10

「わたしたちの探している人物が、ここにいるならば、遠慮なく名乗り出てほしい。訳もわからず、こんな所に閉じ込められたんだ。正気を失い普段では考えられない行動を起こすのも充分に理解できる。今ならば誰も咎めない。皆、そうだろ?」

 守の問いかけに、紫檀のテーブルを取り囲んだ他の六人は、ただ黙って俯くだけだった。

「頼む。今ならまだ引き返せる。謝る必要もない。なにかできることがあれば、なんでも協力する。黒い衝動が抑え切れないというのならば、隣で一緒についていてやる。だから、頼む。この通りだ」

 そう言うと守は、ゆっくりと一歩下がり、膝をついて土下座をした。

「なにしてんだよ、おっさん」

 するとグレンが、守の肩を掴んで引き上げようとする。

「そうだ。なにも守さんが謝る必要はない」

 彼に続いてカガチが土下座を制止して、ようやく守は頭を上げた。

「よく言えるよな、おめえ」 

 明らかに不機嫌そうに眉をひそめるグレン。

「どういう意味だ?」

「最後に一初の姿を見たのは、お前だろう? どう考えても、この中で一番怪しいのは、お前じゃねえか」

「なにを言ってる。この中で一番、一初と心を通わしたのは、間違いなくこの俺だ。断言できる。そんな俺が、どうして一初を殺さなきゃならなかったんだ? 教えてみろ。皆が納得できるように」

 カガチは、怒りをあらわにして声を荒げる。

「まあ、二人とも……」

 すっかり疲労困憊気味の守に、俺はすかさず助け舟を出した。

「ここで喧嘩しても、なにも始まりません。今すべきことは、誰かを疑うことよりも、安全にここを脱出するために、これからどうするべきか、それを一丸となって皆で考えることではないですか」

「なあ、お前が犯人だったらどうする。自分が犯人じゃないことを証明できんのか」

 グレンが、今度は矛先を俺の方に向けてきた。

「それは……」

「それを言い始めたらキリがない。皆、立場は一緒なはずだ」

 俺がうまく言葉を継げないでいると、守がキッパリとそう言い切ってくれた。

「だったら、当然あんたも容疑者の一人ってことだよな、おっさん。第一、初日から気に入らなかったんだ、あんたのことが。事あるごとに偉そうに仕切ってよ」

「ああモウ、我慢の限界! その下品な声のせいで気が狂いそうなのよ。あたしのために、ちょっと一旦、黙っててくれないかしら」

 すると、カベイラがグレンを睨みながら、擁護する訳でもなく、かといって非難するでもなく、冷たい口調で堂々と言い放った。

「……な、なんだよ。女だからって、偉そうにすんじゃねえ!」

 カベイラに詰め寄り、激しくガンを飛ばすグレン。とっさに守が、二人の間にスッと腕を伸ばす。

「二人とも待て。ハットリさんの言う通り、ここで不毛な言い争いをしても無為に時間を浪費するだけだ。悪いが今は、グッとこらえてくれないか」

 グレンは、鼻息を荒げ怒りをあらわにしながらも、渋々身を引いて場の主導権を守に譲った。口は悪いが、案外、物分かりの良い男なのかもしれない。

 守は、深く息を吐くと、グルっと皆を見回して続けた。

「まずは状況の整理をしよう。一初さんが殺害されたのは、ダイニングでカガチさんと別れてから、カガチさんが一初さんの部屋で遺体を見つけるまでの間、という事で違いないな?」

 たしかに間違いはない。ただし、カガチの証言が真実であれば。だが、あえてそれを口に出す者は、いなかった。

「その間のアリバイを証明できる者はいるか? たとえば、誰かと行動を共にしていたとか」

 すると、明菜が遠慮がちに挙手をした。

「私、ずっとかえでくんと一緒でした。ね?」

「うん。明菜姉ちゃんのお部屋、良い匂いがして、芸能人の部屋みたいだった」

 かえでくんが嘘を言っているようには思えない。これには、全員が了解した。

「他にはいるか?」

 シンと静まり返る室内。

 するとカガチが、疑いを晴らすように必死の口調で語りはじめた。

「あいつとダイニングで別れた後、俺はずっと一人で部屋にこもってたんだ。しばらくして、外からエレベーターの稼働する音が聞こえたから二階へ移動すると、守さんがいた。それから一歩もここを動いていない。そうだよな、守さん」

