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『ボクの声が聞こえていますかー』
長いトンネルの中で叫んだかのような不明瞭な音。周波数が平坦に散らばっていて、年齢はおろか、性別すらも判然としなかった。
他の七人も作業を中断して、音の発生源を探ろうと必死に部屋を見回していた。
『よし、問題なさそうだね。改めまして、こんばんは。今から、ゲームのルール説明をするから、よーく聞いてね』
ゲーム? ルール説明? とつぜん告げられた意味不明な言葉に、理解が追いつかない。すると、赤スーツの男が、肩を怒らせ大きく息を吸い込んだ。
「オイどこにいんだよ、てめえ。早くここから出せよゴラア」
『だまれっ! ボクに逆らうなっ!』
唐突に一喝され、萎縮してしまう赤スーツの男。他の者も皆、正体不明な声の主の態度の急変に驚きを隠せないでいた。
『いいのか、ボクの話を遮っても。自分の首を絞めるだけで、皆にとってなんらメリットはないんだよ』
どんなに凄んだところで、声の主には敵わないと悟ったのか、それ以降、赤スーツの男が声を荒げることはなかった。姿の見えない向こう側と、こちら側との、力関係の明白な差を見せつけられた瞬間だった。
『気を取り直して、ゲームのルール説明をしまーす。皆には、今からここで殺し合いをしてもらいます』
軽々しく放たれた、その言葉が、俺の頭に鉛のように重たくのしかかった。遅れて、不安の波がどっと胸の中に押し寄せてくる。
「どういうこと……」
金髪でゴスロリ調の女が、ぼそっと呟いた。サーと血の気が引いて彼女の顔が真っ青になっていくのが、部屋の反対側からでも見て取れた。
『表へ出ることができるのは、最後に生き残った一人だけ。二人以上が生き残ることは、決してあり得ません。なぜなら……この家はやがて、水没してしまうからでーす』
なんだって? あまりに突拍子もない話に、この場にいる誰もが、動揺と衝撃に打ち震えるのがわかった。
『ここからが重要だよ。ゲーム終了までの間、計八回、鐘が鳴らされまーす。一回目の鐘の後に浸水が開始し、ちょうど二回目の鐘が鳴り終わると同時に、みんなが今いるここ、つまり一階が完全に水没しまーす。次に浸水が始まるのは、六回目の鐘が鳴った時。それ以降、浸水が止まることはありませーん。七回目には二階、八回目には三階が完全に水没しまーす。水没したフロアは照明が消灯されるから、視界の確保には十分、注意するようにね』
不安と恐怖で一杯になった頭を必死に働かして、矢継ぎ早に説明される複雑なルールを記憶する。ここが水没するだって? にわかには信じがたい話だ。
「ここは一体、何階まで続いているんだ」
ここで、外套の男が初めて発言をした。複雑なルールをいち早く理解し、その上で的確な質問を瞬時に投げかけることのできる、頭が切れる人物らしかった。
『見ればわかることだから、ここでは各フロアの詳細は省きまーす。ちなみに、エレベーターで水没したフロアへ降りることはできません。変に機械をいじったりしても無駄だからね。殺し合いの決着がつくまで、ゲームの進行が止まることは絶対にありませーん。一致団結を図ったところで、皆で仲良く窒息死するのがオチだから、よーく考えて行動するようにー』
つまり、こういうことだ。
鐘が八回鳴らされる前に、他の七人を殺すことができなければ、残された者には死が待っている。
だが、この部屋の一体どこに、水源が隠されているというのだろうか。
『全員に武器等の支給は無いから、各自工夫して殺すように。家にあるもは、好きなように使っていいからね。爆発物や罠の類はないから安心して。まあ、今は、だけどね』
すると、あれほど部屋に響き渡っていた正体不明の声が、嘘のように聞こえなくなった。部屋が不気味な静寂に包まれると、次の瞬間。
ガーン……ガーン……ガーン……ガーン。
鐘の重低音が、脳を震わした。四音階からなる、ウェストミンスターの鐘のメロディに違いなかった。今度はハッキリと、頭上から降ってきたことがわかった。
演奏が終わり、間延びした鐘の余韻が徐々に収斂していくと、部屋に異変が起こり始めた。
ブクブクと気泡の音を立て、黒い岩の表面から、透明な液体が滲み出てきたのだ。岩の微細な隙間から休みなく水が流れ出てきては、床に水溜まりを作っていく。よく観察すると、表面を覆った苔まで、黒く塗り潰されていることがわかった。注連縄にたれる紙垂は、なにやらゴムのような素材でできているらしく、水を弾いていた。
「マジかよ。ほんとに水が湧いてきやがった……」
驚いたのは、赤スーツの男だけでない。誰もが岩へ顔を近づけ、水の出る様子を不思議そうに観察する。
岩に目を奪われて、スニーカーの底が水に浸かっていることに気づけなかった。一歩、後退すると、負けじと水の方も俺を追いかけてくる。ピョンと壁際の台にのぼり、なんとか靴の中を濡らさずに済んだ。他の者も、足元を濡らさまいと急いで台の上に避難する。
床に溜まった水から、すこし甘しょっぱい、涙のような香りが漂ってくる気がした。
