第4話

 書類を指でそろえなおす。

 大丈夫。どうってことない。

 ルズの挑発みたいな言い方は気に入らないけど、あたしはちゃんとこの法律文書を読みこなせる。

 ここまで読んでこれたんだから、問題ない。


「【冒険者Yはとっさに逃げ出し、他のパーティーメンバーが冒険者Xを制止して、落ち着くように説得した。しばらくして冒険者Yが戻ってきたので、冒険者Xと話し合いを行ったが、冒険者Xは納得せず手にしていた武器を振り回して威嚇した。冒険者Yは身の危険を感じ所持していた短刀でとっさに冒険者Xの頸部を突き刺したため、冒険者Xは死亡した。

なお、冒険者Yはギルド帰還後、ギルド警備兵に捕縛され、ギルド審判にて殺人罪で起訴された。】

 ……あれ?逮捕どころか起訴まで行っちゃってるじゃない。……事件概要、これで終わり?」

「だから本題はそこじゃないと言っているだろう」


 ルズはイライラしたように言いながら、書類を机に投げた。


「傷害だの殺人だのは警備部の仕事で、終わったのはそっちの事件だ。その書類は冒険者保険の再審査請求書だろ?肝心の保険がらみのトラブルが出てきてないだろう。

 ……この事案の本題は保険の話だろ?」

「う、うるさい!わかってるってば。まだ途中なんだから口挟まないでよね!」


 ブツブツ言いながら、書類をめくる。


「【冒険者Xの死体はギルド治療チームのもとに運び込まれ、調査の結果、冒険者災害保険業務室は冒険者災害保険(冒災保険)を不支給とした。そのため、蘇生・治療費用は本人負担となり、ギルドは冒険者Xの唯一の遺族である妹に対して、蘇生・治療費用の請求を行った。

冒険者Xの妹は、冒険者Xがクエストの最中に死亡したので冒険者災害保険(冒災保険)の不支給決定は誤りであると主張し、審査請求を行った。】

 ……え?なんで?クエスト中の怪我なのに?」


 あたしは首をひねった。

 冒険と怪我や死亡というのは切っても切れないものだ。危険のないクエストなんて存在しない。

 というか、危険だから冒険者に依頼するんだもの。

 クエスト中に怪我をしたり死亡した冒険者はギルドと契約しているヒーラーに行く。

 ……そして、怪我の治療につかう薬草やポーションは結構お金がかかる。全部自腹で買っていたら、クエストの報酬なんてあっという間になくなるどころか赤字になる。

 まして蘇生する場合は、高度な魔法と高価なポーションが必要で、冒険者の収入ではとてもまかなえない。

 それをギルドが救済してくれるのが、冒険者災害補償保険。通称『冒災保険』だ。


「そもそもきみは冒災保険がどういうものかわかっているのか?」

「はあ?バカにしないでくれる?」


 呆れたように言うルズに、あたしは言い返す。


 冒険者災害補償保険法。

 試験の時に必死で覚えた知識を、記憶の隅から引っ張り出してくる。


「【冒険者災害補償保険は、クエスト上の事由による冒険者の負傷、疾病、障害、死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、冒険者の福祉の増進に寄与することを目的とする】……よし、全部覚えてる」


 ちゃんとスラスラ出てきた。

 ギルド試験を受けるとき、とにかくひたすらギルド法の条文を毎朝読み込むというのをやっていた。

 それ以外にも、試験に必要な文書や問題集なんかも全て、そらで言えるくらいまで読み込んだ。

 さすがに最近はやってなかったけど。


「……丸暗記してるのかきみは」

「はあ?なに言ってるのこれくらい当然でしょ!残りの条文だって全部言えるし」


 勝ち誇ったように言ってやる。

 ちょっとは驚いたか。これでも試験トップの成績だったんだから。

 しかしルズは、ため息を一つついただけだった。


「そんなことを得意げに語るきみの能天気さには尊敬の念すら覚える。なにより、条文の中身を理解するよりもすべて覚えてしまおうという思い切りの良さと頭の悪さにな」

「んな……っ!?」


 ヤレヤレ、と肩をすくめるルズ。

 こいつ……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むわけ?!


「……で?きみができることは得意げに条文を読み上げることだけか?

 どうして保険の対象外になったのか、それを理解できているのか?」

「そ……れは……もうちょっと続きあるんだから待ちなさいよ!」


 からかうような笑い方にイラッとしつつ、あたしは書類に目を戻した。


「【冒険者Xの妹による審査請求に対し、当ギルドはギルド法に則り、冒険者災害補償保険審査官による事案の調査が行われた。結果、冒険者Xの死因は、冒険者Yとの私怨から生じた諍いに起因し、クエスト中の戦闘による負傷、死亡と認めることができないことから、不支給決定は覆らなかった。

