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「なんでワタクシの部屋まで見せなくちゃならないわけ?」
「もし部屋の中に暴君でも潜んでいたらどうする。一人で太刀打ちができるのか?」
「そんなことあるわけないでしょ。バカなんじゃないのアンタ」
「どうして残りの部屋が絶対に安全だと分かる? 単なる憶測に過ぎないだろう。ここを夢の世界と勘違いしてはいけない。もし万が一、なにかが起これば、それこそ取り返しがつかない事になるぞ」
「教師だからって、いちいち偉そうに口うるさいわねえ」
身に纏う優雅な花の香りで、たちまち殺伐とした雰囲気を中和してしまうカベイラの魅力に、誰もが強く反論できないようであった。
危なっかしい言い争いをしてまで、守が引き下がろうとしない理由が、俺にはわかった。 殺人が起こるリスクを減らすためだ。施錠できないからといって、各自に割り当てられた個室だなんて、殺人にうってつけの場所に違いない。ゆえに一度に全員で部屋を見て回り、互いに部屋の構造を知ることで、秘匿性を下げて殺人に対する心理的ハードルを上げる目論見なのだろう。
「わかった。わたしは一旦ここで離れることにしよう。代わりに一階の様子を見てくる。浸水の進捗状況を知ることができれば、皆にとっても有益なはずだ。一初さんも、そう思わないか?」
「え……まあ、カベイラさんの気持ちもよく理解できますし、ただ、今はちょっと状況が特殊なんでね。守さんを抜いた六人ならば、見られても問題ないんじゃないでしょうか。それにボク、カベイラさんの趣味が詰まった部屋、興味があります」
「ふうん。そんなにワタクシのプライバシーを侵害したいんなら、勝手にすれば?」
うまいぞ、一初。守のキラーパスを、彼女の自尊心をくすぐる言い回しで繋いで、見事に彼女を説得してみせたのだ。
そうして、エレベーターで一階へ移動する守を見送ったのち、残りの七人は、部屋の巡回を再開するのであった。
八番のドア、つまりは守の部屋を見終えても、一向に守の姿は現れなかった。
「大丈夫かしら、守さん」
明菜にへばり付くかえでの表情も、心なしか不安そうに曇っていた。
「あんなこと言っておいて、真っ先に自分が溺れ死んだら、どうするつもりなんだろうな」
ヘラヘラとした調子で、そう口走るグレン。
「グレンさん!」
一初は、すごい剣幕でグレンを怒鳴りつけた。
「悪かったな、お坊ちゃんよ。それとも、なにか俺に文句でもあんのか? エ?」
「別に、特には無いですけど……」
真正面からぶつかって敵う相手ではないと悟ったのか、一初はしぶしぶ身を引いた。グレンはポキポキ首を鳴らすと、得意げに続けた。
「で、ここまで付き合ってやったんだから、後は好きにしていいんだろ?」
「ええ。でも、まだ四階が……」
「もう充分だろ? いいか。俺はな、ずっと一人で色々なことを背負ってきてんだよ。お前らの知らないところでな」
皮肉めいた微笑を浮かべながら、そんな訳の分からないことを言い放つと、グレンは背を向けエレベーターの方へ歩みはじめた。
「どこで何をするのか、せめて、それだけでも教えてください」
グレンは、ピタリと足を止めてふり返ると、人差し指を自分のこめかみに突き刺す。ゆっくりと親指を立てる。ぷふう、とだらしなく息を漏らすと、親指のハンマーを降ろしてみせた。
結局、俺たちは、軽自動車の置かれた二階の部屋で守の帰りを待つことにした。
グレンはというと、ダイニングのテーブルを缶詰めとビール瓶の残骸で散々汚しまくったあげく、ふらつく足取りでエレベーターに乗り込み、挨拶の一つもなしに、そそくさと自分の部屋へ戻ってしまった。
エレベーターの内部は、濡れていなかった。つまり、まだ水位は壁際の台を越えていないということだ。台の足場が残されていれば、溺れる心配はないはずなのだが……。
誰もが暗澹とした表情で俯いたまま、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
「やっぱりボク、一階へ降りて様子を見てきます」
すると一初が、沈黙に耐えかねたらしく、ふいにソファから立ち上がって言い出した。
「いや、止めた方がいい……と思います」
半ば反射的に、俺の口からそんな言葉が飛び出していた。
「今焦って動けば、別の新たな問題を引き起こしかねません。動くにしても、もう少し待ってからにしましょう」
「……そう、ですね。ハットリさんの言うとおりだ。ボクとしたことが、冷静さに欠けていました」
一初は、諦めたようにストンとソファーに腰を降ろす。
もし万が一、このまま守が帰らなかった場合、皆を指揮することのできる人物は、一初ただ一人となる。そんな一初をも失う事態になれば……それこそ、ゲームオーバーである。
「ほらよ。受け取れ」
すると、廃車のボンネットに腰かけながらリンゴを丸かじりするカガチが、新しいリンゴをヒョイと放り投げた。リンゴは吸い寄せられるようにして、一初の手元に着地する。
「それでも食って、元気出せ」
「……ありがとうございます」
リンゴをかじる音が、虚しく部屋に響いた。
ガガガガ……。とつぜんエレベーターの閉じ切った扉から、騒々しい駆動音が聞こえてきた。誰もが弾かれたように、音のする方に目を向ける。
最後にエレベーターを使ったのは、グレンだ。誰も矢印ボタンには触れていない。つまり、今エレベーターを操作しているのは……守だ!
守を載せたエレベーターは、ゆっくりと、だが着実にこちらへ近づいてくる。
音が止んだ。しかし、錆びた銀の扉はビクとも動かない。どうやら守は、三階へ移動したらしかった。そういえば、守と別れたあの時はまだ、部屋の巡回の最中だったのである。
しばらくして、ふたたび騒々しい駆動音が聞こえると、こんどこそ扉が開かれる。
「守さん! よかった心配しましたよ」
そこに立っていたのは、ラフなチノパンをぐっしょり濡らして、くたびれた顔をした、守だった。それにしても……あまりに異様な疲れようである。
「大丈夫ですか? なにかあったんですか?」
一初が、俺の疑念を口にするかのように、守に尋ねた。
「すまない、隅々まで調べていて遅くなった。特に異常はなかったから、心配は要らないよ」
「でも……ズボンがびしょびしょじゃないですか。そのままだと風邪を引いちゃいますよ」
「ああ、段差で足を滑らせてね。奴の言う通り、もうじき一階は水没するだろう。残念ながら、一階で聞かされた話の一部は、どうやら真実に違いなかったようだ」
そう言う守の体は、今にも凍えてしまいそうなほど小刻みに震えていた。
「とりあえず、着替えて暖炉の前に座ってください」
一初に促され、ようやく歩きはじめた守は、唇を真っ青にしながら、衣類の吊るされた部屋へ移動するのであった。
『Ⅳ』の示す部屋に到着した七人は、眼前に広がる異様な光景に、思わず口をつぐんでしまった。
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