第3話

 部長が見えなくなるのを待ってから、あたしは自分の机の上の書類をドサッと払いのけてイスに座った。


「だーーーっれが」


 積んであった書類の山が揺れ動いてバサバサと崩れ落ちる。

 けど、どうでもいい。


「丸写しなんてするかっつの。あたし一人でこの案件審査して、不支給をひっくり返してやる」


 受け取った書類を、机の上にドサッ!と置く。

 ……頼まれた内容とは違うかもしれないけど、あたしは人助けをするためにギルドに入ったんだもの。

 ここで引き下がったら、今まで頑張ってきた意味がない。


「おい」


 思いっきり不機嫌そうな声が、向かいの机から飛んでくる。


「なによ。別に手伝ってもらおうなんてこれっぽっちも思ってないから安心して」

「頼まれたってそんなことはしない。だけどな──」


 ガタッとイスをずらす音がして、書類の山の上にルズの顔が見える。


「あとから部長にゴチャゴチャ言われると面倒くさいから念のために聞いておく。

 ……きみは、振られた事以上の、余計な仕事をしよう、なんてことを考えているんじゃないだろうな?」

「……はあ?」


 回りくどい言い方に、あたしは呆れたようなため息をつく。


「あたしはあたしが正しいと思うようにやる。それだけよ」


 それだけ言うと、あたしは机の上の書類に目をやった。

 ルズはそのまま無言で、またイスに座りなおした。


 どうせこいつは手伝う気はないだろうし、あたしも手伝ってもらおうなんて思っていない。

 邪魔をしてこないのなら、それでいい。

 冒災保険だかなんだか知らないけど、こんな案件あたし一人でも十分だっつの。

 ……そう思いながら、書類をめくる。


「えっと……【冒険者災害保険再審査請求書】ね……

【原処分を受けた者 冒険者X】

【再審査請求人 冒険者Xの妹】

【原処分に係る冒険者が給付原因発生当時使用されていたパーティーリーダー 冒険者Y】

……うーわ」


 文書の最初から難しい単語が並ぶ。

 そうだった。

 ギルドの法律文章って、こんな感じだった。試験のときはたくさん読んだけど、合格してからは遠ざかってたから忘れかけてた。


 ……だけど。

 一瞬たじろぐくらい、日頃は目にしない難しい雰囲気の単語だけど、わからない知らない単語じゃない。

 ────そのために勉強してきたんだもの。


「【事案概要】……」


 部長が持ってきたこの書類には、事件のできごとが時系列に沿って書かれている。

 そのあとに保険部の決定とその根拠が書かれている。

 そして、請求人からの反論、保険審査会による審査、請求人の再反論、と続いている。


「【冒険者Xは冒険者Yをリーダーとするパーティーメンバーであった。当パーティーは経験が少なく、難易度の低いクエストを中心にこなしている、比較的レベルの低いパーティーであった。

当事案は、辺境の山岳地帯にある村の村長から、近所にゴブリンの生息地が発見されたので退治してほしいと発注されたクエストを受託していた。】」


 ここまで読み終えてから、あたしはゆっくり息を吐いた。

 うん、大丈夫。

 一つ一つ丁寧に読んでいけば、意味が分からないような内容じゃない。


「……それにしても、法律文章ってどうして冒険者Xだの冒険者Yだの、言い回しが堅っくるしくて読みづらいわけ?」

「おい!」


 再び、不機嫌そうな声が飛んできた。

 イラっとして顔を上げると、ルズと目が合う。


「きみは、なにをするにもぼくの邪魔をしなければ気が済まないのか?」

「はあ?あたしはただ読んでるだけなんですけど?」

「なぜいちいち声に出すのかと聞いているんだ。一つ行動をするたびに騒音を出さなければならない呪いにでも掛かっているのか?」

「いいでしょ別に!文章を読むときは声に出さないと頭に入らないんだから!」

「はぁ???っ」


 盛大にため息をついて、頭を左右に振るルズ。

 どうせこいつは、音読しないと読めないからって、あたしのことをバカにしているに違いない。

 ……厭味ったらしいったらありゃしない。


 昔は、文字が読めるのは特権階級の証だった。

 今でも、都市部の住民でも裕福な家に生まれない限り読み書きなんてできない人が多い。まして冒険者なんて、魔法使い職でもなければ文字には縁がない人がほとんどだ。

 あたしだってギルド試験に受かるために必死で読み書きを勉強した。

 そりゃあ……慣れていれば声になんか出さなくったって読めるんだろうけどさ。


 いや……と、あたしは首を振った。

 確かに腹が立つけど、今はこいつの相手をしている場合じゃない。

 あたしはあたしの仕事をやらなきゃ。こいつにうるさがられても、知ったこっちゃない。

 あたしは文書の続きを読み始めた。


「えっと……

【このゴブリンの巣には少数だがゴブリンシャーマンなども確認されていた。冒険者Yのパーティーにはやや難易度が高いと言えるクエストであったが、レベルが高くベテランの冒険者Xがメンバーとして在籍していたことから、ギルドの依頼斡旋部門はクエストの受託先として問題がないと判断した。実際に、クエスト中に幾度か遭遇したゴブリンの集団との戦闘も支障なく勝利している。】」


