side蒼刻
side 蒼刻(そうこく)
幼い頃に刀に触れた。ただそれだけである。
「わぁ」
この刀、黒いけれど太陽の光に当てると灰色に輝いている部分が反射してとても綺麗に見えるね。
蒼刻はそう言って蒼刻のちいさな手には少し大きな短刀を渡した父に、キラキラとした笑顔を向けた。
「父上、こんな宝もののようなものを如何して、わたしなぞにくれるのですか」
「違う、蒼刻。これは宝物じゃぁ決してない。」
「いいえ、わたしには光って見えます。これは宝ものです。」
「手前にはそう見えるのか」
哀しそうな表情をした父を不審に思い、蒼刻は幼い首をこてん、と斜めに傾げ、父に訊ねた。
「では、この刀はなんだと言うのですか?」
「今、蒼刻に渡したのは、手前の身を守るための刀だ。今から俺が手前に剣術の稽古をつけるってことを意味する。」
「ああ、わたしも、もう7歳ですもんね。父上が言っていたことはこう言うことだったのですか」
そうだ、と父は首を縦にふった。そうなのだ。蒼刻が7歳になったら、すべてを教え、預ける。そういう決まりであった。事実、現在蒼刻に母親はいない。しかし、理由を父に訊ねても「7歳になったらすべてを教える」の一点張り。蒼刻はそりゃあもう7歳になるのが待ち遠しかった。
キラキラした幼い蒼刻の瞳には「知りたい」知識欲で塗れていた。
だから、父は残酷にも全てを告げるしかなかった。
そう言う約束だったのだから。
「いいか、蒼刻、今から耳にすることは心のどっかにとどめとけ」
そう言うと父は話し出した。
聞かなければよかったと、蒼刻は後悔した。
とても辛い話だったから。そしていつも仏頂面の父の顔があまりにもくしゃくしゃに歪んで悲しそうだったから。それでも蒼刻は涙を堪えながら必死に耳を傾けた。
「俺の名前は改めて言うが、創明(そうめい)という。
事実を言うが、俺はお前の本当の父親ではない。血のつながりもない。赤の他人だ。
昔、俺は重罪人の首を切る役人、つまり処刑人だった。夜中、当番で街を巡回をしていたときだった。ある家に強盗が入り、一家殺人事件が起きた。裕福な家庭だともっぱら有名な家だった。
俺は罪人を捕らえた後、医師を呼ぼうとした。すると息絶え絶えの血に塗れた女に引き止められるじゃねぇか。なんでも『戸棚に眠った息子がいる』と言う。開けたら本当にぐっすり眠ったままのお前さんがいたので、俺はお前の母さんの遺言に従って戸棚の中に隠されたお前を拾った。
その後、俺はお前の子育てもあるので「7年とおまけのお釣りで3年加えて約10年の休暇」をもらった。取り敢えずお前が7歳になるまでの間お前の「父親」であることを決めた。」
蒼刻は頷くことしかできなかった。大きな涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちようが、衝撃の事実に言葉が出なかった。
父、ではなく創明は辛そうに話す。
「俺の今まで培ってきた剣術をこれから3年間、お前に授ける。」
そのあとは奉公に出るのも行商に出るのも何でも好きにしろ。
そう言い、創明はため息を小さく吐くと練習用の木刀を投げた。蒼刻はそれを何とか空中で受け取ると涙でそれをまた濡らした。
「最後の3年間、みっちり叩き込むからな」
「はい」
きっとこの創明は蒼刻の今後生きてゆく為を思って、稽古をつけると言ってくれたのだろう。
視界の隅で、地面の上に大切に置かれた刀の鞘が太陽に反射して輝いた気がした。
□
蒼刻が10歳になった頃、小さな未だ発達途中の掌はぼこぼこして、豆粒だらけになっていた。皮は捲れ痛々しげに肉が顔を出している。
