気づいて、その後、部屋の中からかえでくんの泣き声が聞こえてきて……」

 かえでを膝に抱えて地べたに座り込んだまま、明菜は訥々と説明する。守、カガチ、俺の三人は、明菜を囲んで、ただ黙りこくって説明に耳を傾けていた。

「なにがあったのか、かえでくんに尋ねたら、浴槽にいるカベイラさんの様子がおかしいって。それで私も一緒に見に行ったら、すでにカベイラさんは……」

 カベイラの死因は、ドライヤーによる感電死らしかった。

 これ見よがしに二階の机に置かれていたドライヤーが、何者かによって回収され、それが、カベイラが入浴中の浴槽へ投げ入れられたのだという。

 事故死の可能性も十分に考えられるが、当然、真相は、俺の与り知るところではなかった。

 検死は、明菜と守の二人だけによって行われた。いくら息を引き取っているとはいえ、女性が、認めてもいない異性に裸姿を見せるのは、いかがなものかという、明菜なりの配慮によるものだった。

 検死を終えると、部屋の玄関から、ベッドのシーツにくるまれたカベイラの遺体を見せてもらった。元来の落ち着きと安心をやっと取り戻せたかのような、穏やかな死に顔であった。

 遺体の横に置かれた凶器のドライヤーが目に入った瞬間、またもや俺は、身に覚えのないフラッシュバックに襲われた。

 至る所にカビの生えた浴槽。そこに、浅く湯が張られていることを確認すると、幾分か身長の低くなった俺は、風呂場の外へ出た。浴槽の汚れが嘘であるかのように、浴室ドアは綺麗に磨かれ掃除されていた。洗面所のコンセントにドライヤーを挿して、ふたたび風呂場へ向かう。……届かない。コードが短くて、ドライヤーを浴槽に投げ入れることができないのだ。水垢の浮かんだ浴槽の湯が、俺を嘲笑うかのように波打った。

 奇妙な幻覚はそこでプツリと断ち切れた。間違いない。視点の人物は、何者かの殺害計画を練っている。一度目は、刺殺。二度目は、銃殺。三度目は、感電死。そして、そのどれもが、失敗に終わっているのだ。

 殺したい人物など思い当たらないし、ましてや殺害計画を練ったことなど、あるはずもなかった。俺の記憶でないとすれば、一体誰が見た景色なのか。視点の人物は、一体、誰を殺すつもりなんだ?

 到底フラッシュバックの件を相談できる雰囲気でもなく、四番の部屋にカベイラの遺体を安置した後、俺たちは葬式のように黙り込んで、部屋を去っていった。

 こうして、特に解決の糸口も見い出せぬままに、二人目の被害者は生まれてしまったのであった。


「ねえ、正直に言って欲しいんだけどサ……」

 エレベーターに乗り込むや否や、明菜が口を開いて、重たい沈黙を破った。

「この中に、自分が助かるためなら誰かを殺したって構わないって考えてる人がいるわけでしょ?」

 誰もボタンに触れようとは、しなかった。

「そんなの、人間の心じゃない。冷血人間。血の通ってない怪物よ! 誰なの。今すぐ名乗り出て。もうこんなの散々。訳のわかんない場所に閉じ込められて、頭のおかしな殺人鬼と一緒になんて居られない!」

 荒ぶる激情の吐露。紛いもない魂の叫びだった。当然、名乗り出る者はいない。五人を乗せたカゴは、表情一つ変えずにただ指示を待つだけ。

「まだ一人、ここには居るだろ」

 カガチが『Ⅱ』のボタンを押して、ようやくカゴは動き始めた。

 二階は、不穏なうす闇に包まれていた。

 暖炉の炎の明かりだけが、部屋には怪しく揺らめいている。何者かが部屋の電気を消したのだ。一体、誰が? 決まっている。グレンだ。

 先ほど乗ったエレベーターは、呼び出す直前まで二階で停止していた。つまり、他の五人がカベイラの件に気をとられている間に、あの場にただ一人だけいなかったグレンが二階へ移動したのだ。騒ぎには気にも留めずに。それ以外に考えられない。

