第2話

「楽しくやれているのなら、なによりだよ。しっかり仕事を覚えてね」


 のんびりした口調。

 ……どっちかって言うと、おっとり、かな。

 恰幅がいい……っていうか、ちょっとだらしない体型のおじさん。冒険者部の部長だ。


「どこをどう見たら、楽しそうに見えるんですか?!」

「ははは……」


 あたしが口をとがらせると、部長は誤魔化すように笑った。

 ……この部長、人当たりがいいというよりは波風を立てるのを嫌うタイプで、貴族ってだけでいつもルズの顔色をうかがうような、ご機嫌取りをするようなところがある。

 こっちも、あたしの苦手なタイプ。


「こいつに仕事を覚えさせるより、オークかゴブリンに芸を仕込む方が楽なんじゃないのか。……まあ、自分で引き取ると言ってしまった以上文句は言わないがな」

「はあ?!ろくに仕事もしないアンタに言われたくないんですけど?!」


 相変わらずふんぞり返ったままのルズに食ってかかるあたし。

 まあまあ、と部長が割って入る。


「それより、もし手が空いているのならアリス君に頼みたい仕事があるんだよ」

「仕事ですか!?」


 言いながらあたしは立ち上がる。

 なんだ、やっぱりそういうことなんじゃない。


 こんな隅っこに押しやられて、まるで厄介ものみたいな扱いされて、なにがなんだかわからなかったけど。

 ようするに、あたしの能力が高すぎて扱いに困ってたってことなんじゃないの。

 そういうことなのね!


「い、いやいや……仕事、っていうほどのことでもないんだよ」


 なぜか困ったような顔で、部長は言う。


「簡単な……そう、とても簡単な作業なんだ。ただ言われたことだけをやってくれればそれでいいんだけど……」

「やります!!」


 あたしは二つ返事で叫んだ。


 「なんでもやります!あたしにまかせてもらえるなら、必ず、絶対に完璧な仕事をしてみせます!」

「い、いやいや……適当でいいんだよ、適当で……」


 部長はなぜか、助けを求めるようにルズへ視線を向けた。

 ルズはそれをまるっきり無視して、手元の書類を読みふけっている。

 それを見て諦めたようにため息をついてから、部長はあたしに向き直った。


「今ちょーっと、みんな忙しくて……どうしても手が離せないんだよ。言われたことだけやってくれれば、すぐに終わる仕事だから……」

「はい!任せてください!」

「本当に、ただ言われたとおりにしてくれるだけでいいんだ。頼めるかな?」

「だから大丈夫です!やります!」


 食い気味に答える。

 なぜか部長は、もごもごとなにか言いたそうにしながらルズのほうをうかがっている。

 ルズはうっとおしそうな視線を向けた。


「言っておくが、ぼくは手伝わないぞ」

「い、いやでも……アリス君はまだ新人ですし……」

「簡単な作業なのだろう?ならば手助けなど不要だ」

「そうおっしゃらずに……」


 言い淀みながら、部長はハンカチを取り出しておでこを拭う。

 今日は特に暑い日ってわけでもないはずなのに、なぜかおでこのテカリが多い気がする。


「ちょっと」


 なぜかルズの顔色ばかり窺う部長と不機嫌そうなルズの間に、あたしは割って入った。


「あたしがやりますから!こいつの手伝いは必要ありません」

「こいつって……失礼な言い方は困るよアリス君……!」


 ちらちらとルズの顔色をうかがう部長。

 ルズはフッ、と鼻で笑って言った。


「ホラ、本人もこう言っているじゃないか。簡単な仕事なんだろう?ぼくにかまわず、話を進めてくれ」

「は、はあ……」


 部長は不安そうな表情でルズに返事をしてから、ためらうようにおずおずと書類を取り出した。


「いや、本当に簡単な、単純作業なんだ。ただ単に、文章を書き写してくれればいいだけなんだよ」


 何度目かの同じ説明を繰り返しながら、書類を差し出す部長。

 あたしはそれを受け取りながら、表紙に書かれた文字を読み上げた。


「【冒険災害保険再審査請求書】……?」


 ────冒険災害保険。略して冒災保険。

 危険なクエストを受けることが多い冒険者を、ギルドが支援するための制度。

 冒険者は魔物や山賊と戦ったり、ダンジョンや荒れ地を旅することが多い。当然ケガをしたり、時には死亡することだってある。

 軽い怪我ならまだしも、治療に数か月かかるような大怪我をするたびに、全部自腹で治療費を出していたら、あっという間に破産してしまう。

 そうなったときのために、治療費や休んでいる間の収入を補償してくれるのが、冒険災害保険、というワケ。


 ただし。

 保険が受けられるのはクエスト中の怪我に対して、だけ。

 怪我の理由や状況をギルドの保険部がちゃんと調査するから、クエストと関係ない怪我────たとえば、酒場でケンカしたとか、クエストと関係ないところで戦闘に巻き込まれた、なんてときには、保険が適用されない。

 そうなると、治療費は自分でなんとかすることになる。


 そして、保険部の調査結果が不満だった場合。

 本当はクエスト中だったのにーとか、保険部の調査が信用できない!って場合、2回まで審査をやり直してもらうことができる。

 その1回目に作られる書類が審査請求書。

 再審査請求書っていうのは、2回目ってことになる。


「つまり──不支給になった保険の、再審査の手伝いということですか?」


 保険。

 審査。


 こんな大事そうな仕事を、回してもらえるなんて!

