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目を覚ますと、俺は、奇妙な部屋の中にいた。
あれ、さっきまで俺、何してたんだっけ……。
重たい頭を持ち上げて、俺は部屋を見渡す。
まず目に留まったのは、俺の周りをグルっと囲むようにして配置された、黒い岩の数々。神社の境内にでも飾られていそうな、手頃なサイズのその岩は、すべてが黒く塗りつぶされており、一個ずつ丁寧に紙垂のたれる注連縄が巻かれている。
黒い岩の中央には、白木のような素材でできた台が置かれていた。台の上には、紙を人型に切り抜いたものが幾つも釘で固定され自立している。
壁際には段差のある木製の低い台があり、台の上には、自動販売機やビッシリ漫画の詰まった本棚、ファミレス等に設置されているドリンクバーの機械、お菓子の陳列されたコンビニのような商品棚、ガチャガチャ、アーケード筐体からUFOキャッチャーまで、子供の好みそうなありとあらゆる物が、所狭しと並べられていた。
部屋の床は、高級そうなフローリング。赤茶色の壁は、質感からして、おそらく土壁だろうか。アンバランスに思えるほど背の高い天井から降り注ぐ、人工的な白色光が、影のできないように部屋の隅々を照らしていた。
奥の一角には、所々が錆びて塗装のはげた銀色のエレベーターが佇んでいた。
そしてなにより……。
まったく身に覚えのない、この奇妙な部屋に連れてこられたのは、どうも俺だけではないらしかった。
リボンの付いた制服を着た女子高生。外套に身を包んだ神経質そうな男。金髪で背の低いフリルだらけの服のゴスロリ調の女。園児服の小さな男の子。白のシャツに紺のパンツの育ちのよさそうな青年。上下赤のスーツ姿の細身の男。黄色のカーディガンにラフなチノパンの教師然とした中年男性。
俺含め計八名の男女が、俺と同じように立ちすくみ、あたりを不思議そうにキョロキョロ見回しているではないか。
次第に互いの存在を認知しはじめた八人は、相手の様子を窺いつつも、視線がぶつかる度にプイとそっぽを向く。すると、早くもこの異様な部屋の雰囲気に慣れてきたらしい白シャツの青年が、妙なことを呟いた。
「岩が正八角形状に並べられていますね」
その言葉を合図に、園児服の男の子が、尻に火がついたように激しく泣き始める。
他の大人たちは、どうしてよいのか分からず、ただその場でオロオロするだけ。どうやら、男の子の親はここには不在らしかった。
「オイ、誰かそのガキを泣き止ませろよ」
赤スーツの男が、革靴の先端をコツコツ床に打ちつけながら、苛立たしそうに吐き捨てた。先の青年が、弾かれたように男の子のもとへ駆け寄る。
「怖がらせちゃってごめんね。お兄さんがついてるからもう安心だよ。ほうら、いないいない、ばあ」
ウゲーン! ウゲーン! 泣き止むどころか、より一層泣き声は激しさを増す。
「そこ代わって」
見かねた制服の女子高生が、男の子の前にかがんで、優しく頭を撫でてあげる。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
男の子は、魔法にかけられたようにピタッと泣き止むと、赤く腫らした目を擦りながら、二回、首を縦にふった。
「そっか、不安だったよね。もしよければ、名前を教えてくれない?」
「……かえで」
「かえでくん? 素敵な名前だね。私の名前は明菜。きっとお母さんが迎えに来てくれるはずだから、それまでの間、私と一緒にここで待ってよっか」
自らを明菜と名乗る女子高生は、かえでの両手を握ると、小さな体をクイと引き寄せ抱きしめてあげた。かえでは、すっかり安心したとみえ、すがるように明菜の体に巻き付いた。
「二度と泣かせんじゃねえぞ」
赤スーツの男をキッと睨みつける明菜。彼女の素晴らしい対応のおかげで、ひとまず場の収拾はついたらしかった。
コホン。苦虫を嚙み潰したような表情で、乾いた咳をする青年。
「ええと、その、皆さん。はじめまして……ということで、合ってますか?」
不気味なほどの沈黙が、八名全員の肯定の意を示していた。青年はグルっと部屋を見渡すと、続けた。
「一度でもいいので、ここへ来たことがある方は、いらっしゃいますか」
「知らねえよ、こんなふざけた場所」
即答するのは、赤スーツの男。
「まったく身に覚えがない」
次に、黄色のカーディガンの教師然とした中年男性がハッキリとした口調で言い切った。
「私も。かえでくんは?」
知らない、とかえで。他の者は、表情を曇らせるだけだった。それ以上、尋ねる必要はなかった。
なんとなく察していたが……この奇妙な部屋に集められた理由はおろか、自分がなぜここで目覚めたのかも、誰一人として知らないらしかった。
