弟子時代

魔女学院入学編

第1話 世界で唯一の魔術師の僕、試験会場へ向かう

「師匠、ここまでで大丈夫です」


 僕は足を止めて、ここまで見送りに来てくれた師匠の方を見た。


 レンガ造りの家が建ち並ぶ大通りを、別れを惜しむように歩いてきたけれど、目的地の魔女学院はもうすぐそこだ。


 師匠、僕、姉弟子。

 三人並んで歩くのは心強かったけれど、ここから先はもう僕一人で行かなければならない。


 今日は入学試験の日だ。


 世界中から魔女候補となる少女たちが、この街へ集まってくる。


その中でも特に優秀な者だけが試験を突破して、魔女学院に入学することが出来る。


 僕は男だけれど、あることが理由で特別に入試を許されている身だ。


「そうですか? 試験会場まではもう少しありますし、門のところまでは見送っても良いと思うのですが」


 師匠が整った顔を少しだけ曇らせる。


 氷のように薄い青の瞳が、心配そうに僕を覗き込んだ。


「師匠ってば過保護すぎ。こいつも子供じゃないんだから、入学試験に保護者同伴なんて笑われちゃうわよ」


 僕を挟んで師匠の反対側から、一緒に見送りに来てくれた姉弟子がケラケラと笑う。


 炎のように紅い瞳が、僕をからかうように揺らめいた。


「そうでしたね。アグニカの時は学院内の試験会場まで付いてきて欲しがって、回りの子たちに驚かれていましたね」


「も、もーっ! 師匠ってば! それは思い出さなくて良いの!」


 姉弟子が赤面する。


 三年前、姉弟子が魔女学院の入学試験を受けるときは僕が見送る側だった。


 優秀な姉弟子はあっさり試験を首席で突破して、入学してからもずっと一番のまま卒業した。


 そして今や誰もが知る世界有数の大魔女だ。


 金色の髪に真っ赤な魔女装束はとても煌びやかで、すれ違う人たちがみんな姉弟子を振り返る。


 いや、もしかしたら師匠の方を見ているのかも知れない。


 白銀の髪を落ち着いた色合いの魔女帽子に収めているけれど、その整いすぎた顔は女神様のように美しい。


 そんな彼女は千年前からずっと最強の魔女の座に座り続ける、僕の偉大なるお師匠様だ。


 そんな二人に挟まれて歩く僕は──何者でもない。


 ただの魔術師志望の、無力な男子だ。


 これから受ける魔女学院の入学試験に受からなければ、志望ですらなくなってしまう。


「なに暗い顔してるのよ。今日はあんたの晴れ舞台でしょ。この日のために勉強してきたんでしょうが」


 姉弟子はまくし立ててきたあと、にんまりと笑う。


「それとも、緊張してるの?」


「き、きき、緊張なんて……!」


「足、震えてるわよ」


「え?」


 半眼になった姉弟子に指をさされて初めて気づいた。


 歩くのをやめた途端に、僕の膝はガクガクと笑い始めている。


「そんな調子で平気なの? 緊張で覚えたこと全部ど忘れして、答案用紙に自分の名前も書けないんじゃない?」


「だ、大丈夫だよ」


「じゃあ、いま自分の名前を言ってみなさいよ」


 さすがの僕でも自分の名前を忘れたりするわけがない。


「レオンハルト」


「じゃあ、あたしは?」


 姉弟子が自分を指さして問うてくる。


「アグニカ。僕の姉弟子」


「じゃあ、この人は?」


 姉弟子は抱きつくように師匠の腕を取った。


「ウルザラーラ。僕の師匠だよ」


 二人を忘れるわけがない。

 僕にとって誰よりも大事な人たちだ。


 師匠も僕の緊張を感じ取ったのか、心配そうに見つめてくる。


「レオンハルト。本当に、気をつけて行くのですよ」


「師匠ってば、ここからならすぐそこなんだから、心配いらないわよ。それよりあたしの心配してよぉ。あたしだってこれから任務なんだから」


「あなたは強いから心配いりません。私の自慢の一番弟子です」


「えへっ。そーおー? えへへへへ」


 姉弟子はふにゃりと顔を緩ませる。


 とても嬉しそうだ。

 姉弟子は師匠のことが大好きだから、褒められたら嬉しいに決まっている。


 心配性の師匠だけど、姉弟子のことは少しも心配しない。

 それだけ姉弟子の実力を信頼しているからだ。


 僕だって師匠のことが大好きだ。

 信頼だってしてもらいたい。


 でも、僕は自慢の弟子と呼ばれたことはない。


 当たり前だ。

 僕は姉弟子の足下にも及ばないんだから。


 ただでさえ弱い男が、頑張って魔力をひねり出しても、初級魔術を発動させるのが精一杯。


 魔女から見れば落ちこぼれも良いところだ。


「レオ。あなたはこの10年、辛い修行に耐えて一生懸命頑張ってきました。あなたの努力は指導してきた私が知っています。たとえ試験の結果がどうあれ、私たちの関係はこれからも変わりませんからね」


