第8話

 翌日。


 あたしが書き上げた「再審査請求に対する回答書」を持っていくと、部長は安堵した顔で受け取り、それを読みはじめ……そして青い顔になった。

 文句を言おうとした部長に、ルズが後ろからニッコリと「なにか反論があるならどうぞ」と言い、部長は苦々しい顔で固まった後、黙って回答書を机にしまった。


 結局、この案件はあたしが書いた回答書の内容のまま審査会を通り、反論も訂正もなく最終的な回答文書として認められた。

 ────つまり、冒険者Xに対する冒災保険の不支給決定は、覆された。


 そのことを告げるために、冒険者Xの妹さんを尋ねた。

 妹さんは、ずっと蘇生費用のことで悩んでいたせいか、だいぶやつれている様子だったけど、あたしが持って行った再審査請求の回答書を見せると、ホッとした顔で笑ってくれた。

 とは言っても、冒災保険だけで蘇生費用がタダになるわけじゃない。

 足りない分は用意する必要があるけど、ベテラン冒険者である兄が蘇生できたなら、きっとどうにかできるだろう。


 まあ、ようするに。

 冒険者Xの妹さんを救う、っていうあたしの目的は、無事に達成できたわけだ。

 部長にはやっぱり苦い顔をされたし、結果的には不問って形にはなったけど上司からの指示は無視したことに変わりはない。だけど、そのことについて、あたしは後悔していない。

 ……ただ。


「なんか……微妙に納得できない」


 自分の机に戻ってきてから、あたしは愚痴をこぼした。


 ギルドの保険部や保険審査会の決定をひっくり返せたのは、あの審査結果をひっくり返せるだけの理屈を組み立てて、きちんと根拠を示せたからだ。

 そして、それは全部ルズが組み立ててくれたもの。

 あたしは、言われたとおりに回答文書を書いただけ。


 結局、あたしは一人で張り切って走り回っていただけで、自分一人じゃなにもできていなかった。

 一日中机でゴロゴロしているだけの貴族のボンボンに、おんぶにだっこ状態だった。

 人の役に立ちたい、なんて偉そうに啖呵を切っておいて、あまりにも情けない。


 あたしは座ったまま、書類の山の向こうをちらっとうかがう。

 ルズはいつも通り、なにかの書類を眺めながらゴロゴロしているだけだ。


 ……一応。

 こいつに手伝ってもらったってことは、事実だし?

 いやいろいろムカつく奴だし仕事もしないし偉そうにしてるけど。

 お礼くらいは、ちゃんと言いたい。

 ……ムカつくけど。


 読み終えた書類を机の上に放り投げて、ルズは大きく腕を伸ばした。体を動かした拍子に机が揺れて、上に乗っていた書類の束がバサバサと床に散らばった。

 それを拾い上げる。


「どうした?仕事は進んでいるのか?」


 あたしがいることに初めて気が付いた、という顔でルズは言った。


「今、妹さんのところから戻ってきたとこなんだけど?……それに、あたしの仕事は雑用じゃないから!」

「まったく、余計な仕事まで引き受けるからだ。おかげでここの書類の整理がちっとも進まないじゃないか」

「そう思うんならちょっとは自分でも片付けなさいよ!」

「……なぜ、ぼくが雑用をしなければならないんだ?」

「こんの……!」


 キョトンとした顔で、ルズはあたしを見た。

 こいつ、素でこういうことを言うから腹が立つ。手を動かすような仕事は全部周りに押し付けて当然、とでも思ってるんだろうか。


「…………」


 だけど。

 嫌味でも言い返してやろうと思って、やめた。

 いちいち反応しているのもバカバカしいし。

 それに。


「…………ありがと」

「なにがだ?」


 ますます、ルズはわけがわからない、という顔になった。


「あ、ゴメン。いきなりわけわからないよね。

 この案件のこと。一応……お礼だけは言っておこうと思って」

「……お礼?」


 こいつに、お礼を言っておかないと。

 あたしの気が済まない。


「あんたのおかげで、冒険者Xの妹さんを助けることができたんだもの。あたし一人じゃ、きっと決定をひっくり返せるような報告書は作れなかった」

「なんだ、そのことか」


 さして興味もないように、ルズは言った。


「手伝った……まあ、結果的にはそうなるのかもしれないな」

「結果的には、って……まあ、そうだけど」

「が、礼には及ばない。警備部までからんだトラブルに関われるのはなかなかない。事件に直接首を突っ込むのは久しぶりだったが、それなりに面白かったぞ」

「え……」

「だってそうだろう?普通に生きていたら、こんなトラブルそうそうお目に書かれるもんじゃない。この部署にいるとそれだけで他人のトラブルが勝手に舞い込んでくる。だからこの部署はいいんだ」


 あたしは絶句した。

 事件が、トラブルが面白い……?