 ダイニングへ続くドアの隙間から、わずかに白い光が漏れ出ている。ドアの向こうから、なにやら異様な音が聞こえてくる。グッチャア、グッチャア……。巨人が人間を嚙み潰すような、ひどく粘っこいグロテスクな音だ。

 五人は顔を見合わせながら、その異質な音の正体を探るように、おそるおそるドアの方へ歩み寄ってゆく。

 守が皆の先頭に立つと、ゆっくりと真鍮のドアノブをひねり、ドアを奥へ押し込んだ。

 そこには……魚料理に生野菜、骨付きの肉から加工食品まで、ありとあらゆる食物をテーブルに広げ、それらに一心不乱にかぶりつく、グレンの姿があった。

 グッチャア、グッチャア……。両手で食物を鷲掴みにしながら、次々と口の中へ詰め込んでゆく。

「ねえ、ちょっと。こんな時に一体、どういうつもりなの?」

 苛立ちを隠しきれない明菜が、山のような食事を貪るグレンの前に歩み出る。

「上でなにがあったのか知ってんの? ねえ」

 グレンは一向に、グロテスクな咀嚼を止めようとしない。

「あんたが殺したんでしょ。カベイラさんのこと」

 ここでようやく、狂ったようにテーブルの上を這うグレンの腕が止まった。パンパンに頬を膨らませながら、虚ろな目つきで明菜を見上げると、片手の生鮭を持ち上げ、軽々しく言い放った。

「あんたも食うか? 旨いぞ」

 明菜の頭髪が、風に吹かれたようにザザッと逆立つ。明菜が両の拳を強く握りしめる。

 すると守が、明菜が次の行動を起こすよりも速く、二人の間に割って入った。

 バチンッ! 守の強烈なビンタがグレンを襲う。グレンは唾をまき散らしながら、無様に顔面を捩らせる。片手の生鮭が、ぴちゃりとテーブルに跳ねた。

「……ってえな、クソ」

「人の命を何だと思ってるんだ!」

 守の怒声が、ダイニングに響き渡る。

「正直に言え。お前がやったのか。それとも違うのか」

 グレンは、頬をさすりながら面倒くさそうに立ち上がると、守との距離をじりじりと縮めてゆく。

「見たわけじゃないけど、知ってんだぜ。あんたの抱えているもんをよ」

 そう詰め寄るグレンに、守は一歩、後退する。その顔からは、明らかに動揺の色がうかがえた。

「……いいから、質問に答えろ」

「なぜ? そう思ったんだろ。いいぜ、教えてやる。今の俺は、幾分か気が楽になってんだよ。その理由が、俺には直感でわかる。要は、バトンタッチしたんだよ。それも、つい最近にな」

 二人は、なにを言い争っているのだ? 剣吞な雰囲気の中に、得体の知れないなにかが潜んでいるようで、俺は凍りついたように、その場から動けないでいた。

 すると、危険を察知してか、カガチが、グレンを羽交い絞めにしようと彼の背後に回り込んだ。

「乱暴なマネはしねえよ。なにせ、バトンタッチしたからな」

 カガチは、グレンの意味不明な説明に眉をひそめながらも、その言葉に嘘はないと判断したのか、そっと彼から離れた。

「さっきの質問の答えだが……俺は、やってない。部屋で映画を見終えて、腹が減って二階へ下りようと外へ出たら、偶然、あんたらの騒ぎが聞こえてきた。ああ、また誰かがやられたんだ、なんて思いながら、ここに来て飯を食ってた。それ以外に、話すことはない」

 守は、静かに顔を俯けて、グレンの足元を見つめていた。まるで、言葉が喉元でつっかえて、話せないでいるかのように。

「俺に尋ねる前に、まず説明すべきことがあるんじゃねえのか? 守さんよ」

 そう言い捨てると、グレンは落ち着いた手つきで、テーブルの残飯を片付け始めた。

 俺の食欲は、みるみるうちに減衰していった。

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