創明が木刀を、地に尻餅ついた蒼刻に向けて「その辺にしとけ」と言い放った。蒼刻は珍しく大きな声で言い返す。
「でも、おれはまだ立てます!できます!」
「俺の言うことが聞けねぇのか。おめぇは最近ちぃと気張りすぎだ。何をそんなに焦ってやがる」
「だって、おれが、おれが師匠よりも強くならないと」
師匠はその御身体のまま、また本職へ戻ってしまうでしょう
と言った。
思わず創明は面を食らう。木刀を持っていない方の片手で悔しそうに汗にまみれた前髪をくしゃり、と乱雑に撫ぜ、憎々しげに言う
「手前、いつから気づいてやがった」
「師匠は隠すのが下手ですから。咳き込む姿を見る回数が増えれば何となしに分かりますよ。」
「もしかして最近やたら酒に厳しく口出ししてくんのもそれか」
「はい、健康を気遣って口を出させていただきました。」
薬を毛嫌いして、医師にも診てもらわず、心臓部を抑えてよく壁にもたれ掛かっているのも知っている。
それでも師匠は気丈に振る舞い、いつものように稽古もつけてくださる。
「そんな優しい人を、また本職へ戻したくないと願うのは我儘でしょうか」
「餓鬼が変な気を遣ってんじゃねぇよ」
創明が吐き捨てた。全て図星だったからだ。創明は根っからの女と酒好きで夜遊びはしょっちゅう。きっと何処かで病にかかってしまったのだろう。しかしそれも誰のせいにもせず、強くありたいと願い、自分は平気だと嘘を付く。勿論診療所にも足を運ばないので、身体の症状は悪化していく一方だ。その癖稽古は気を抜かない。仏頂面で分かり辛いところもあるが、根は優しい人なのだ。
蒼刻は言う。
「おれが師匠の代わりに奉公に出ます」
創明が今度は目を丸くする番だった。
創明は眉間に皺を寄せる。
「手前の言う奉公は簡単に務まるもんじゃねぇ、ふざけた口を抜かすな」
「おれはまじめです。あなたが出向いて罪人の命を刈り取ると共に己が命を落とすくらいなら、おれがいきます」
「手前のその技量で痛みを感じさせずに首をはねるって事ができるってのか!ハッ」
笑わせてくれるな
創明の瞳に赤い血が見えた気がした。それほどこの男は憤怒しているのだ。少し変わった周囲の温度の冷ややかさに反応して身体がビリリ、となり、鳥肌が立つ。『引き下がれ』と本能が警告を鳴らす。しかし、ここで引き下がっては蒼刻が口に出した勇気も無駄になってしまう。
「おれはあなたを守りたい。ので、最後に試練をください」
「フン、生意気な口には腹がたつが、じゃぁ、そうだな。後3日の間で、おれを殺せ」
その意味を問いかける前に創明は薄闇の中へ消えて行った。10歳の創刻はそれをただ見守るしかなかった。
1日目
「どうした!昨日の威勢はどこへ行きやがった!」
「すみません!」
木刀でこてんぱんにしてやられ
2日目
「手前の技量はそんなもんか!臍で茶が湧いちまうな!」
「す、みません」
はたまた木刀でこてんぱんしてやられた。
2日目の晩、稽古が終わり、蒼刻は晩飯を作り終わった後にも、ううん、と一人考えあぐね悩んでいた。
「結局飯を作っていても何も考えつかなかった…」
蒼刻は自分の発想力のなさにズゥン、と落ち込む。
『おれを殺せ』
「師匠は、どんな想いであの言葉を口にしたのだろう」
創明は蒼刻を引き取る前には、重罪人の首を切る「斬首刑」を執行する役人であったという。痛みを感じさせずに、あまりに綺麗に事が終わるので「打ち首の名手」として呼ばれていたこともあったらしい。
しかしそんな創明も今は病に身体を衰弱させている。
つまり「生きているのが辛いから、殺してくれ」と暗に言いたいのだろうか。
