学院生活編

第26話 世界で唯一の魔術師の俺、自堕落な生活を送る

 ──入学試験合格発表の数十分前──


「あっはっはっは!」


 若い娘特有の、無遠慮な笑い声が響いた。


「学科0点なのに、実技は歴代最高点って、何なのこいつ!?」


 スポットライトのように一条の光だけが差し込む暗室で、その魔女は腹を抱えて笑っていた。


「くく、ワケ分からなさすぎて、ホントウケる。何をどうやったら【氷麗】の魔女を単騎で倒せるのよ」


 豪奢な椅子に座ったまま足をバタつかせる様子は、学院生と見紛うほど若く見える。


 しかし魔女はその膨大な魔力量により、肉体と精神を最盛期のまま維持しようとする。


 見た目や振る舞いから年齢を推し量ることは難しい。


 特にこの魔女においては、実年齢を知る者は皆無だろう。


「学科の解答も回収しましたが、完璧な構成でした。もしトラブルで失格になっていなかったら、首席入学していたのは彼だったでしょう」


「ふーん。だとしたら恐ろしく優秀ね」


 報告書に書かれた実技試験の概要をパラパラとめくりながら、魔女は対象の評価を改める。


「スペックの低さを覆すほどの対応力。このずる賢さも嫌いじゃない。わたしも大魔術をブッパする火力馬鹿より、巧みに魔術を応用してくるやつの方がやりにくいし」


「……貴女がそれをおっしゃるのですか」


「いーのよ。誰もわたしに文句なんて付けられないんだから」


 小馬鹿にするような態度の魔女に、報告者は頭を垂れるばかりだ。


「まぁでも、学院にとっては一大事よね。学院の評価基準だと箸にも棒にもかからないようなヘボ魔術師が、実技でこんな高得点を取っちゃったんだから」


「しかもそれが男など……」


 苦虫を噛み潰すような顔をした報告者に、魔女は軽く嘆息した。


「それより、重要なのは学科試験中の絶叫よ。報告書に書いてあることは確かなの?」


「はい、回収した答案用紙に発動した焼け跡が残っていました。間違いありません」


「まさか大昔にダメ元で仕掛けた罠に、今さら引っかかるやつが現れるとはねぇ」


「いかがいたしますか? 三文字の魔女を含む暗殺部隊を差し向ける用意はありますが」


「馬鹿言ってんじゃないわよ。貴重な男を殺してどうするのよ。それに第一席の門下生に手を出して無事に済むわけ無いでしょ。あんたこそ死にたいの?」


「探知不能の【絶対透明化】を部隊全体にかけられるほどの使い手なのですが……」


「ああ、その程度じゃ無理無理。害意を持って屋敷に入った時点で、拘束されて情報を引っこ抜かれて、痕跡も残さず消されるわよ。文字通り物理的にね。アレは善良だけど、敵をおもんばかるほど甘くもない」


「……七席様のお力添えがあれば、そう難しくはなくなるかと……」


「だから殺さないっつの。物騒なやつね。妙に男を敵視してるし。構築した人格に影響を受けてるんじゃないの?」


「……失礼いたしました。再調整の必要があるようです」


「ま、しばらくは泳がせておきなさい。折を見てわたしから接触する。あいつが予想通りの存在なら、わたしを見て反応しないはずがないから」


「承知いたしました。それでは引き続き任務に戻ります」


「ああ、体調不良ってことにして、抜け出してきてるんだっけ。合格発表の準備もあるのに、報告を急がせて悪かったわね」


「いえ、構築した人格が意識を取り戻したとき、時間や場所のズレを感じて自己矛盾を起こさせたくないだけですので。問題ありません」


「自分の人格や記憶すらも好きなように設定して別人に変装できるって凄いわよね。【偽装看破】や【読心】の魔術でも正体がバレることはない。あなたの天性魔術ほどスパイにもってこいの魔術ってないわ」


「そう仰っていただけるだけで、今までのすべてが報われます。学院では評価されず、私自身なんの役にも立たないと思っていた魔術を評価し、取り立ててくださった七席様には感謝のしようもございません」