 なんだかんだ言いながら、やっぱり部長はあたしの能力を買ってくれてるってことじゃない!

 書類を抱えて、あたしは思わず小躍りする。


「いやいや……いやいやいや」


 慌てたように、部長はあたしを止めた。


「再審査じゃない。審査をする必要はないんだよ」

「えっ?」


 言われて、あたしはキョトンとした。


「というか、書類の中身は理解する必要はないんだ。君はただ、書き写してくれればいいだけだからねえ」

「書き写す……?ですか?」

「君に作って欲しいのは、再審査請求書の回答なんだ。ここに──」


 言いながら、部長はもう一つの書類を取り出す。


「前回の審査請求書の回答があるんだけど……

 ここに、不支給決定の理由が書いてあるでしょ?ここの文章をそのまま書き写して欲しいんだ。それ以外は、なにもしなくていいからね」

「え……ちょっと待ってください」


 部長の言葉を遮って、あたしは言った。


「同じ内容で回答って……それでいいんですか?再審査で明らかになった事実とかは──」

「いやいやいや……」


 部長は、またもやハンカチをおでこにあてた。


「冒災保険部でしっかり審査した結果、の回答なんだよ。君は余計なことを考えなくていいから、同じ内容の文書を──」

「でもこれ、再審査請求ですよね?!」


 部長の説明が納得できず、あたしは声のトーンを1段上げた。


「冒険者災害補償保険法の第三十八条に【保険給付に関する決定に不服のある者は、冒険者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は、冒険者災害保険審査会に対して再審査請求をすることができる。】ってありますよね?」


 冒険者災害補償保険法。

 ギルド試験をトップ合格するために、あたしはギルド法の条文は全部丸暗記している。当然、冒災保険についての法律も全て頭に入っている。


「再審査請求に対してきちんと審査を行うのは当然の義務じゃないですか。

 それが同じ内容の回答でいいんですか?」


 あたしは、さらに部長に詰め寄る。


「不支給ってことは、相手の人は保険がもらえないで困ってるってことですよね?それなのにそんな適当な対応でいいんですか?

 保険が支給されないってことは、その人は自腹で治療しなきゃならないってことですよね?冒険者を支援するはずのギルドがそんなことでいいんですか?誰がその人を救うんですか?!」

「お、落ち着いて落ち着いて……」


 部長はヘラヘラと、あたしをなだめるように笑顔を作る。


「今回は結果がはっきりしている案件だからねえ。何回調べたところで、不支給なのは変えようがないんだ。ただ単に、相手さんが納得していないっていうだけなんだよ」

「それでも!きちんと誠実に、しっかり調べてその結果を回答文書に書くべきじゃないんですか!」

「いやあ……ははは」


 困ったように笑ってから、部長は助けを求めるようにルズを見る。

 ルズは完全にそっぽを向いている。


「困ったなあ……ただ丸写しするだけでよかったんだけど……君が無理そうなら、他の人にやってもらうよ」


 あたしの手の中の書類を取ろうと、部長は手を差し出した。

 それを見ながら、あたしの頭は急速に冷えていく。


 このままだと、部長はこの仕事を引き上げてしまう。

 どっちにしても、この案件を再審査、なんてするはずがない。他の人のところに持って行ったところで、部長は丸写しを指示するだろう。

 あたしはせっかく振ってもらった仕事をなくし、この案件の人は同じ内容の文書、保険の不支給の回答をもらうだけだ。


「……わかりました」

「えっ?」


 ぼそっ、と言ったあたしの声が聞き取れなかったのか、部長は驚いた顔で聞き返した。


「丸写しするだけで、いいんですね」


 あたしは眉を寄せ、ため息をつきながら言った。

 まるでなにかをあきらめたような、残念そうな表情で。


「う、うん!そう!それだけでいいんだ」


 ホッとしたように胸をなでおろす部長。

 書類を受け取ろうと伸ばしていた手を引っ込め、安どのため息を漏らす。


「本当に、ただ書き写してくれるだけでいいからね。もしわからないことがあったら、私のところに聞きに来てくれてかまわないからね」

「はい」


 聞き分けよく、あたしは返事をする。

 部長はウンウン、と何度かうなずいてから、自分の机に戻っていった。

 あたしは小さく手を振りながらそれを見送った。

 ……舌を出しながら。




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