 冒険者Xの妹はこれに対し、再審査請求を行った】」


 ……書類の【事案概要】はここで終わっている。

 あたしはふたたび首をかしげた。


「……あれ?これだけ?」


 審査請求、さらに再審査請求までされているから、よっぽどややこしい案件だと思ってたのに。

 ちょっと拍子抜けだ。


「でも……これだとどうしてクエスト中の怪我なのに不支給になったのかわからないじゃない」

「どうもこうも、そこに全部書いてあるだろ」


 疲れたようなため息をこぼしながら、ルズが言った。


「【冒険者Xの死因は、冒険者Yとの私怨から生じた諍いに起因し、クエスト中の戦闘による負傷、死亡と認めることができない】

 ──ちゃんとそこに書いてあるじゃないか」

「んん……?」


 あたしが戸惑っていると、ルズは頭をかきながらめんどくさそうに体を起こす。


「つまり、だ。

 これはゴブリン退治のクエストだ。ゴブリンとの戦闘で受けた怪我なら、もちろん保険が支給される。

 それ以外にも、クエストを遂行するためにとった行動……例えば、ゴブリンの仕掛けたワナで受けた怪我や、ゴブリンの住処に移動する途中で受けた怪我も、クエストのために必要な行動の最中にうけた怪我だから、ということで保険が支給されるんだ。

 ……だが」


 身を乗り出し、机の上を指でトントンと叩きながら、ルズが続ける。


「この案件の場合、ゴブリンとの戦闘は終わっていて、しかも個人で勝手に始めたケンカで受けた負傷、そしてその結果の死亡だ。

 つまり、個人的なイザコザが原因であって、クエストとは関係がない負傷、ということになる。だから冒災保険は支給されない、と判断されたわけだ」

「あー……」


 言われて、あたしはもう一度書類を読み返す。


「たしかに【戦闘終了後、冒険者Xは冒険者Yに詰め寄り】って書いてある……」


 つまり。

 クエスト中の怪我はギルドが補償してくれるけど、ケンカで受けた怪我までは面倒見ない、ってこと?


 冒険者ってのは、ただでさえ荒っぽい連中が多い。

 家も身分もなく、武器の扱い方や魔法での戦い方を身に着けていて、腕っぷしだけで日銭を稼いでいるような物騒な連中だ。道端や酒場でケンカしたなんてことも日常茶飯事。

 そんな連中の、ケンカの怪我の面倒までは見ていられない、ということなのだろう。

 ……理屈は、わかる。


「それは、わかるけど……でもちょっと待って」

「待たなくても、すでに結論は出てる。その書類に書いてあることの以上でも以下でもない」

「でも!」


 つまらなそうに言うルズに、あたしはつい大きな声を出した。


「それじゃ、Xの妹さんが困るじゃない」


 思いっきり怪訝そうな顔でルズは固まった。

 かまわず、あたしは早口でまくし立てる。


「冒険者Xが死んだのはそいつが横暴で自分勝手だったからで、その結果の事故みたいなものでしょ。自業自得よ。

 でも妹さんはなにも悪くない。ただXの唯一の親族だったってだけで蘇生してほしかったら費用全額負担しろっておかしいじゃない」

「……めんどくさいから一度だけ説明してやるが」


 深く、ため息をついてからルズは言った。


「冒災保険はクエストに起因する怪我を補償するためのものだ。

 今回の不支給の理由は、その調査書に書いてある通りクエスト中の戦闘ではなく私怨によるケンカが原因と判断されたからだ。

 クエストと関係のない怪我にまで保険を支給していたら、いくらお金があっても足りないからな」

「でも蘇生費用ってめちゃくちゃ高いのよ?

 ギルドの保険がなかったら破産まっしぐら。Xや妹さんがどのくらいお金を持っているか知らないけど、普通の暮らしをしていたらとても払える額じゃないわ」

「それこそ自業自得だろ」


 冷たく言い放つルズ。

 あたしはムッとして、座ったまま体ごとルズのほうに向き直った。


「だって妹さんが困ってるのよ?

 ……それこそ、ギルドの仕組みを生かして助けるべきでしょ!」

「ギルドは慈善事業団体じゃない。

 相手が困っているから助けるなんて、そんなギルド法は聞いたことがないね」

「ギルド法に書いてなくても、冒険者同士で助け合うのがギルドってもんでしょ!」

「そんな定義は聞いたことがないね」


 バカバカしい、とルズは鼻で笑った。


「人情噺みたいな理由で保険を支給するかどうかを決めているんだとしたら、同情を引くような物語を作るのがうまい奴だけがギルドの支援をうけられることになる」

「困っているのに助けてもらえない人に手を差し伸べるのが、あたしたちみたいな職員の役目じゃない」


 はーっ、と大きく息を吐いて、ルズは立ち上がった。


「きみとは話にならないな。ギルドと職員はヒーローでもなんでもないんだぞ」

「人助けをするのは、ヒーローだけの仕事じゃないわ」


 言いながら、あたしはイスを引いて立ち上がった。

 ルズはうんざりしたような顔であたしを見る。


「あたしはあたしが納得できるまで調べてやるわ。ようやくあたしに回ってきた仕事だもの。

 ……なにより、あたしが助けたい」


 それだけ言うと、あたしは壁に掛けてあった外着のコートを手に取った。




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