「…厠へ行ってこよう」
頭を巡らせすぎて少し頭をリセットしようと蒼刻が縁側を通り抜け外へ足を運んだその時であった。
「ゲホ、ゲホゲホ、うぇ…」
師匠の弱った姿があった。思わず蒼刻が駆け寄ろうとした、その時
「にたくない。ぃきたい。…ぶんも、おれが、…をまっとうしなければ、お天道様にも顔向けできない」
蒼刻は聞いてはいけないものを聞いてしまった気がして、音を立てずに家の中へ戻った。
創明の吐き捨てるような、懇願するような言葉が耳にこびりついて離れない。
蒼刻は堅く拳を握りしめ、覚悟を決めた。
3日目
「どうだ、降参する気になったか?」
左手に練習用の木刀を握りしめ、ニヤニヤと口角を上げて、地に尻餅をついた蒼刻を笑う
創明に向けて蒼刻は言い放つ。
「否、まだこれからです。」
そう言って創刻が着物の懐から取り出したのは7歳の頃、父と慕っていた創明に蒼刻が渡された短刀。
『黒いけれど太陽の光に当てると灰色に輝いている部分が反射してとても綺麗に見えるね』
あの日の言葉を創明は覚えているだろうか。
創明は瞠目した。
蒼刻は体制を急いで立て直すと、地を蹴り這うように創明の元へ秒で走ると、頰へひたり、と冷たい滑らかな部分を当てた。創明は目を瞠った。
「おれはあなたを殺すことはできない。」
「…」
「何故ならあなたはまだ生きなくてはならないからだ!今まで殺した罪人の分も、人生をまっとうしなければ、お天道様にも顔向けできないのでしょう!」
「!なんで、お前がそれを…」
「たまたま聞いてしまったんです。…だから、おれは師匠を殺すことは出来ません。しかし、『師匠の罪悪感に縛られた心』を殺すことはできます」
もう、おしまいにしましょう。
「おれが師匠の罪の分も一緒に担ぎますから」
そう言って蒼刻が笑うと、創明は頬に当てられた冷ややかな短刀を軽く爪で撫ぜ、涙をこぼした。蒼刻が初めて見る涙であった。
「後悔してもしらねぇぞ」
「はい。」
「凄く辛いし苦しい道なんだからな」
「それでもいいです」
馬鹿な男に育ててしまったな。と創明は泣いた。蒼刻も小さく涙した。
涙に反射して、短刀が少しだけ光った気がした。
□
創明の余命は残りわずか。経過を見る限りそうだろう。
「辛かったらご近所さんに言うんですよ」
「わぁってるって」
「診察受けてくださいね」
「…」
「返事!」
「はいはい」
そんなやりとりをして、15歳になった蒼刻は支度した軽い荷物を手に持って足袋を履く。もう二度とこの家には戻らないだろう。
10歳の蒼刻は役人としての腕を磨く為、あの後、創明と国の政府に掛け合い、5年の猶予を貰った。
5年修行し、見事な剣捌きになったと、これに関しては創明のお墨付きなのだから信用しても良いだろう。
15歳になった蒼刻は国政府の役人寮に入ることになった。元々創明の抜ける穴を蒼刻が埋めるのだ。そうなっても仕方がないだろう。
ガラリと引き戸を静かに開けて蒼刻は無言で外に出ようとした。
その時、創明が小さく口にした。
「『この刀、黒いけれど太陽の光に当てると灰色に輝いている部分が反射してとても綺麗に見えるね。』」
「え?」
「いいや、なんでもない。自信持って行って来い」
「はい。」
ありがとうございました。
礼を一つ。蒼刻は家を出た。
その時、創明は布団の中でひとり笑っていた。
「ばぁか。刀よりも、いちばん綺麗なのは蒼刻、手前の心だろうが」
あぁ、今日も暑いなぁ、そう気づかぬうちに創明は笑っていた。
END
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