ペルソナ∞ゲーム
東島和希🍼🎀
prologue...
ティック、タク。ティック、タク。
ティック、タク。ティック、タク。
時計って、偉いよな。
文句の一つも言わず、ただ静かに時を刻み続ける。
どんなことがあっても、表情一つ変えずに。決して自分のペースを乱さずに。
ティック、タク。ティック、タク。
ティック、タク。ティック、タク。
それに対して、大人はどうだろうか。
時間の流れが早いと嘆く老人がいる。時間の流れが遅いと嘆く労働者がいる。時間の流れが変わらないと嘆くニートがいる。
だけれども時計は、嫌な顔一つも見せずに、ただ静かに時を刻み続ける。
ティック、タク。ティック、タク。
ティック、タク。ティック、タク。
「そんなところで、なにしてるの?」
背後の声にハッと振り返ると、そこには、見知らぬ先生が立っていた。
黒ぶちの丸眼鏡をかけて、長い黒髪を二つに結んだ、三十代くらいの女性。日本人らしい小粒な眼に、ペチャっと潰れた鼻。どこか疲れを感じさせる、浅くこけた頬。お世辞にも美人とはいえない、女性らしさの欠けた容貌をしていた。
「何年生? クラス替えのプリントは貰った?」
見た目に反して、ハリのある声からは、桜色のセーターにカーキ色のパンツがよく似合う、底抜けに明るい印象を受けた。
僕は、見知らぬ先生の背後をグルっとまわり、先生の左側に立つ。
「五年生です」
「まだ自分のクラスを知らない?」
「はい」
「正門に先生が立っているから、貰いに行っておいで」
「わかりました」
ぴく、と先生の左眉がわずかに持ち上がったのを、僕は見逃さなかった。
……なにかマズかったろうか。いや、そんなはずない。僕は先生の左側に立って話した。体の右半分は、ウソの僕。体の左半分は、ホントの僕。つまり先生は、ウソの僕しか見ていない。
たかが数秒間、顔を合わせただけで、僕の秘密を見抜けるはずがないのだ。絶対に。
「これが気になって、ずっと見ていたの?」
すると先生は、腰をかがめて僕と目線の高さを合わせると、目の前の柱時計を指さした。
ローマ数字のシンプルなデザインの文字盤に、金属の長い振り子を揺らす、美しい木目の柱時計。側面には『贈 第十六期卒業生一同』の文字が刻まれた金のプレートが埋め込まれている。
綺麗な柱時計だ。頭に埃をかぶっていることを除けば。
「ここにいては駄目ですか」
「ううん、そういう意味じゃなくて。なんだか先生も、この時計に惹かれるものがあったから」
先生の朗らかな表情からは、決して噓を言っているようには思えなかった。
ティック、タク。ティック、タク。
ティック、タク。ティック、タク。
役目を終え、追いやられるようにしてここに放置された柱時計は、ただ静かに時を刻み続ける。
「今、君が何を考えていたのか、先生が当ててあげようか」
とつぜんなにを言い出すのだ? これ以上、ここに僕以外の人間が立ち入られては困るので、すぐさま逃げ出す準備。
「プリント、貰いに行かないと」
「ちょっとだけ待って。ええとね、クロノスタシス」
……なんて? カメラのシャッターを切られたみたいに、僕と先生は一瞬だけ、顔を見合わせる。
先生は、勝ち誇ったように人差し指をピンと立てながら言った。
「きっと君は、こう考えていたに違いない。一秒の間隔は一定のはずなのに、どうして秒針の進む速度は一定に見えないのか。どう? 当たってるでしょ?」
あまりに的外れだったので、僕は肯定も否定もせず、ただじっと先生の顔色をうかがった。先生は、自慢げに続けた。
「それはね、クロノスタシスって呼ばれる錯覚なのよ。人間の眼球って、実は一秒に三回のペースで常に小刻みに動いている。それなのに、視界の景色はビクとも動かない。不思議よねえ。この不思議な現象を実現するために、脳は眼球の動いている間に得られた視覚情報を無視するの。でも、このままだと三秒に一回のペースで目の前が真っ暗になっちゃう。それだと困るから、代わりに後から時間を遡って視覚情報を埋め込む。これによって、視点を大きく動かした直後の秒針は、やけに長く止まっているように見えるのよ。つまるところ……」
ここが肝要だよ、と言わんばかりに、先生は人差し指をプイと振りかざした。
「わたしも、正門でプリントを配ってる先生も、みんな同じ時間の流れの上に立っている。君だけが時間の流れから仲間外れにされているなんてことは、決してない」
先生は僕の頭をくしゃくしゃにすると「はやくクラスを確認しないと、チャイム鳴っちゃうよ」と言い残し、パカ、パカとサイズの大きなスリッパを引きずりながら足早に去っていった。
嵐の後の静けさ。
僕は、柱時計の背後に回ると、屋上ドアへと続く短い階段の上に腰かけた。
唯一、校舎三階と屋上を繋ぐ、心もとない通路。普段は誰も通らない、半ば物置小屋と化した、忘れ去られてしまった空間。
妙に落ち着く、安心の空間、その一。
見知らぬ先生に説教されたせいか、なんだか頭がぼうっとしてきた。屋上ドアのガラス窓から、春初の柔らかい陽光がぽわっと差し込んできた。チャイムが鳴った。
これが、先生との、初めての出会い。
そして、先生こそが、僕が殺すことになる人物だった。
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