『エレベータのロックを解除したから、今から使えるよー。念のため、現在の時刻を伝えておくね。今は、午後八時十分。最後に、ボクからの忠告。下ばっかりを見て、足元をすくわれないように。それじゃあ、健闘を祈るよー』
それを最後に、正体不明の声は、二度と聞こえてくることがなかった。
「どういうことだよ、なんとか言えよオイ!」
赤スーツの男の怒声は、かさを増す床の水に吸い込まれ、消えていった。男は、落ち着きなくエレベーターへ近寄ると、乱雑にエレベーター横の上矢印ボタンを叩く。
軋んだ音を立て、何食わぬ顔で銀の扉が開いた。
「待って下さい!」
白シャツの青年が、懸命に赤スーツの男を呼び止める。男は青年の呼びかけに、エレベーターへ乗り込む一歩手前の位置でふり返った。
「その……一人だと多分、かなり危険だと思います」
「聞いてなかったのか? さっき罠はないって言ってただろ」
「たしかに、それはそうですが……」
中年男性が、すかさず助け舟を出す。
「姿も見えない奴の話を簡単に信じるのか? あんなことを言っておきながら、実は、ここにいる八人を騙して殺戮するのが目的かもしれないんだぞ。未知の場所へ足を踏み入れる時には、必ず集団で行動しないと、取り返しのつかないことになりかねない」
「ええ、そうです」
青年は、床一面の水を不安げに眺めながら続けた。
「信じられないことに、すでに浸水は始まっています。残念ながら、出口や逃げ道も見当たらない。ここが水没する前に、急いで全員でエレベーターに乗り込みましょう」
言い終わると青年は、手本を見せるように、堂々とエレベーターへ歩んでいく。立ち止まり深呼吸をすると、赤スーツの男を横目に、銀の扉を潜った。
「大丈夫。なんてことはない、ただのエレベーターです」
青年の安心しきった表情を見ても、どうしても俺には、一歩を踏み出す勇気がなかった。早くここを脱出しないといけないという焦燥感と、恐怖心が、胸の内でせめぎ合い、足に根っこが生えたみたく、体が言うことを聞いてくれない。
他の者も、俺と似たような思いを抱えているらしく、肩を震わせながら、ただじっと顔を俯け、その場に立ち尽くしていた。
いつの間にか床の水は、くるぶしほどの高さにまで到達している。俺たちの立つ台を越え、台に置かれた物品が水に沈むのも、そう遠いことではないだろう。
すると外套の男が、逡巡しながらも、ゆっくりとエレベーターの方へ歩んでいった。
「君を信じるよ」
赤スーツの男の横を通り抜けて、エレベーターの中へ入る。やはり、何事も起こらなかった。
それを皮切りに、残りの人々が次々とエレベーターへ乗り込んでいった。皆がいれば安心。そんな凡庸な考えが頭に浮かぶと、俄然、根拠のない自信が湧いてきて、俺も皆に続いた。
エレベーターは相当、年季が入っているらしく、内部は錆びれて、廃れていた。天井の蛍光灯が不規則に明滅し、不安感をさらに煽った。
最後に残ったのは、扉の前に居座る赤スーツの男と、優しいオーラを放つ中年男性だった。
「絶対に危険はありませんから、水が入ってくる前に、はやく」
チッ、と分かりやすく舌打ちをすると、赤スーツの男は、カゴの中に身をねじ込む
「すまない、遅くなって」
素早く視線を動かし、隈なく部屋を観察する中年男性は、若干迷った挙句、ようやくエレベーターに足を踏み入れた。
これで正真正銘、八人全員が、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの中は、すし詰め状態で、前の人の後頭部を舐めてしまいそうなほど、互いの距離が接近していた。
操作盤の前には、最初に乗り込んだ青年が立っていた。俺の位置から青年の手元をかろうじて確認することができた。
上下を釘で打ち留められた鉄板に、五つのボタンがある。下から順に『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』『Ⅳ』と続き、なぜだか最上部のボタンだけは空欄だった。ところどころ文字がかすれていて、経年による劣化を感じさせた。その横には、小さなランプが赤く点灯するカードかなにかの差込口らしきものがあった。部品の状態から、差込口の方はかなり最近に設置されたものであるように思えた。
直前まで全身鏡かなにかが貼られていたのだろうか。カゴの奥の面には、汚れが長方形に切り取られた跡があった。
「どこを押しますか?」
「下から順に見て回ろうか」
青年は、中年男性の提案に頷くと『Ⅱ』のボタンを押下した。
ジジッと天井の蛍光灯が明滅すると、焦らすような速度でエレベーターが上昇し始めた。ガガガガ……。あまりに騒々しい駆動音が、四方八方から降り注ぐ。
「扉が開いた瞬間、矢が飛んで来たら、どうしますか?」
「赤の元気な人が盾になってくれるでしょ」
青年の冗談交じりの問いかけに、金髪のゴスロリ調の女がにべもなく返す。やはり赤スーツの男は、優雅な花の香りを纏うゴスロリ調の女に、なにも言い返すことができないらしかった。
ガツンと急停止し、八人は慣性によろめく。ゆっくりと両の扉が開かれる。
そこに広がっていたのは、思いもよらない光景だった。
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