3

 目に飛び込んできたのは、石を積んだ炎を宿す立派な暖炉。落ち着いた色調のL字のレザーソファー。それと、壁に埋め込まれた黒板。

 クリーム色の壁には、大小様々な歯車の絵が描かれていた。床一面には、曼荼羅模様らしき派手な絨毯が敷かれている。

 部屋の中央にどんと鎮座するのは、赤味を帯びた暗褐色の大きなテーブル。おそらく素材は、紫檀だろうか。テーブルの上には、見慣れない小物がずらりと並べられていた。

 向かって左には、なぜだか灯油ポンプの刺さった灯油タンクがある。

 そして、向かって右には、ひどく汚れた洗濯機と……錆びて至る所が傷ついた、ボロい灰色の軽自動車が置かれているのだ。

 それぞれ壁の両側には、壁紙と同化したドアが設置されていた。

 エレベーターから吐き出された八名の男女は、気もそぞろに、各々部屋の中をうろつく。 俺は、おそるおそる車へ近づいた。車内には、なにか飾り付けのライトのようなものが複数個ある。車には鍵がかかっていて、動かせそうにはなかった。

 居間らしき部屋に、おんぼろ軽自動車だって? どうにも解せない。一体だれが、なんの目的で、こんなに手の込んだ場所を用意し、俺たちを閉じ込めたのだろうか。

「こいつは、マングースの剝製だな」

 すると外套の男が、テーブルの上をのぞき込みながら、低い声で呟いた。皆の視線が、一斉に外套の男の方へ集まる。

「知ってるか? マングース。もとは外来種だが、日本の沖縄にも生息している。狩りの名手で、動くモノならなんでも食ってしまう。こいつはおそらくメスよりも一回り大きいオスの個体だ」

 たしかにテーブルの上には、黄ばんだ土色の体毛を生やした尾の長い小動物が、四本の脚で凍り付いたように直立していた。

「ねえ、爪になにか引っかかってない?」

「ああ、俺もそれが気になったんだ」

 明菜の問いかけに答えるように、男はマングースの剝製をひょいと片手で持ち上げ、爪先からピッとなにかを摘まみ取った。

「どこかの鍵だ」

 それは、部屋の照明を金色に反射する、古めかしい形の小さな鍵だった。

「つまり、ここには個人の部屋が用意されてるってことですか」

 白シャツの青年がふいに疑問を口にする。

「いや、この鍵は小さすぎる。多分それは、こっちだろう」

 剝製と鍵を元の場所に置いて、男が掲げて見せたそれは、鍵の付いていないアクリルのキーホルダーだった。

「ご丁寧に、名前まで印字されている」

 よく透き通る飴細工のようなブルーの棒。たしかに表面には、白の文字で『カガチ』と刻まれている。キーホルダーの先には、鍵の代わりに、なにやら白の番号札のようなものがぶら下がっていた。

 部屋に散らばっていた七人が、寄ってたかってテーブルの周囲に集まってくる。

「ほんとだ! 私の名前もある!」

 俺は、整列されたアクリルキーホルダーの数々に目を走らせる。あった。俺の名前『陌阡隝』の文字が。

 アクリルキーホルダーの他にも、テーブルの上には、ドライヤーとスズランの鉢植えが置かれていた。気味の悪いことに、スズランの苗は、下を向く白の小粒な花を残して、茎や葉がインクのような塗料で隙間なく黒色に塗り潰されていた。

「どうやら漏れなく全員分、用意されているようですね」

 黄色のカーディガンの中年男性が握るキーホルダーには『守』の一文字があった。

「そういえばまだ、お互いの名前を知らないんですよね。ちょうどいい機会ですし、一旦ここで、自己紹介でもしませんか」

「賛成だ。そうしよう」

 青年の提案に、中年男性は有無を言わさぬような態度で、皆の顔をグルっと見回した。この機会を逃せば、もう二度と全員で集まることができないかもしれない。そんなことを言いたげな、ひどく不安げな表情をしていた。

 幸い、誰からも異論が発せられることはなかった。

 紫檀のテーブルを囲んだ八人の男女が、探り探りに語り始めた。

「まずは、わたしから。この通り(アクリルキーホルダーの文字を全員に見せながら)、守と申します。ここへ来るまでは、小学校で教師をしていました。歳は三十前半といったところです。どうぞ、よろしく」

 語り終えると守は、慇懃に頭を下げた。

「年齢まで言わなくちゃいけないの?」

 ゴスロリ調の女が、剣のある物言いで誰ともなしに尋ねる。

「各自の判断でいいと思いますよ。……じゃ、次はボクで。一に初めてと書いて、はじめと言います。趣味は、読書とか。ピアノもたまに弾きます。大学の二回生をやっていました。よろしくお願いします」