「世辞は良いわよ。役に立つなら使うだけ。あなたのことは評価してるわ、今のところはね。妙な色気を出して期待を裏切らないで頂戴」


「はっ。【無貌】の魔女ディスガイズの名において、必ずや七席様の御恩に報います」



   †   †   †



 俺ことレオンハルトが試験に合格してから、半月ほどが経った。


 試験のあと帰ってきた俺を出迎えてくれた師匠と姉弟子に、試験中に起きたことを語って聞かせた。


 師匠はオロオロしながらも合格したことを喜んでくれた。


 姉弟子はバトルの内容に興奮しすぎて、食べようとしていたリゾットを漏れた魔力で煮えたぎらせていた。


 その後、いつものように一緒に後片付けをして、一緒に風呂に入り、一緒に寝た。


 もちろん、当たり前のように搾り取られた。


 実技試験に向けて、他の受験生たちの色香に惑わされないための特訓だったはずが、今では日課のようになってしまっている。


 最近は師匠も参加するようになって、出る量も二倍だ。


 俺の下半身は節操がなさ過ぎる。


 これで最後まで致してないのは奇跡としか言いようがない。


 散々出した翌朝、俺たちは気怠いまま遅めの朝食を取った。


「今までずっと絶え間なく頑張ってきたのですから、入学式までの一ヶ月くらいはゆっくり休みましょう」


 師匠がそう提案した。


「休みか……」


 前世の記憶を思い出したせいで、俺の感覚では頑張ってきた苦労は遠い思い出のようになってしまっているのだが、確かにアーデルハイトとの戦いはかなり精神を削った。


 余裕綽々のふりをしていたが、勝利を得られたのは紙一重の差だったと思う。


 ていうか、もう一回同じ条件でやったら普通に俺が負ける。


 二度とあいつとはやらん。

 一生勝ち逃げしてくれるわ。


「お休み!? やったー!」


 姉弟子が諸手を挙げて歓声を上げた。

 あんたが喜ぶんかい。


「アグニカはちゃんと仕事をしなさい。この一週間で随分仕事が溜まってるのではないですか?」


「はーい……」


 師匠の指摘を受けて、姉弟子の肩がしょーんと下がる。


 姉弟子は俺のために仕事を休んでくれていたようなものだから、こっちとしても申し訳ない。


「姉弟子、何か手伝えることがあったら、俺にも振ってくれ。雑務くらいなら出来ることもあると思うし」


「ホント!? じゃあ、これとこれとこれとこれとこれとこれと……」


 姉弟子は自分の仕事用の鞄から、大量の紙を取り出していく。


 多い多い。

 どんだけ溜め込んでるんだ。


 学校でもらったプリントをランドセルに溜め込んじゃう小学生くらい溜めてるぞ。


「アグニカ、ここぞとばかりに苦手な書類仕事をレオに押しつけようとするんじゃありません。それはこの一週間より前から溜めている分でしょう」


「あーん、だって面倒くさいんだもん……。ぱーっと焼いて帰ってくるだけの仕事だけなら良いのに」


「ははは。まぁ、俺がやっても良いならやりますよ」


 意外とこういう事務仕事は苦じゃないんだよな。

 前世で書類整理とかよくやってたのかもしれん。


「もう、レオはアグニカを甘やかしすぎです」


 俺と姉弟子を散々甘やかしている師匠にそれを言われてもなぁ。


「仕方がありません。私も少し手伝いますから、書類仕事だけでも終わらせてしまいましょう」


 ほらな。

 師匠もすぐ姉弟子を甘やかす。


「やったー! レオ、師匠、ありがとう!」


「どういたしまして」


「アグニカも少しは自分でやるのですよ」


 姉弟子は俺たちに抱きつくと、ちゅっちゅっとキスの雨を降らしてくる。


 それから、俺たちは姉弟子の溜まった仕事を片付けて(三人でやったら一瞬で片付いた)、家族水入らずで休みを取った。


 師匠と姉弟子はいくつか仕事があるようだったが、それほど忙しくもなかったようだ。


 あるいは俺に合わせて、仕事をセーブしてくれたのかもしれない。


 丸一日家を空けると言うこともなく、本当に穏やかな毎日だった。