 ……気を使ったわけじゃないけど。

 さっきよりは、少しだけ声を抑えた。ちらっとルズを見ると、文句を言うのは諦めたのか黙って書類を読んでいる。

 ほっとしてあたしは書類に目を戻す。


 それにしても……。


「こっからどう事案につながるわけ……?」


 ここまで読んだ限りでは、問題は起きそうにない。

 冒険者が自分のレベルよりも難易度の高いクエストを受けたがるのはよくあることだが、レベルが高いベテランのメンバーがいるおかげでクエストは順調そうだ。


「【冒険者Xは普段から言葉使いが荒く性格も粗暴で、冒険者として駆け出しでレベルが低いリーダーである冒険者Yの指示に従わなかった。冒険者Xは「ひよっこどもの面倒を見ているのはオレだ」、「お前らオレがいないとなにもできねぇくせに」と他のパーティーメンバーを見下す発言をしていた。冒険者Xはパーティーの主力メンバーのため、冒険者Xがいなければクエストを完遂できないことから、リーダーである冒険者Yや他のメンバーは冒険者Xの暴言や独断的な行動を抑制できず、不満が鬱積していた。】

 あー……いるよね、こう言う奴」


 ただでさえ荒っぽい性格の冒険者は多い。レベルの高さが必ずしも人格につながらないのは、今まであたしもさんざん見てきてる。

 危険なクエストだと、些細なトラブルからパーティーがとんでもないピンチに陥ることだってありうる。だから普通は衝突したり感情的にならないように気を遣う。

 でも、中には威張り散らしたり力で押さえつけたりして、自分の言うことに従わせようとする奴もいる。

 息を合わせた連携よりも命令を下す人間がいたほうがいい場合も確かにあるけど、この手の奴は威張りたいだけのバカが多い。

 ……当然、そんな奴がいるパーティーは揉めることが多い。


「どうせこの冒険者Xがなにかやらかしたんでしょ」


 ルズの舌打ちが聞こえて、あたしはそっとルズの様子をうかがう。

 手に持った文書を読んでいるけど、明らかにイライラしている雰囲気だ。


 ……どうせうるさくするなって言いたいんだろうけど、こっちだって気を使ってさっきよりも小声で読んでるのに。

 だいたい、仕事もしないで好き勝手に文書読んでるだけの奴にどうしてあたしが気を使わなきゃいけないわけ?

 また腹が立ってきた。


「【パーティーは最終目的地であるゴブリンの生息地へ向かう途中、ゴブリンシャーマンを含むゴブリンの大集団に遭遇した。パーティーメンバーは冒険者Xを中心にした布陣で戦闘を開始し、数に勝るゴブリンの集団に対して優勢に戦闘を展開していった。

 この戦闘の最中、冒険者Yが放った攻撃魔法が、冒険者Xに擦過さっかした。戦闘終了後、冒険者Xは冒険者Yに詰め寄り「わざとやりやがったな」と激高した。】

 ……ホラ!やっぱりXが全部悪いんじゃない!」


 トラブルを起こすのはいつも横暴で自分勝手な人物。経験則から、あたしはそれを知っている。

 この案件だって元をたどれば、いさかいや感情的な衝突から始まってる。そして、そういうトラブルを生み出すもとはたった一人の人物。

 そういう奴は、だいたいろくでもない事件を起こす。

 ────見ていて、これほど腹の立つことはない。


「ようするにXは自分が嫌われてたの知ってたってことでしょ?自業自得ってやつね。さんざん好き勝手にふるまっておいて、自分が仕返しされたら逆切れなんて情けないったらありゃしないわ」

「……そこじゃないだろ」


 唐突に、ルズが口を開く。

 あたしはびっくりしてルズを見た。

 ルズは苦々しい顔で体を起こして、イライラしたように手に持っていた文書を机に放り投げた。


「だからなぜ!きみは考えたことをいちいち口に出すんだ?」

「な……べ、別にいいでしょ!あんたに聞かせるために口に出してるわけじゃないんだから!」

「いいや気が散るね。事件の内容の解釈があまりにも杜撰すぎてイライラしてくる。だいたい法律文書がまるで読めていない。善悪で割り振るな。判断するのは条文だろう。その程度の基礎もわかっていないのかきみは」

「わ、わかってるってばそのくらい!」

「なら、どうしてこの案件が冒災保険不支給と判断されたのか、その文書に書いてあることから説明してみろ」

「そんなの……」


 試すような薄ら笑いを浮かべるルズをにらみつけながら、あたしは言った。


「いいじゃない。やってやるわ」




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