「あはっ。師匠ってば、それじゃ最初から落ちるって言ってるようなものじゃない。まぁ、あたしも落ちて当然だと思ってるけど」


「うう……」


「ち、違います。違いますからね、レオ」


 からかう姉弟子に、師匠がわたわたと手を振る。


 もちろん師匠がそんなつもりで言ったんじゃないことは分かってる。


 勝手に落ち込む僕の心が弱いんだ。


「レオもさ。そんなに必死にならなくても良いんじゃない? あんたは男なんだし、女に勝てないからって恥ずかしいことでも何でもないでしょ」


 姉弟子の言うとおりだと思う。


 男の僕が、魔女を目指す女の子たちに混じって学院に入学しようなんて、誰から見てもおかしな行動だ。


「……でも、僕は」


「ま、あんたの人生だし、好きにしなさいな。試験に落ちたら……そうね、しょうがないからあたしが一生養ってあげるわよ」


 軽く言う姉弟子に、師匠がびっくりしている。


「あ、アグニカ? その言葉の意味を分かって言っているのですか?」


「? 意味って?」


 師匠が慌てた様子で姉弟子と僕を見てくる。


 だけど、その意味が分からない僕たちはきょとんとするしかない。


「……いえ、あなたたちにはまだ早い話でしたね」


 師匠は安心したように息を吐いて、僕の両肩に手を置いた。


 師匠の背は僕より高い。

 だから師匠は少し身をかがめて、僕に諭すように言った。


「レオ、私もアグニカも、あなたに引け目を感じて欲しくないのです。あなたはあなたのやりたいようにやりなさい。この先、なにがあってもあなたは私の大切な弟子ですよ」


「はい、師匠。ありがとうございます」


 師匠の気持ちはとても嬉しい。

 でも、僕は師匠に恩を返したい。


 孤児だった僕を拾ってくれて、本当の家族のように、いやそれ以上の愛情を持って育ててくれた。


 師匠に直接言ったことはないけれど、僕にとってはもう一人の母親だ。


 姉弟子も同じだ。

 口では色々言うけれど、本当は僕のことを大切に思ってくれている。


 きっと二人は僕がどんなに落ちぶれても、今と変わらず接してくれるだろう。


 だけど、それでは駄目だと、僕の心の奥が叫ぶんだ。


 このまま何も出来ない自分でいたくない。


 この素晴らしい二人と、自分は家族なんだと胸を張って言いたい。


 そしていつか師匠と姉弟子に、自慢の弟子だと言わせてみせる。


 だから僕は試験を突破して、必ず魔女学院に入学するんだ。


「……ふーん。震え、止まったみたいね」


「え? あれ、本当だ」


 いつの間にか、膝が笑っていない。


 視界もなんだか広く明るくなったみたいだ。


 呼吸も深く吸えるようになって、息苦しさが消えている。


 姉弟子の言うとおり、僕は相当に緊張していたようだ。


 その緊張をほぐしてくれた姉弟子は、太陽のように眩しい笑みで頷いた。


「さっきまでひどい顔してたけど、その様子なら大丈夫そうね」


「姉弟子……」


「じゃ、あたしもさっさと任務を終わらせて夕食までには帰ってくるから、あんたも吉報を持ち帰りなさいよ」


 姉弟子は強く僕の背中を叩くと、魔術で空に浮かび上がった。


 炎が描く魔法陣を踏みつけると、その体は一気に加速して、あっという間に街から遠ざかっていく。


 激しい炎の軌跡を残して飛翔する姉弟子の姿は、僕の初陣を鼓舞するかのようだった。


 姉弟子は本当に凄い人だ。


 いつか、僕もあの人の背を追って隣に並び立てるようになりたい。


 そのためには一分一秒だって無駄には出来ない。


 入学試験なんかで蹴躓けつまずいている暇はないんだ。


 師匠と二人で姉弟子の後ろ姿を見送って、僕らはもう一度向き合う。


 師匠はもう僕を心配する言葉を使わなかった。


 代わりに優しい微笑みを浮かべていた。


 その微笑みは、僕に力強い勇気をくれる。


「行ってらっしゃい、レオ」


「はい! 行ってきます!」


 熱くなった背中に、師匠の優しいまなざしを受けて、僕は試験会場へと向かった。


挿絵は近況ノートにあります。

挿絵一枚目・ウルザラーラ師匠

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330656526907859

挿絵二枚目・姉弟子アグニカ

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330656551930321

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