 まぁ、やることはやりまくってたんだが。


 というか、やり過ぎだ。


 こんな桃色の生活を送ってたら、入学する頃には堕落しきってそうだぞ。


「そうだ! 師匠、姉弟子、買い物に出かけませんか!」


「買い物ぉ……? 何か欲しいものでもあるのぉ……?」


 姉弟子がシーツ一枚だけを纏った状態で、だるそうにベッドから上半身を起こす。


「学院生活で必要なものとか色々あると思うし、最近は家に籠もってばかりで良くないと思うんだ。休みだからってだらけてないで、たまには出かけて気分転換をしないと」


 一日中食う寝るやるしかしてない生活はどう考えてもヤバい。


 姉弟子の好奇心に負けて流されてしまう俺と師匠も悪いが、この生活は自堕落すぎる。


 今日も午前中から盛ってしまったし、今一度健全な暮らしへ立ち返るべきだ。


「た、確かに、レオの言うとおりです。このような生活、不健全すぎます。私としたことが、なんというふしだらな……」


 姉弟子と同じく半裸の師匠が、わなわなと震えている。


 恥ずかしがりながらも行為にのめり込んでいく師匠を見るのも乙なものだったが、魔女学院入学へ向けてそろそろ気持ちを切り替えなくてはいけない。


 入学したら、俺は寮生活になるし、師匠や姉弟子とも頻繁に会えなくなるだろうしな。


 この生活に慣れきった状態で寮暮らしを始めたら、寂しくておかしくなるかもしれん。


「合格して学院から準備金がかなり入ったから、たまには俺が二人にごちそうしますよ」


 魔女学院は生徒を厚遇する。


 入学試験に落ちた生徒も、魔女学院を受験できたという実績だけで、各国から引く手あまたで職には困らない。


 ということをあとで知ったが、合格者はさらに破格の待遇を受ける。


 準備金制度もその一つだ。


 合格者には町人の収入十年分くらいの金を、ぽんと一括で渡してくれる。


 魔女となる者は身分関係なく生まれてくるため、実家が貧乏だったりする者も多い。


 そういった家族への仕送りに使っても良いし、単純に学院生活での私物を買うのに用立ててもいい。


 研究費は申請すれば別途でくれるし、各地の問題を解決する課外授業は受けるだけで報酬も貰える。


 魔女学院は七大魔女から多額の援助を受けているので、ぶっちゃけめっちゃ金持ちなのだ。


 そりゃみんな魔女になりたがるわな。


 うちも七大魔女筆頭の師匠は当然のこと、三文字の二つ名を持つ姉弟子だって相当な額を稼いでいる。


 だから、二人に恩を返すにも、金では意味がないんだよなぁ。


 何をすれば恩返しになるかは、今のところちゃんと定まっていない。


 立派な魔術師になるという目標は変わってないが、学院生活を送る中で何か見つけられたらと思っている。


「お昼はレオのおごりかー。生意気だけど今日のところは譲ってあげるわ」


「レオのお金なのですから、レオのものに使って欲しいのですが……」


「俺がそうしたいんですよ。と言っても昼飯だからそんな豪勢なところは入れないでしょうけど」


「分かりました。それでは気兼ねなくご馳走になります」


 師匠は俺に微笑むと、目を閉じて背筋を伸ばした。


 そして、もう一度目を開けたときには、気持ちを切り替えた師匠がいた。


「そうと決まれば善は急げです。一度機を逃すとだらだらとまた元の生活に戻ってしまいますからね」


「はーい」


 師匠がベッドから降りて、姉弟子もノロノロと動き出す。


「じゃあ、まずはお風呂ね。着替えようにもベトベトだし」


「普通に! 普通に入ろう、な!」


 俺の固い決意で、お風呂で汗を流し、普通に体を洗って出られなかった。


 結局、買い物に出かけたのはその二時間後であった。


挿絵

悪い笑顔の魔女

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330658002612343

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る