赤スーツの男が、チッと舌打ちをすると、とつぜんエレベーターの方へ走っていった。扉の前で仁王立ちして、すぐ横に設置された上下矢印のボタンを闇雲に押しまくる。
「チクショウ、故障してあがる」
こんどは助走をつけて、渾身のジャンプキックを扉に喰らわせる。無残に跳ね返され、岩の前まで転げ回る赤スーツの男。
錆びた銀のエレベーターは案外、頑丈に作られているらしかった。
「出てこい! 俺をここに閉じ込めた奴。必ずぶっ殺してやるからな」
ドスを効かせた威嚇は、高い天井に反響して、虚しく萎んでいった。
「なに一人で騒いでんの? 人の家だったらどうすんのよ」
金髪でゴスロリ調の女が、赤スーツの男を睨みながら一喝した。男は、ゴスロリ調の女の鋭い語気に言い伏せられたとみえ、すっかり黙り込んでしまう。
フンと鼻を鳴らす彼女から、ふわり花のような優雅な香りが、こちらにまで漂ってきた。
大方、予想はついていたが、どうやらこの部屋に、安易な脱出経路は用意されていないらしかった。
それにしても……かえでは別として、他の六人はあくまで毅然とした態度を保っている。見知らぬ七人と訳も分からず密室に閉じ込められたというのに、よく冷静でいられるものだ。正気を失いパニックに陥っていても、不自然ではない状況なのに。
「とりあえず、まずは皆で協力して、ここから脱出する方法を探しましょう」
不穏な空気を察したのか、白シャツの青年が努めて明るい調子で言い出した。
彼の言う通りである。なにか悪いことが起こる前に、いちはやく部屋の出口を見つけなければいけない。
「手分けして部屋を調べませんか。今、わたしの近くに立っている人は、向かって右側。そちらの白シャツを着ている方の近くに立っている人は、向かって左側。どうです?」
すると、教師然とした中年男性が、落ち着いた口調で提案した。誰からも異論は発せられなかった。
「それと、なにかすこしでも気づいたことがあれば、必ず皆に報告するようにしましょう。知識は共有したほうが役に立ちます」
中年男性はそう言い残すと、慎重に壁の方へ歩いていく。
「ちょっとだけ、いいですか」
挙手をする白シャツの青年が、皆の注目を集める。中年男性は足を止めて、彼の方にふり返った。
「ここで目を覚まして、最初に思ったことなんですけど。この部屋、正八角形の形をしているんですよ」
……なるほど、部屋の形か。他のことに意識を向けていて、まるで気づくことができなかった。数えてみると、たしかに部屋の壁は八つあった。加えて、壁の大きさはどれも等しいように見えた。
「黒く塗られた岩だって、正八角形状に並んでいる。それだけじゃない。台座には計八体の紙人形が刺さってる。台座の脚を数えると、四本ずつで、計八本あるんです。ここに集められた人が八名である事と、なにか関連があるのでしょうか」
俺は、背筋にゾッと寒気が走るのを覚えた。
青年の観察眼もさることながら、偏狂的なまでに『八』という数字が散りばめられたこの部屋の意匠に、称賛を通り越して、悪意すら感じる。
一体だれが、なんの目的で、こんな部屋を作ったのだろうか……。
「ごめんなさい、流れを止めてしまって」
「いいや、とても有益な情報だった。ありがとう」
中年男性は、目線でも青年に感謝を伝える。
「なにか気づいたことがあれば、今みたいに遠慮なく言ってくれ」
言い終えると、中年男性は、壁際の台へのぼり、ゲームソフトが入っているらしいプラスチックの容器をひっくり返して中を調べはじめた。他の者も、彼の指示通りにパラパラと散って、それぞれ壁の台に並んだ不思議な物品を眺めはじめた。
白シャツの青年と中年男性の統率力のおかげで、今のところ大きな仲違いを発生させずに、皆の意見をうまく建設的な方向へ誘導することができている。決め手となったのは、中年男性が、どこか人を安心させるような優しいオーラを漂わせているからかもしれなかった。
「かえでくんは、ゲームして待ってる?」
「遊ぶ気分じゃない。明菜姉ちゃんと一緒にいる」
「そうね。じゃ一緒に見てまわろっか」
明菜はかえでと手を繋ぎながら、マンガの積まれた本棚を調べはじめた。この短時間でかえでは、すっかり明菜に心を許したらしかった。
俺も皆に遅れをとらないよう、適当なアーケード筐体の前に立つ。モニター画面には鮮やかな色彩の光が浮かび上がっていた。どうやら無料で遊び放題らしい。だが到底、遊ぶ気にはなれなかった。
『おはようございまーす』
ピクン、と体が跳ね上がった。八人の誰のものでもない、ひどくくぐもった声が、とつぜん部屋中に響き渡ったのだ。
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