第10話

「これは奇遇だな。こんな場所できみを見かけるとは」


 声の主は、あたしが振り向くよりも早く向かいの席に移動し、勝手に座った。

 ……この遠慮のなさとずうずうしさ。

 顔なんか見なくてもわかる。


「届いた本を読んでいたら、この時間になってしまってね。残業は主義じゃないんだが」

「それ、仕事じゃないでしょ」


 あたしの悪態は、足を組んだまま横向きに座る相手にはまるで通じてないようだった。

 職場の同僚。いちおう立場上は上司にあたる。

 そう言えば、朝になにか荷物を受け取っていたような気がする。どうせ仕事じゃないだろうと思って気にもしてなかったけど。


「いや、まったく無関係というわけでもないさ」


 言いながら、ルズはカバンから古びた本をとりだした。


「うわ、きったな!……『冒険者ギルド法立法史』?」


 表紙からボロボロで、あちこち補修された跡もある。紙は黄ばんでいるし、埃とタバコとなにかの薬品の匂いさえする。


「ギルド法が作られた経緯を記したものだ。なにしろ100年ほど昔に書かれたものだから、残っている数も少なくて探し出すのに苦労したよ。所在を探し出すだけでも一苦労でね」

「いやっていうか、それあんたの趣味で買った本でしょ?朝からずっと仕事もせずに読みふけってたけど」

「その本があまりに面白くてつい読みふけってしまってね。ただ本を読むだけでも、丸一日読み続けるとそれなりに疲れるのだな」

「仕事しなさいって言ってんのよ!」


 まったく悪びれずに、ルズは笑う。

 人に雑用全部押し付けておいて、この男は。


「……それより、どうしてそこに座るのよ」

「質問の意図を図りかねるんだが?」

「相席するなら一言くらいあってもいいんじゃないの、って言ってんのよ!」

「相席……?」


 言われて、ルズは初めて気が付いたという顔で周囲を見回した。


「なるほど、そういえばここの1階は酒場でもあったな」

「そういえばって……なにを今更なことを」

「こっち側から出るのは初めてでね。普段は建物の裏側から帰るんだが、今日は時間が遅くなってしまったせいで、施錠されてしまっていたんだ」


 そういえばこいつ、いつも定時で帰るんだっけ。貴族のお坊ちゃまらしいから、夕食は帰ってからなんだろうけれど。

 こんな庶民の食堂なんて珍しいんじゃないかしら。

 ────そのタイミングで、残りの料理が運ばれてきた。


「どうでもいいけど、食事をしないのなら席を開けなさいよ。混んでいる店で注文もせずに居座るのはマナー違反でしょ」

「そうか……なるほど」

「とにかく、ここは食事をする人のためのテーブルなんだから、ここに居座るならあんたもなにか頼みなさい」


 それだけ言うと、あたしはナイフとフォークを手に取った。

 脂ののった肉の塊から立ち上る香ばしい香りに、胃が待ち遠しい悲鳴を上げている。

 その肉にナイフを入れるあたしの動作を、ルズが興味深そうにじっと見つめてくるせいで、どうも落ち着かない。

 しぶしぶ、あたしは手を止める。


「見られてると食べづらいんだけど」

「それがきみの夕食か」


 そう言って、ルズはあたしの前に並べられた皿を珍しそうに眺める。

 こいつからしたらどうってことない料理なのかもしれないけど、これでもあたしにとってはごちそうなんだ。


「今思い出したんだが」


 組んでいた足を下ろしてイスに座りなおすと、改まったようにルズが言い出した。

 ……こいつのことだ。どうせまためんどくさいことを言い出すんだろうけど。


「ぼくは朝からなにも食べていなかった。本に夢中になりすぎていて、食事をうっかり忘れていた。どうりで、ひどく空腹を感じるはずだ」

「なにやってんのよ……」


 さすがに呆れて、あたしは言った。

 普段からなにやってるのかわからないヤツだけど、ずっと本を読みふけっているとは思わなかった。

 どっちにしても、仕事はしてないってことに変わりはないけど。


「ところで」

「……なによ」


 あらためてフォークを刺そう、というタイミングでルズに声をかけられて、あたしは再度手を止める。


「きみはぼくにお礼をする必要がある、とか言っていたな」

「はあ?」


 またこいつは、唐突に妙なことを言い出した。


「まあ……確かに、この前の件はいろいろと手を貸してもらったし……そりゃ、お礼くらいは言うけど……」

「なるほど。いいだろう」

「……は?」


 なにが?

 いつものことだけど、言うことが唐突すぎる。……いつになったらこいつの思考が理解できるようになるんだろう。


「貴族であるこのぼくに、謝礼をする権利をやろう、と言っているのだ」

「権利?」


 うん。無理。

 やっぱり理解できそうにない。


「……ごめん。もうちょっとわかるように言って?」

「ぼくは今、お金に困っていてね」


 ……話のつながりが見えない。

 っていうか、こいつ曲がりなりにも貴族の御曹司でしょ?

 それが、お金に困っている?


「さっきも言ったが、この本はとても希少価値の高い本でね。所在を探し当てるだけでも苦労したが、その持ち主との交渉も手間がかかってね。

 屋敷を買い取ってくれる相手を探すのに苦労したよ。もともと祖父が別宅として使っていただけの建物だったが、それでもそこらの商人の手にはあまるからな」

「え……ちょっと待って」


 あたしは頭を抱えながら言った。


「聞き間違いかもしれないけど……屋敷を売った、ってこと?貴族の邸宅を?」

「そうだ。貴金属や換金できる装飾品もほとんど売り払ったかな。なにしろとても遠方にいる相手だったから、やり取りするだけでも一苦労さ」

「その……本のために?その一冊だけのために?」

「もちろん、この一冊を手に入れるためさ。それでもどうしても金が足りなくてね。部長に頼み込んで、どうにか半年分の給料を前借りして、ようやく手に入れたんだ」


 ……意味が分からない。

 それとも、貴族さまの金銭感覚ってこういうものなの?


「こんな……小汚い本一冊に、屋敷も貴金属も全部売り払って、さらに半年分の給料を前借り、って……」

「この本にはそれだけの価値がある」


 言い切る、ルズ。


「むしろ安い方さ。この本にはギルド法がない時代の騒動や国王、隣国のギルドとのやりとり、そして過去の法の問題点の洗い出しから現在のギルド法の形にまとまるまでの流れ、思考、そして成立させるために奔走した人物やできごとが事細かに、その時代の人間によって記されている、とても貴重なものだ。

 ……もとは祖父が所有していたものだが、だいぶ前に手放してしまってそれをようやく見つけ出したんだ。

 誰も住んでいない屋敷や飾りにもならない宝石なんぞと引き換えに手に入れられるのなら、安いものだ」

「…………?」


 気のせいかも知れないけど。

 ルズの目つきが、一瞬だけど、いつもと違うような気がした。

 遠くを見るような、睨むような、そんな雰囲気。

 ……ま、どうでもいいけど。

 この本の内容がどんなものか知らないし、興味もない。

 ギルド法なんて丸暗記すればいいだけのものなのに、過去の出来事なんて今の仕事で、なんの役に立つの?

 まあ、ルズは楽しそうに話しているし、本を読んでいるだけでこれだけ幸せになれるんだから、ある意味うらやましいわ。


「さて」


 ルズは、再度姿勢を変えて、今度はテーブルに肘をついて手を組んだ。


「もう一度言うが……ぼくは今お金に困っていてね」



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