「ああ、たしかに」

 首肯してみせる守。しかし、必死の訴えもむなしく、アリバイの証明には不十分であることを、この場にいる誰もが理解していた。

「あの、私ずっと、気になっていたことがあるんですけど」

 重苦しい空気を察してか、ふいに明菜が発言をした。

「凶器に使われた包丁は、どこで手に入れられたモノなんでしょう」

 ……凶器か。遺体の方に意識をとられていて、まったく気に留めていなかった。

 黒の柄にギラリと銀に光る刃身が、血を流して倒れる一初の禍々しい映像とともに、嫌でも思い起こされた。

「おそらく何者かが、キッチンにある包丁を持ち出したのだろう。なぜ数ある包丁の中から、あえてあの包丁を選んだのか。その理由は不明だが」

 淀みのない守の口ぶりからして、おそらく、すでに凶器のことについて考えを巡らせていたに違いなかった。

 俺は、凶器に関することから犯人を絞り込むことができないか、試しに頭の中で状況を整理してみた。

 まず最初にキッチンへ足を踏み入れたのは、皆で一斉にここを巡回していた時だった。あれだけ注意深く視線が飛び交っていれば、ひとりでに凶器の包丁を持ち出すのは、ほぼ不可能だっただろう。次にキッチンへ足を踏み入れたのは、グレンだ。彼だけは、俺たちが三階を巡回している途中で、先に二階へ降りていたのだった。一階へ向かった守と合流して四階を確認し終えた後、俺たちは一斉にダイニングへ戻った。その間は、疲労によって全員の注意が散漫していただろうから、隠れて包丁を持ち出すのは、十分に可能であったはずだ。

 つまり、包丁を抜き取るチャンスは、全員に、ほぼ均等にあったのだ。

 結局のところ、情報量の少ない現段階で犯人を絞り込むのは、不可能に近い……。

 ここで、埒が明かないと悟ったのか、守が、肩を落としながら言った。

「ひとまず一旦、このくらいにしておこう。今は犯人を糾弾するよりも、身体を休めることの方が大切だ。わたしが常に、ここに留まっておくようにするから、なにかあれば、すぐにこの部屋に来てくれ」

 パチン! 胸のわだかまりを打ち消すような荘厳な拍手で、守が解散の合図をした、その時。

「ちょっと、いいか」

 とつぜんグレンが、今までに見せたことのないくらい真剣な表情で、皆の注目を集めた。

 不思議そうに首をかしげる守に、グレンは、スーと人差し指を向ける。

「俺、あんたのことで、ずっと気になっていたことがあったんだ」

「アラ、また下品な言い争いをするつもりなのかしら?」

「違う。いくら俺だって、そんなに馬鹿じゃねえ。いいか。あんたらが三階の部屋を見ている最中、俺は痺れを切らして、ここで軽くクイっとやった後、先に自分の部屋へ戻っていた。それは知ってるだろ?」

 たしかに、守を除く五人全員が、グレンがやけ酒を終えて千鳥足で三階へ向かうのを目にしていた。

「部屋で映画を見ていると、とつぜん外からエレベーターのうるせえ音が聞こえてきたんだよ。噓じゃないぜ。まったく同じ映画を再生して、部屋で音を聞かせてやってもいい。それで、なんとなく俺は、玄関のドアに耳を近づけて、誰が三階にやって来たのか足音だけで判断してやろうと思ったんだよ。だが、いくら耳を澄ましても、足音は一向に聞こえてこねえ。その直後、ふたたびエレベーターの音が聞こえて、三階へ来た何者かは、すぐに帰っちまったことがわかったよ。後から会話を盗み聞きして知ったことだが、そいつの正体は、一階から上ってきた守、あんたに違いねえっていうじゃねえか」

 俺の知っている事実と照らし合わせてみても、グレンの乱暴な口調の説明に、なんら誤りはないと思われた。だが、それが一体、どうしたというのだろうか……。

「そうだ。一階を調べ終えたわたしは、皆がまだ部屋を見て回っていると思って、すぐに三階へ向かった」

「だろ? 他の奴らがまだ三階にいるとすれば、四番以降の部屋を見ている最中だと、普通に考えれば、わかるよな?」

 守の大きく見開かれた瞳が、かすかに揺れ動くのを、俺は見逃さなかった。

「だったら、なぜあんたは、俺の部屋の前を通らなかったんだ?」

「まだここの構造をよく把握していなくて、逆の方向から自分に割り当てられた部屋へ向かってしまった。八番の部屋の前に誰もいないことを確認したら、来た道を戻って、二階へ向かったんだ」

 ……おかしい。どうして、わざわざ二度も遠回りの道を選ばなくてはならなかったのか。それに、俺はよく覚えていた。昨晩、エレベーターの前で守と別れた際に、守は、迷わず遠回りでない方の道へ進んだのを。

「ふん、じゃあ答えてもらおうじゃねえか。なぜ、すでに巡回を終えた部屋の前を通って、八番の部屋へ向かったのか。六番の部屋の手前で折り返したんなら、まだ納得はできたが、その可能性も、あんたの発言によって消えてしまった。まあ、八番の部屋を見ようともせずに引き返すなんて、それもまた筋の通らない話ではあるがよ」

 追いつめた獲物を決して逃がさまいと、グレンは早口で捲し立てる。予想だにしなかった人物から槍玉に挙げられ、うろたえる守。

 ここで目を覚ましてから今に至るまで、守が、皆の命を守ることを第一に優先して行動していたことは、俺もよく知っている。おそらく他の者にとっても、それは周知の事実だろう。

 守があんな凶行に及ぶはずがない。だからこそ、皆に対して納得のいく説明をして欲しいのだが……。

「先に言ったとおりだ。わたしは自分の部屋を確認した後、すぐに二階へ向かった。やましいことなど、何もない」

 言葉を詰まらせながら、守は、そう語るだけであった。

 部屋には、顔一杯に浮かべられたグレンのニヒルな笑みが、恍惚としたように踊り狂っていた。

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