 ルズは楽しそうに笑いながら、続けて言った。


「人間が生きていく中で他人と酷くもめることなんて、実はあまりない。大抵は大きな問題になる前にお互いに譲歩しあうか、解決してしまう。

 ほとんどの人間はもめ事がキライだからな」

「そんなの、あたりまえじゃない」

「だが。

 中には揉めて揉めて、どうしようもなくなる位にこじれてしまうトラブルも存在する。

 もともとは些細なケンカ、感情のすれ違いから始まった小さなトラブルが、いつの間にかお互い殴り合い殺しあうくらいにまで発展してしまうことだってある。

 このフロアのこの一角は、そんなトラブルが……普通に生きていたらお目にかかれないもめ事が、大量に集まってくるんだ」

「集まる……?」


 ルズは、両手を広げる。

 その背後には、書類が無造作に詰め込まれた書棚が並んでいる。


「なんだ。知らずに書類整理していたのか。

 ここにあるのは、ギルドが今までに処理してきたさまざまなトラブルの記録だ。

 分け前の未払いやパーティーからの追放トラブル、冒険者同士のケンカ、メンバー募集のときのもめ事……

 もちろん、冒災保険でのトラブルだって、いくつもある」


 書棚を見上げる。

 部屋の天井まで届くような、高い書棚が何列も。そこにギッシリと詰め込まれた書類。


「もしかして……アンタがいつも読んでたのって……」

「そうだ。

 ギルドがうまく和解に持っていければいいが、中にはギルド審判に行くまでこじれた事件もある。

 なにしろ揉めている当事者同士だ。感情的になったり、めちゃくちゃな理屈でやり込めようとしたり──。

 そんな記録が、ギルド設立当初から今までの分、全てここに保管されているんだ。実に面白いだろう?」


 楽しそうに笑うルズ。


「あんた……そんなものを、面白がって読んでいたわけ?」

「ああ。実に面白いね」


 しれっと、ルズは言う。


「きみだってそうだろう?

 他人のトラブルに首を突っ込んでも文句を言われないし、解決してやれば感謝までされる。

 そういう仕事が面白いから、ここに来たんじゃないのか?」

「面白いって……」


 あたしは怒りで手を震わせたまま立ち上がった。

 そしてルズの隣まで歩いて行くと、手のひらを思いっきり机にたたきつけた。


「あたしは!

 去年、冒険者をしていた時に、ひどいリーダーに騙されて困ってたところを、この部署の調査官に助けてもらったの!

 トラブルに巻き込まれた人は、面白いどころか苦しんでるのよ?自分の力じゃどうしようもなくて、どうしたらいいかもわからなくて、不安で苦しくて……

 あんたからしたら他人事かも知れないけど、トラブルに巻き込まれてる当事者は本当に苦しんでる。

 いくら他人事だからって、それを面白がるのはどうなのよ!」

「へえ……」


 ルズは特に驚いた様子も悪びれた様子もなく、しげしげとあたしを眺める。


「そういえば、去年とんでもないブラックパーティーの事件を処理したことがあったな。

 初心者ばかり集めて、最初に言ったこととは違う安い報酬でこき使っていた、頭の悪いリーダーだった」

「…………?」


 突然語り始めたルズに、あたしはあっけにとられる。


「そいつはな、面白いことに『自分は効率よく安全に稼ぐ方法を編み出した!』と本気で思っていたんだ。知り合いの他のパーティーリーダーに『これからは安全に効率よく稼ぐ仕組みを作る』と自慢げに語っていたらしい。

 ヒゲはともかく、カツラはまるで似合ってなかったがな」

「…………それって」


 聞きながら、手足の先から血の気が引いていくような感覚を覚える。

 ……まさか。


「前に事件に首を突っ込んだのは、だいたい1年前くらいだったな。

 ……きみも、そのパーティーにいたのか」


 フッ、と笑って、ルズは再び書類を読み始めた。

 あたしは目の前が真っ暗になるような気がして、そのまま立ち尽くしていた。


 あのとき。

 あたしがいた、あのブラックパーティーのことをものすごく精力的に調べてくれて、みんなを救い出してくれたあの調査官は。

 あたしは遠めに見ただけで、名前も顔もわからないままだったけど。

 ……ちょっと背が低い感じの、若い男性ってくらいしかわからなかったけど。


 その人のおかげで、あたしはギルドの職員を目指して一年がんばってきた。

 同じ職場だし、いつか会えるかも────とは、思っていたけど。


「うそでしょ……」


 あたしは、そうつぶやくのが精いっぱいだった。




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