 清潔感のある身なりに似合った丁寧な口調で、一初は語ってみせた。

 二回生ということは、俺とほぼ同い年というわけだ。あまりの人間のデキの違いに、俺の自尊心はすこしだけ傷つけられた。

「守さんを飛ばして左回りにいきましょうか」

「……ってことは、私だね。ハイ、明菜っていいます。共学の公立高校に通っていました。部活は弓道部です。趣味は、なんだろ、料理とかかな。お願いします」

 一初に促され、明菜は歯切れよく語ると、ペコリとお辞儀をした。まるで異性と縁のない俺は、彼女が放つ夏野菜みたいな瑞々しい若さに、ドキリと心臓が跳ねるのを覚えた。

「かえでくん、みんなに自分のこと、紹介できる?」

 先から明菜にベッタリ貼り付くかえでは、顔を曇らせながらもウンと頷いた。

「かえで、です。六歳です。誕生日は一月十六日です。よろしくおねがいします」

 年の割には、かなりしっかりとしている印象を受けた。こんなにも小さな子供が、訳もわからず、こんな場所に閉じ込められるなんて。さぞ恐ろしかったろう。

 それに、偶然……。

「お、偶然だな。おじさんの誕生日も同じ日なんだよ」

 なにげなく守が発した言葉に、八人の頭上をサーと動揺の波が通り抜けていくのがわかった。言葉を交わす必要もなかった。しかし誰もが、言葉にせずにはいられなかった。

「ボクも、誕生日は一月十六日だ」

「……私も」

「他はどうだ?」 

 和やかな雰囲気が一変、あたりはピリッと緊張した空気に包まれる。どんな些細なことでも、隠蔽されたと思われる情報は、このゲームとやらの真相、ひいては人の命に直接関わりかねないのだ。

「ええ、そうよ。ワタクシの生誕も、まったく同じ日付」

 ゴスロリ調の女に続き、他の者にも確認を取ることができた。

 ああ、なぜだかこの部屋に集められた人々には全員、誕生日、という共通項が設けられていたのだ。

「なにかある、きっと……」

 守が顎に手を置いて、誰に聞かせる訳でもなくそう呟くのを、俺は聞き逃さなかった。

「中断してしまって、すまない。気を取り直して、次はそちらの方、お願いします」

 守に指名された赤スーツの男が、ぶっきらぼうに顔を上げる。

「アルファベットで、グレン。ま、よろしく」

 グレンは、落ち着きなく体を揺すりながら、早口で言い捨てた。皆の訝しそうな視線を察したのか、アクリルキーホルダーを持ち上げてみせる。

「噓じゃねえよ」

 たしかにキーホルダーには『guren』と刻まれていた。

 次は、俺の順番だった。

「えっと、初めまして。難しい漢字を書いて、ハットリと読みます。ごく普通の大学生をしていました。趣味は……観葉植物を愛でること、くらいですかね。よろしくお願いします」

 なんら面白味のない平凡な自己紹介を済ませると、念のため俺は、アクリルキーホルダーの『陌阡隝』という文字を皆に掲げて見せる。

 眉間にシワを寄せた顔顔が、ジッと俺の手元に視線を注ぐのを痛いほどに感じた。大勢の人から注目されることに慣れていない俺は、とたんに茹で上がったタコみたく顔を上気させてしまう。

 剣吞な空気を一変させる、なにか気の利いたことの一つや二つでも言ってやりたかったが、あいにく、そう願うだけで終わってしまった。

「ようやくワタクシの番ね。ワタクシの名前は、カベイラ。都内のコンセプトカフェで人気の店員だったの。その界隈ではかなりの有名人だったんだけど、知りません?」

 小柄な背丈の割には態度の大きい金髪のカベイラは、袖のフリルを揺らしながら、指をさして一人ずつ順に尋ねていった。誰からも認知されていないことが分かると、フンと腕を組んで、つまらなそうに自分の番を終えた。

「これで最後だな。カタカナで、カガチだ。ここに来る前は、しがないライター稼業で食い繋いでいた。よろしく」

 カガチの震える指先が、煙草を求めるかのように宙をさまよっていた。

 これにて、八人全員の自己紹介が終了した。

 それぞれ皆、性格や行動規範はバラバラに思えたが、一初と守の二人がいい塩梅にリーダーシップを働かせてくれているおかげで、今のところは大きなトラブルに見舞われずに済んでいる。このままの調子で、平穏にこのゲームとやらをやり過ごせればよいのに。俺はそう切に願った。

「ここで一応、確認しておきたいんだが……」

 すると守が、絞り出すように言い出した。。

「些細なことでもいい。ここに来るまでのことを、なにか覚えている者はいないか?」

 俺は、守の期待に応えようと、必死に記憶を呼び起こしてみる。しかし、なぜだか過去を遡ろうとすればするほど、頭に霧がかかったように思考が鈍ってくるのだ。昨日は一体、何をしていた? では……一昨日は? 

 俺にかぎらず、皆一様に不思議そうに首を傾げていた。この場にいる誰もが、俺と同様の症状に陥っていることは、疑いようがなかった。

「やはり誰も何も覚えていない、ということか。協力してくれて、ありがとう。私からは以上だ」

 意識を失っているうちに、なにか毒物でも投与されたのだろうか。それとも、なんらかのショックが加えられたことにより一時的に記憶を失っているのか。

 どちらにせよ、記憶の抜け落ちている俺にとっては、知る由もなかった。

「皆さん、改めてよろしくお願いします。ところで、キーホルダーの番号札には、一体どんな意味があるんでしょうね」

 とたんに一初が、皆の困惑を払拭するように話題を変えた。俺の握りしめた番号札には『3』とあった。

「見てみないことには分からないが、おそらく、各人に割り当てられた部屋の番号といったところだろうか」

 そう言うと、守は苦しそうに眉をひそめた。

「ちょっとグレンさんっ! 勝手な真似はダメって……」

 すると、いつの間にか部屋の壁際に移動していたグレンが、向かって左側のドアのドアノブをガチャリとひねり、一初の注意もむなしく、そのまま奥へ押し込んでしまった。

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